佇まいが凛としており静謐な女が好きである

佇まいが凛としており静謐な女が好きである

【世の中はアメリカ流の自己表現が盛んになっ
 て、そうした物言わぬ女がいなくなってしま
 った。「わたしって―」「わたし的には―」
 などという一人称から始まる対話の氾濫には
 辟易する。どうして君という人を想像させて
 くれないんだね、と私はいつも心の中で呟く】

浅田次郎著『ま、いっか。』(51)

第1章 男の本音(51)
◇たとえば、たそがれの並木道で◇(上)

佇まいが凛としており静謐な女が好きである

《「 ◆ハッとするピクチャー(Source:REUTERS◇) ◇Tiny dancers (Young ballet dancers (L-R) Amanda Franklin, Adelaide Feldman, and Shaun English anxiously wait for their turns during auditions for six-year-olds at the School of American Ballet (SAB) at Lincoln Center in New York, April 5, 2013. REUTERS/Lucas Jackson) 静謐(せいひつ)な女が好きである。佇まい が凛としており、挙措が美しければなおいい。 頭のよさやみめかたちは問わない。 たとえば、たそがれの並木道を、なに語るで もなく肩が触れるでもなく、ひたすら歩き続 けて飽きのこぬ女である。 協調性のある私は、相手が饒舌であればこち らも同様になる。むろんそれはそれで苦にな らぬのだが、口は達者でも饒舌は私の本性で はない。 話材は声に出すよりも考えているほうが好き なのである。だから物静かで口数の少ない女 と一緒にいると、ふしぎなほど心が安らぐ。 世の中はアメリカ流の自己表現が盛んになっ て、そうした物言わぬ女がいなくなってしま った。 「わたしって――」「わたし的には――」な どという一人称から始まる対話の氾濫には辟 易する。どうして君という人を想像させてく れないんだね、と私はいつも心の中で呟く。 古来わが国の礼式には、わたしごとを避ける といううるわしい伝統があった。「わたくし ごとで恐縮ですが」と前置きをせぬばならぬ くらい、一人称主語による会話は無礼とされ てきた。 たとえば、たそがれの並木道を歩みながら、 物言わぬ女の性格やら胸のうちやらを、あれ これ想像することは楽しい。 わずかな言葉によってそれらがほんの少しず つ、衣を脱ぐように明らかになってゆく。 私の恋の道筋には、いつもそうした経緯があ ったような気がする。 」》 ■この齢になっても、私は、たそがれの並木 道を、なに語ることもなく、ひたすら歩き続 けたい人がいます。 その人の名はアリダ・ヴァリ。 初めて、ウィーンへ行ったとき、知り合いの 現地の人に会うや否や、開口一番に「中央墓 地に連れてって」と懇願してしまいました。 相手は目を白黒させて、「えっ!」と驚き、 なにも、ウィーンまで来て、真っ先に墓地へ 行きたいなんて、こんなリクエストは初めて だと言います。 「ウィーン中央墓地」内の並木道は、映画の 『第三の男』のラストシーンに使われた場所 です。 並木道をアリダ・ヴァリ(Anna役)が遠くか ら、延々とこちらへ歩いてきて、道端のジョ ゼフ・コットン(Holly Martins役)を無視 して、通り越していきます。 このシーンは一生忘れることのない場面です。 ベルベデーレ宮殿の下宮の横を通り、宮殿の 東側の門から外に出ますと、目の前をウィー ン市電71番線が通っています。南へウィー ン中央墓地に向います。15分ほどでウィー ン中央墓地の第二門に着きます。 門を入ると、眼前にプラタナスの並木道がま っすぐ伸びております。そうです。『第三の 男』のラストシーンそのものの並木道が迎え てくれました。ただただ、夢のようでした。 私の記憶の中では、アリダ・ヴァリがこちら へ向かって永遠に歩き続けています。これっ て恋かしら。 ☆アリダ・ヴァリジョゼフ・コットン ☆第三の男ラストシーン 遠景 ☆第三の男ラストシーン ☆アム・ホーフ (宮廷前広場)の広告塔 ・ここは、ホリーの前に初めて姿を現した  ハリーを追ってきたホリーがハリーを見  失う場所です。 ☆プラーター遊園地 大観覧車 ☆第三の男 [DVD] FRT-005 第三の男 [DVD] FRT-005 ☆第三の男 Youtube動画 名場面集 ☆第三の男 Youtube動画 名場面集アントン・カラスのチター演奏の  魅力的なラストシーンも観られます。 @[名場面ダイジェストPart 2] (つづく) (1360dys-857ent) ☆浅田次郎著『ま、いっか。』(集英社文庫) ま、いっか。 (集英社文庫) ・文庫:272ページ ・出版社:集英社 (2012/11/15) ・さあ、身近の「ま、いっか」について、もう一度考え直して みようか、と。花と読書を愛した青春時代の思い出。巷に氾濫 する美人たちへの忠告。旅と買い物の、とっておきの楽しみ方。 老化について、女の誤解と男の本音。豊富な話題をもとに粋な オヤジ目線で語られるのは、江戸っ子らしいキレの良さと滋味 たっぷりの現代考察。著者の生き方の美学がきらりと光る、軽 妙洒脱なエッセイ集。 自分のために笑え。人のために笑え。いつも背筋を伸ばし、鉄 の心を忘れるな。粋に、一途に、ゆうるりと。浅田次郎が贈る、 軽妙洒脱な生き方指南。 ◎浅田次郎。1951年、東京都出身。自衛隊に入隊、除隊後はア パレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、1991年、 『とられてたまるか!』で、デビュー。悪漢小説作品を経て、 1995年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄 道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、2006 年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、2008年 『中原の虹』で吉川英治文学賞を、それぞれ受賞。時代小説の 他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も 含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 ・浅田次郎

