プロ野球、西鉄ライオンズの選手、監督。
通称「怪童」。
右投右打、ポジションは三塁手。背番号は6番。
1933年4月1日生まれ。香川県出身。
高松一高から1952年、西鉄ライオンズに入団。
最強と呼ばれた西鉄ライオンズの主軸を担った強打者。
大下弘、稲尾和久、豊田泰光らと共にチームを支え、黄金時代を形成。
バットスイングによる腱鞘炎で全盛期は短かったが、戦後野球界「最強打者」の一人として活躍。
1959年にはトリプルスリーを達成。
1961年、29歳で選手兼任監督となる。1963年、パ・リーグ優勝。
1969年、現役を引退。背番号6は永久欠番*1となる。
1970年、岳父である三原脩に招聘され、ヤクルトアトムズのヘッドコーチに就任する。
1974年、三原脩と共に日本ハム・ファイターズに移り、監督に就任する。
1981年、阪神タイガースで監督を務めるも、成績が振るわなかった。
1985年、近鉄バファローズのヘッドコーチに就任。仰木彬監督と二人三脚でチームを作り上げ、リーグ優勝、バファローズを強豪チームにのし上げた*2。
1994年、千葉ロッテマリーンズのヘッドコーチに就任。
同年8月、八木沢荘六監督の休養に伴い、シーズン終了まで代理監督を務める。
1995年、仰木彬に招聘されオリックス・ブルーウェーブのヘッドコーチに就任。リーグ優勝、日本一に導く。
1997年、病気の為に退団。
1999年、野球殿堂入り。