廃校図書館、3099年夜 このページをアンテナに追加

2019-01-21

日記

1月21日、
はてなダイアリーが(一週間後に)使えなくなってしまうので、そろそろはてなブログをメインに使おうかな、と思っている。一応、もう新しいブログは用意しているのだけど(https://yuhilla.hatenadiary.com/)このブログをメインに使うかは、まだ分からない。URLをhatenadiary.comにしたけれど、んー、何となく気に入らなくなるかもしれない。何だか、頭がぼんやりして、何事もすぐには決められないのだ。URLの格好いいブログを新しく作るかもしれない。にしても、慣れた場所が無くなるのは切ないなあ。新しいブログなんて全然必要ないんだけど。まあ、文句は言うまい。

いろんな悩みや自己嫌悪やコンプレックスは、多分、世界の感触を丸ごと変えてしまう。心配事は、出来るだけ解消しておいた方がいいみたいだ。僕はいろいろ気にし過ぎる。

現実感が無いと言っても、ひどかったときに比べれば、大分良くなった。少なくとも、半年前よりは、自分の好き嫌いが分かるようになっている。半年前に伊藤かな恵のアルバムを買ったんだけど、その時は、自分がそのアルバムを好きなのか嫌いなのか、全然分からなかった。全然分からないと言うことは、あまり好きじゃないのだろうと判断して、売ろうとしていたんだけど、今日聴くと、好きだなと思った。好き嫌いが分からないときは、何もかもが神経質に作られているような気がする。何もかもが感情を欠いているような気がしてしまう。もしくは何か偏った感情に満ちているような気がしてしまう。歌ではなく、商品だ、と考えてしまう。無感情に弾いて、無感情に歌っているように感じてしまう。それは恐ろしい感じで、音楽は普通、聴くと何らかの感情の動きを感じるんだけど、何にも、感情が動かない。ただ、音があるだけ。でも今は、人が歌っている、と感じる。不思議な感じ。ヘッドホンの中で、今演奏されているような感じがする。

午前3時、足の爪を切る。身体を手入れするのは楽しい。

午前4時半、iPodの曲をひたすら削除していた。節操なくダウンロードしていたので、聴かない曲もかなり入っていた。17000曲から14000曲まで減らした。10000曲まで減らすつもり。

そろそろ眠ろう。にしても、東プレのキーボードはものすごく書きやすいなあ。書きやすいと言うより、打っていて気持ちいい。

午前5時、眠ろうと思ったけど、お腹が空いたのでご飯を食べた。タラか何かの塩焼きと、椎茸とレタスを炒めたのとご飯を食べた。

もう少し書いていたいけど、眠いので眠ろう。

午前7時20分、二時間ほど横になる。眠ったかは分からない。ずっと考えていた気がする。目が覚めてしまう。

午前9時45分、11500曲まで減らす。

午前11時10分、iPodの曲が9999曲になる。まだ消せそうだけど、休む。またどんどん増えていったら消そうっと。

午後0時10分、卵納豆ご飯を食べる。

午後1時50分、机の上を整理して、埃をティッシュで拭く。それだけでも結構見違える。

今日はかなり暖かい日だ。キーを打つとき、ディスプレイが細かく揺れて気になるので、ディスプレイの下端をカミングズの詩集と聖書で支えてみた。割といい感じだけど、少し高すぎてディスプレイが微妙に傾いてしまうので、聖書をピックケースに替えた。ぴったりだ。ピックケースは、元は財布か何かが入っていた箱。しかし、ピックケースをディスプレイのつっかえに使うのは、ピックを使うときに不便なので、いろいろ試してみて、最終的に、ちくま文庫の宮沢賢治全集を1〜3巻まで重ねるとちょうどいいことが分かった。まあ、揺れるのは軽いディスプレイだから仕方ない。しかし、宮沢賢治全集をいつもディスプレイのつっかえにしているのは、あまりスタイリッシュではないので、まあ、出来れば揺れないディスプレイが欲しい。その内。

午後4時15分、眠い。今日は寝てないんだった。何かを思い出しかけている。目が覚めそうな気がする。画集を見たり、本を読んだりしていると、時々とても懐かしい気分になる。リップスティックの匂いに、何かを思い出しそうになる。