浅田次郎著『ま、いっか。』(51)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(209)

・単行本: 256ページ ・出版社:文藝春秋 (2011/12/15) ・原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、 ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋なしで はとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の俺たちに は、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る衝撃の事実。 日本最大のタブーがいま明かされる! 誰も書けなかった 命 懸けの衝撃ノンフィクション―。 ★ヤクザと原発 福島第一潜入記 ▼△第五章 原発稼業の懲りない面々(27)△▼

・ソープ街は原発バブル・(その3)

ただ、暴力団との関係だけは教えてもらえない
《「――原発の取材に来た女性を店に連れて行ったこともある。 おばちゃんはこちらの要望を快諾し、店の中をくまなく見学さ せてくれた。 ロンドンの大学に留学していた彼女は、「原発作業員の健康管 理」という卒論を書くために帰国し、ツテをたどって私にコン タクトしてきた。 極めてセクハラに近いが、一般の女性がソープランドの店内に 入る機会はほとんどないため、彼女もノリノリだった。 「あんた、うちで働かないかい? ほれ、ここが仕事場、スケ ベ椅子知ってる? 全部教えてやっから。大丈夫、あんたなら ナンバーワンになれるっぺ」 ただ、暴力団との関係だけは教えてもらえない。これはソープ 嬢から聞き出した。 毎回取材する女性を変えた。5回目の女性からはこう言われた。 「ああ、やっと会えたっぺ。嬉しい。あんたの話、みんなから 聞いていたんだ。いい人だって。会いたいなって。暴力団の仕 事もしてるんでしょう」 ――」》 ☆福島第1原発の汚染水タンク ☆化学防護服 デュポン タイベック ソフトウェアIII型 ■福島第1原発:海側フェンス破損 【毎日新聞 東京夕刊】(2013年04月08日) 東京電力は8日、福島第1原発で、放射性物質の海への拡散防 止用に設置している水中カーテン「シルトフェンス」の一部が 切断しているのが見つかったと発表した。フェンスから放射性 物質が拡散したかを分析することにしている。 東電によると、切れたシルトフェンスは6号機の取水口付近。 また、1?4号機と5、6号機の間に魚の移動防止用として設 置した物揚げ場付近のフェンスも切れたという。 8日午前10時10分ごろ、東電の協力企業の作業員が切れて いるのを発見した。当時は強風で波が高く、平穏になってから 修理するという。 ▼東京電力福島第一原子力発電所で、地下の貯水槽から汚染水 が漏れるなどトラブルが相次いでいますが、大きなニュースに 隠されて、この事故もウヤムヤなりませんように切望します。
★☆★福島民報のニュースサイト
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(175)

・新書:224ページ ・出版社:集英社 (2012/1/17) ・本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今 日までの日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、 戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表 しているからだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上 稀に見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サン フランシスコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政 下に置かれ、一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国 の米軍専用施設の約七四パーセントが沖縄に集中しているとい う、このことをさしている。 ★[犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書) ▼△第二部 沖縄 △▼ ・第五章 沖縄に照射される福島〈3〉・

・沖縄と福島――その相違点と類似点・(その1)