レモンの味と匂い、レゴブロック、MMPのミニカー。

ブルーノートの1500番台。ナノブロック。ガウディの建築。コーネルの箱
煙草。金貨(メイプルリーフ金貨)。フィギュア。

午後6時、カップラーメンを食べる。

目を覚ましたい。頭の靄を払いたい。

午後8時35分、たまらなく眠くなる。、と思ったら、目が覚めてくる。昔は一週間眠らなくても平気なときがあったのだけど、今は一日眠らないと限界だ。体力が落ちていることもあるし、脳の情報処理能力が低下しているのだと思う。おかげでよく眠れる。

ぼんやり考えごとでもしよう。考えごとをしながら眠ろう。

おやすみなさい。

(追記:午後11時半、起きる。大体一時間半、眠った。)

2019-01-20

日記

1月19日、
0時ちょうどくらいに起きる。起きて、手が全然震えないことに気がついた。昨日までは、震えないと言っても、ほんの少しだけ震えていた。ギターを弾くときには心許ない感じだった。今日は、急に、神経が指の先の先まで通った感じだ。ああ、これが僕の手だ、と思える。手が震えないのは、本当に美しいことだ。、、、手の震えは、いつからあったんだろう?、と考えると、ちょうど五年前からあった気もするし、たしか三年前にリチウムをたくさん飲んだ時からがひどかったような気もする。読書ノートをずっと付けているので、それの筆跡を見ると、五年と二ヶ月くらい前から、字が気の毒なくらい弱々しく震えている。一年くらい前から、そこまで震えてはいないが、書きにくそうに字を書いている。自分の筆跡とはどことなく違う。実際書きにくかったのだ。今日は素敵に書きやすい。ギターも、びっくりするくらい弾きやすい。これが、続いてくれたら、どんなに幸せだろう、と思う。

脳の神経が回復したのだろうか? ぼろぼろになっていた、僕の脳内の神経が、時間をかけて修復されたのだろうか? 僕は、13歳の頃から、脳が悪いと思うのだけど、ひどい離人感は20歳の時一度無くなり、23歳までは安定していた。24歳からは鬱。だったけれど、本当にひどい鬱になったのは26歳の誕生日前後からだ。その時から、手の震えは、ひどくなったり弱くなったりしながら、ずっと続いていた。震えすぎてパソコンのキーも打てないことが多かったし、ギターはまともに弾けなかった。30歳から少しましになる。けれど、ギターを弾いていても、指を一生懸命制御している感じで、自分が弾いているという感じが希薄だった。25歳までは、指は震えていなかったけれど、震えないのが当たり前だと思っていたので、ありがたいとも思わなかった。でも、一度震えが続いて、それが止まってみると、それはまるで奇跡みたいに思える。何だか、いろいろなことが新しく出来る気がする。手先を使うことは、もう出来ないと思っていたけれど、もしかすると出来るかもしれない。まずギターが弾ける。書き物が、指の震えに悩まされることなく、楽しく出来る。手書きでも、キーボードでも。それから、料理がほぼ全く出来なかった(まず、包丁を持つ手が震える)けど、出来るかもしれない。他にも、指が震えないだけで、出来ることはたくさんあるだろう。絵も描けるかもしれない。以前、漫画家のドキュメンタリーを見ていて、線を素早く、確信を以て引いているのに驚いて、そして自分の線の弱々しさを悲しく思っていたのだけど、今なら、僕も確信を持った線を引けると思う。もちろん、画力はまだ全然無いけれど。うーん、楽しみだ。この、指先の、しっかりした感じが、続けばいいんだけど。

午前4時、ほんの少しだけ指が震えている。眠ったら、大丈夫なような気がする。

午前5時から眠ろうとするも、眠れず。6時過ぎに起き上がる。現在午前6時半。

手が震えないと、まず何より書きやすい。爪を切ったら、もっと書きやすいだろうけれど、どうしようかなあ? うーん、切ってしまおう。……切った。これでまた、ギターを爪で弾けるまで、一ヶ月かかるわけだ。それでも、爪って便利だなあ。

身体が、ひとつの身体、という感じ。

午前7時から8時半まで、眠る。
起きてから、卵納豆ご飯とサクレを食べる。おいしい。でも結構寒い。

眠い。
僕は雑然としたものが苦手だ。

午前9時半から11時まで寝る。
気分が優れなかったので、またすぐに眠る。

午後1時半、起きる。

僕が取り戻したいのは、僕が僕である、という感触。懐かしさ。

午後はストラヴィンスキーを聴いていた。なかなか、わざわざストラヴィンスキーを聴こうと思う機会なんて無かったのだけど、二週間前、ストラヴィンスキーについて坂本龍一がラジオで言っていたのと、村上春樹がエッセイで書いていたので、知りたくなってきた。あと、アルバムのジャケットがとても懐かしい感じだった(カラヤンの指揮する『春の祭典』)。ジャケットと中身には直接の関係は無いのだろうけれど、ジャケットがいいと、聴いてみようという気になる。

しかしぼんやりする。子供が喧しく走り回っている。何かの鳥が鳴いている。スズメとカラスと鳩くらいしか分からないけれど、実際はもっと多くの鳥が鳴いているようだ。名前も知らない鳥が。

午後4時10分、サイレースを1mg飲む。少し時間が早すぎるだろうか? 飲むと苦痛が和らぐ。が、意識は少し遠のく。

友人へのメールを、無理しては書かないことにした。ずいぶん長い間、文面を捻っていたんだけど。まだ、自然に書ける状態に、僕はない。けれど、僕は全然、友人のことを悪く思っていないし、無視するつもりは全くないのだということを、ここに記しておく。ただ、どうしてもうまく、自然に書けないのだ。ごめん。

午後5時25分、ストラテラを三錠とリチウムを飲む。

午後9時05分、サイレースを1mg飲む。

カツ丼を食べる。

古いパソコンのデータを整理していたら、大分時間が掛かってしまった。特に、ネットのブックマークがあまりにも多くて、殆どは消してしまってもいいんだけど、一応、ひとつひとつ消すか消すまいか吟味していた。古いパソコンは、さて、どうするかな。データを全消去して、捨てようか? それともまだ一応使えるので、置いておこうか? iTunesのデータが全部入っているので、一応置いておこう。


1月20日、
日曜日だ。眠いなあ。キーボードを、以前から使っているものに替えてみた。やっぱり打鍵感は東プレのキーボードの方が抜群にいい。書いていて、本当に気持ちがいい。打鍵音は少しうるさいのだが、それも併せて、ちゃんと打っている、という感じがする。このキーボードの、消音する気のまるで無い、タイプライターのような、カタカタカシャン、という音が、僕はとても好きだ。

また、パソコンのキーボードに戻す。キーのストロークが浅くて、何となく心許ない。

午前2時、眠ろうと思う。

午前4時40分、起きる。

午後3時20分まで、起きたり寝たり、だらだらする。何やってるんだ。

鮭とご飯とキャベツとクルミあんパンを食べる。父と母と食べる。というか、たまたまいたので。

午後4時半くらいから、サイレースを1mg飲んで、歌ってた。1時間半くらい歌った。この頃本当に高い声が出る。出ないと思っていたけれど、もしかしたらミックス・ヴォイスというやつが出せているかもしれない。まだまだ弱々しいし、時々地声が入ってしまって、つまり無理に歌ってしまって、持続しないんだけど。

昔、僕は高音が歌えたらどんなにいいだろう、と思っていた。昔、というか最近まで。声変わりしてから15年間で、音域が一オクターブくらい拡がった。ほんの最近まで、F#4以上の音域は、ファルセットか、シャウトでしか出せなかった。十代の頃なんか、D4でさえ心許なかった。高い声の歌が好きだったので、よく歌ってたけど、すぐ声が嗄れてしまっていた。でも、ここ、ここ数日くらいは特に、滑らかに高音を歌える。身体の組成が変わったみたいに。恒常的に歌えるかは、分からないけれど。指も震えなくなったし、何もかも良くなっているみたいだ。

その内、iMacが欲しいなあ。MacBookも欲しい。でも、今は、とても買えない。金銭的に。新しいギターも買えない。

僕は、地声が低めだし、割と、低いところに芯がある。低いところに芯がある人が、高い声を出せると、すごく格好いいことが多い。この頃、自然に、高い声が出せそうな気がしてきた。身体が、というか身体の神経が統合されてきたのかもしれない。嬉しいな、と思う。自由に歌えるといいな。低い音は、C2から楽に出せる。いや、いつも楽に出せる、となるとD2くらいからかな。ただしあまり使い道が無い。まあ、低い声が出なくて困ることはほぼ無い。
声に力がもう少し欲しい。いえ、歌に自分の全てを込めたい。歌声の隅々にまで、僕の神経が行き渡っているのであって欲しい。
まだ、全然うまくは歌えないのだけど、歌うのが、人生に二度目に、楽しくなってきた。僕は十代の頃、そして二十代の最初、今より全然歌えなかったけど、歌うのが本当に大好きだった。今は、歌うのが楽しいし、しかも結構歌える。素晴らしいな。

午後11時15分、眠くなる。今日もあまり何もしていないなあ。部屋の片付けは少ししたし、歌も歌って楽しかったんだけど。

今日も、現実感は戻ってこない。キーボードの打鍵感は気持ちいい。指が震えないから。身体の調子はすこぶるいいと言える。でも、気持ちがそわそわと落ち着かない。画集を見ていても、絵がふわふわと浮かんで見える。でも、一枚の懐かしい絵を見つけたとき、現実は僕の前にまざまざと顕れるだろう、と思うんだ。ともかく、生きていれば、いつか現実に辿り着ける。そう信じていなければ、すぐに生きていたくなくなる。

ともかく部屋は急速に片付いている。パソコンの中も概ねすっきりしている。無い方がいいんだ。物や情報は、少ないほどいい。でも、…何か、見つけなければ。停滞はしないようにしよう。少しずつ良くなっていこう。そうすればある日、目が覚めるかもしれない。僕の頭の中はこんがらがっている。シンプルに、生きるように努めよう。

明日は本棚の整理をしようと思う。本が、多すぎる。ただ、頭がぼんやりしているときには、何を売ったらいいか、何が必要なものなのか、よく分からない。目を瞑って、自分の呼吸を感じること。目の前の物をまっすぐに見て、それがそこにあるという感覚を取り戻すこと。少なくとも、僕は悪くなっていってはいない。

しばらく考え事をしてから眠ろう。

おやすみなさい。

2019-01-18

日記

1月17日、
キーボードが変わると、何だか妙な感じだ。タッチパッドの左端をスクロールすると画面がズームされるという機能が邪魔だったのでオフにした。

何だか、このパソコンとは仲良くなれそうな感じだ。何となく懐かしい感じがする。でも、すらすら書けるようになるまでには、まだ日数が掛かりそうだ。

午前3時20分、眠れない。うまく眠れないときは、いくら横になっていても仕方が無いので、起きていることにする。ランチパックのハバネロ入りメンチカツ、というのを食べる。どんなに辛いのか、と期待したのに、ぴりっとする程度だった。僕は辛いものが好きだけど、辛さには実は弱いので、ちょうど良かった。ハバネロって、普通の唐辛子と味が違うのかな? 唐辛子の味について考えたことがない。塩には塩の特定の味がある、ということって、とても不思議だ。この頃、もっといろんなことを知りたい、と思う。この好奇心が、どうか続きますよう。

音楽が存在することって不思議だ。世界が在ることって不思議だ。しかもその在り方が、いつも必ず、この僕の個人的経験として立ち顕れること、って本当に不思議。あれこれ多くあることが不思議なのではないのだ。

母が何故かアップル味のカロリーメイトのゼリーを買ってきてくれていたので飲む(食べる?)。僕は何年かの間、リンゴアレルギーなのだけど、大分長い間リンゴを採らなかったので、少し良くなっているかもしれない。リンゴはもともと好きだし、アップルタイザーなどは大好物だったので、リンゴアレルギーは少々辛い。リンゴ入りの野菜ジュースなどを飲むと、気持ち悪くて吐いてしまう。吐くことなんて、他では滅多に無いのに。……やはり少し気持ち悪くなるけれど、でももしかしたら思い込みかも、というレベルだ。

今、まさにここにあるものに辿り着けないでいる。それが、僕がいつも持っている、予感めいたものだ。目の前にあるものがちゃんと見えたとき、僕はとても懐かしい気がするだろう。たまに目が覚めるから、それが分かる。

カラスが鳴いている。カラスは楽しそうだとよく思う。今日は天気のいい日だ。

なかなか目が覚めないな。

一般的な意見と、自分の心を、混同しないこと。自分って言うのは割に特殊だ。相対的に見ても。他人に全然嘘を吐かずに生きていくことは不可能だけれど(何故なら自分が何を言っているか、そしてそれが他人にどう取られるか、分からないことも多いのだから)、自分の内面では、自分に嘘を吐かないこと。自分の内面を捨てずに生きること。

午後2時、静かだ。ストーブのファンの音しか聞こえない。

僕は、今では病識がある。数年間、殆ど僕は目が覚めていない。根本的な部分で、何に苦しんでいたかと言うと、離人感だ、とかなりの確信を以て、言える。数年間、と言うか、十数年間、殆ど二十年間。


1月18日、
午前0時55分、起きる。
昨日、夜7時半くらいから寝てた。

寒い。僕はとても怖がりだ。
フランス語のラジオを聴いてる。何言っているか分からないけれど落ち着く。

それが、そこにあるという感覚、それが僕のほしいもの。それが本当に希薄なんだ。
音楽を聴くことにする。古いロックがやはりいい。

いろんな音楽が分かりたいと思う。……同時に、何も無くていいんだ、と思う。自分の心が温まる音楽を厳選して選べばいいんだと思う。

午前4時、また寝ることにする。それにしてもこのパソコンは書きやすい。もうちょっと書いていたくなる。ああ、現実感が欲しいなあ。

午前8時半、起きる。眠い。とても変な夢を見た。

朝、何となくYouTubeでクイーンの動画を見てた。フレディは天才だな、と思った。今まであんまり思ったことないし、もし当時のクイーンのライブに行っても、楽しめたかは疑問なんだけど。熱狂はしたかも。フレディのようにはなれない。フレディは上っ面だけ自信がある人にはとても見えない。

ひょっとしたら僕は自信の無い人に惹かれるのかもしれない。それはあまりいい傾向とは言えないなあ。

昼は、調子が悪くてごろごろしていた。ごろごろしている間は楽しかった。でも、起きるとまた調子が悪かった。

友人にメールを送ろうと、ずっと書いているのだけど、どうしてもうまく書けない。気の無いことばかり書いてしまう。メールに限らず、文章を書くときはいつもそうだ。自分の言葉という気がしない。これは、もう殆ど病的と言えるのではないかと思う。

何だか、今日は何にも出来ず、精神的にも停滞していた。離人感はひどかった。まあ、明日はもう少しましになるだろう。今日は眠いから寝てしまおう。

おやすみなさい。

2019-01-17

日記

1月16日、
今朝、一時頃に起こされてしまったので、それから寝損なって、しばらくして眠ったんだけど、また、なかなか起きられなくて、11時過ぎまで眠っていた。この頃過眠症気味で、毎日半分以上寝ている気がする。起こされたのは、父がパソコンを持ってきてくれたからで、それは嬉しいんだけれども、夜遅すぎだよ、とも思う。でも、ありがたい。
早速新しいパソコン(ノートパソコン)で書きものをしようと思ったのだけど、まだ、特にキーボードに、慣れなくて、自分が書いているという感じが(更に)無い。
そう言えば、超能力を使える夢を見た。遠くにあるものに、視覚の中で手を重ねると、それを動かすことが出来る、という能力。念動力というもの。ただし、見えないものは動かせない。もう一人、念動力者の女の子がいて、僕は彼女に、勝負を持ちかけた。「あそこに見える家の窓に釘を撃ち込んだ方が勝ちだ」迷惑な話だ。それで、僕はややあって自動販売機か何かの前に置かれている木のゴミ箱か何かに打たれている釘を見付けて、それを抜いて、窓に撃ち込んで勝つのだけど、考えてみればこれは念動力の勝負ではなく、単に釘を早く見付けた方が勝ち、という、能力には関係ない、地味なゲームだ。なのに女の子はびっくりするくらい落ち込んでいて、夢の中では僕は勝ち誇っていた。思うに、この夢には、僕の自信の無さが表れている。僕は念動力を、いつ使えなくなるか怯えていた。かなり大きなものも動かせるけれど、独特の集中が要るのだ。女の子に勝負を持ちかけるときも、分かりやすく「あの木をより多く動かせた方が勝ち」とでも言えば良かったのだ。それなのに、微妙に、能力とは関係のない勝負を挑んだのは、自身の無さからだし、本当にあくせく釘を探した割には、勝った途端に落ち着き払って、急に余裕を見せる。これは体面が保てたからだろう。僕には昔からそういうところがある。

昼、ニコ動でRWBYを見ていた。9話まで一気に見た。これまで使っていたパソコンだと、映像が殆ど見られなかったので(電源がすぐ落ちる)、久しぶりにアニメを見られて嬉しい。RWBY(六期)は、非常に面白い。見て良かった。

フランス語は非常に楽しい。丸暗記しなければならないところが多くて、少し前までの僕だったら、嫌になっていたと思う。

午後はずっと彼女と話をしていた。三時間くらい話したかと思ったら、七時間も喋ってた。

今朝遅くまで寝ていたから、まだあまり眠くないなあ。

しばらく勉強して、眠ろう。

おやすみなさい。

2019-01-15

日記

1月14日、
どうしても起きられなくて、結局、午後4時過ぎまで眠る。21時間睡眠。

起きるとすごくお腹が痛かった。実を言うと、お腹が痛くて、否応なく、起き上がることにしたのだ。

憂鬱。軽い不安。今、僕がここにいる、という感覚の稀薄。

ニルヴァーナビートルズの歌を歌う。この頃急に、大体の音域を歌えるようになった。高い音域で歌うのは楽しい。解放されていく気がする。

僕は今鬱だと言うことが分かる。


1月15日、
僕が自身に行っているのは、一種の認知行動療法と言えるかも知れない。数年間というもの、僕は意思を決定することが困難になっている。意思表示も難しい。書くとき、単語を、確信を以て選べないので、外見上整った文章が書けても、自分自身が書いたという達成感が無い。何かをしたい、という気がまるで起きない。でも、それもこの頃、急に良くなるときがあって、不思議な感じがする。まだ、頭(身体?)が心の変化に追いついていないような気がするけれど、確実に僕は良くなっている。
高橋源一郎は、何十年か前、小説を書き始めたとき、失語症のようになっていて、紙にひたすら「僕はこのコップが好きだ。」という文章を書いていたらしい。あながち馬鹿に出来ないエピソードだと思う。「僕はこのコップが好きだ。」という文章を、僕は読んで理解出来る。「なるほど、君はそのコップが好きなんだね。」と。……今まさに僕の目の前には、コップが置かれている。そして、今まさに、僕はこれを書いている。僕とは他の誰でもない、この僕だ。コップは「この」コップだ。他人が書いた「僕はこのコップが好きだ。」という文を、僕は一般論として読む。しかし、僕が今まさに書く「僕はこのコップが好きだ。」という言葉は、一般論ではない。今ここにある事実だ。
しかしまた、僕には、「僕は今このコップが好きだ。」という実感が稀薄だ。僕は随分長い間、精神的にしんどいけれど、結局は僕は、僕と世界の稀薄さに悩んでいるのだと思う。そこから起因した、また別の苦しみもあるけれど。(例えば、多くの情報が、不安と恐怖混じりであることとか。)

ちなみに、僕はこのコップが本当に好きだ。彼女に買って貰った、ファイヤーキングのマグカップで、真っ白な地に、真っ赤なイチゴと、イチゴの葉っぱ、それから白い花が描かれている。イチゴはカップの周りに大小10個。葉っぱは9枚、花は15個、描かれている。ずっと(五年くらい?)使っているのに、今始めて数えた。

僕は僕を取り戻したい。僕自身の重量を取り戻したい。「取り戻したい」と思えるようにはなった。ずっと、死にたかったけれど、今は、死ぬなら、せめて自分の確固とした意思の元に死にたい。何となくなし崩しに苦しくなって自殺したくない。

午後は部屋の片付けをしていた。それから、英語とフランス語のラジオを聴きながら、語学の勉強。フランス語はまだ、聴いててもほぼ全く分からない。でも、音楽みたいで心地いい。英語は、単語はほぼ全て聞き取れるけれど、理解力が追いつかない。何となく話題になっていることが分かるレベル。難しい大学の入試で必要とされるような単語は、殆ど使われてない。高校生までの単語で十分で、わざわざ意味を調べなければならないような単語は、少なくともBBCのニュースでは使われていない。過去の放送には字幕が付いているので、それは確かだ。もっと、英語の本をたくさん読む必要がある。

空虚感。どうやって空虚感に打ち克つか。僕は何かを終わらせたとき、例えば今日は、読書と勉強と、少しの書きものと、作曲をしたのだけど、それで何らかの達成感を得る代わりに、徒労感を感じてしまうことが多い。片付けもした。こんなにいろいろしたのは、久方ぶりだ。でも、夜になって、今日頑張ったな、とは思えない。何故なら、やはり、僕は僕だ、という感じが稀薄だからだ。生きている感じがしない。生きている感じがするときもある。でも、今日は、意識に膜が張っているみたいだ。

でも、まあ、徐々に良くなっていくだろう。内面の僕は目覚めていないけれど、常に意識していれば、目覚めるときもあるだろう。

眠ろう。丁度いい時間に眠気が訪れることは、ともかくも嬉しい。眠剤の力を借りてではあるけれど。

おやすみなさい。