沖縄は朝鮮や台湾とは区別された内国植民地であった
《「――一もちろん、沖縄と福島の「植民地」としての位置は 同じものではない(「福島」という名前は、ここでは福島県を 指すと同時に、全国の原発立地地域の象徴でもあるような名前 として使いたい)。 植民地支配は、かっての日本でいえば典型的には朝鮮や台湾な どで行われていたものであり、そこには法制度上も明白な差別 が存在した。 朝鮮や台湾には帝国憲法は適用されていなかったし、戸籍上の 差別その他、イデオロギー的・政策的には「一視同仁」とか、 「内鮮一体」とか呼ばれながらも、その実、差別が厳然として 存在していたことはあらためて言うまでもない。 こうした台湾や朝鮮に対する植民地支配に先立って、明治維新 後いち早く明治政府の琉球処分によって日本に併合されたのが 沖縄であったことはすでに述べた。 旧日本帝国において沖縄は、朝鮮や台湾とは区別された内国植 民地であって、沖縄の人々も朝鮮や台湾に対しては、「日本人」 として植民地支配者の位置にあったということができるだろう。 ―」》 ☆「美ら海(ちゅらうみ)」名護市辺野古  ■米軍海外展開に縮小論 米、財政難で強まる 【沖縄タイムス】(2013年4月10日 ) 【米ワシントン8日=島袋良太本紙特派員】財政削減問題に直 面する米国で、米軍の海外駐留を縮小すべきだとの意見がにわ かに強まっている。 オバマ政権は「アジア太平洋重視」との戦略を掲げているが、 国防予算成立に大きな権限を持つカール・レビン上院軍事委員 長は3月下旬に「私はその方向へはシフトしない」と明言した 上で「沖縄から兵力を削減し、本国へ戻すべきだ」と述べるな ど、戦略の根本部分でも異論を唱えている。   イラクアフガニスタン両戦争が財政を圧迫し、オバマ政権は 国家予算の3割弱を占める国防費の削減を重視している。 ⇒⇒⇒■◇■記事全文へ続く ▼本文には、歴史学者のエリザベス・ホフマン・サンディエゴ 州立大教授は財政難や冷戦終結を挙げ、日本やドイツから米軍 を撤退すべきとの主張も見られます。 1996年、米軍普天間飛行場の移設先として、日米両政府が 県内移設を条件に返還に合意し、名護市辺野古が移設先に選ば れましたが、この合意を金科玉条のように固執しているのは、 なんのことはない、日本政府なのだ。 ・石頭め!

◎◎◎万能川柳20周年記念ベスト版◎◎◎

仲畑貴志・編集  毎日新聞社刊 (2011/4/14) 毎日新聞の「仲畑流万能川柳」に寄せられた作品  の中から、秀逸句を厳選したとっておきの1260句。  20周年記念特別企画として糸井重里氏、南伸坊氏  ら爆笑鼎談も収録。泣いて笑って20年。5年半、  264万句から超厳選。日本のつぶやき傑作集。 ★万能川柳20周年記念ベスト版
・見るほうが恥ずかしから服を着ろ 東京  佐藤千帆
・彼女見てニヤッとわらう元彼女  久喜  高橋春雄
・信号で並んだ人に星教え     二本松 合歓木魔女
 

☆★☆≫ 詩歌逍遙 ≪☆★☆

         佐藤春夫 
・水邊月夜の歌・
せつなき戀をするゆゑに 月かげさむく身にぞ沁む。 もののあはれを知るゆゑに 水のひかりぞなげかるる。 身をうたかたとおもふとも うたかたならじわが思ひ。 げにいやしかるわれながら うれひは清し君ゆゑに。        (殉情詩集) ※佐藤春夫 (1892年4月9日 - 1964年5月6日) 詩人・小説家。和歌山県生れ。永井荷風の教えを得る ために慶應義塾に入り、「スバル」「三田文學」など に寄稿。風刺詩、叙情詩を経て、小説「田園の憂鬱」 により新進作家の声価を得た。「殉情詩集」「都会の 憂鬱」「更生記」また訳詞集「車塵集」など。 ※Wikipedia:佐藤春夫

◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇

芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)侏儒の言葉(遺稿)◇
・知徳合一・
    我我は我我自身さえ知らない。況や我我の知ったことを行に移す のは困難である。「知慧と運命」を書いたメエテルリンクも知慧 や運命を知らなかった。
・芸術・
    最も困難な芸術は自由に人生を送ることである。尤も「自由に」 と云う意味は必ずしも厚顔にと云う意味ではない。〈128〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

その議論を僕にふっかけてくるなよ。
Don't try that argument on me.
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は昨年4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《フレデリック・レイトン》◎◆◎

バッコス祭の巫女(Bacchante)
〈1895年 フォーブズ・マガジン・コレクション、      ニューヨーク、米国〉
フレデリック・レイトン=初代レイトン男爵
(Frederic Leighton,1st Baron Leighton,PRA) 〈1830年12月3日 - 1896年1月25日〉 イギリスの画家・彫刻家。作品は、歴史、聖書、古典的題材に 由來するものが多い。古典主義。レイトンはヨークシャーのス カボローで医者の息子として生まれる。家族はヨローッパ中を 旅行し、息子には数カ国に留学させ、その結果、レイトンは数 ヶ国語に堪能であった。 1840年、家族はローマに移住。父親はレイトンが医者になるこ とを望んでいたが、レイトンが画家になりたい意志を知って応 援する。当時、多くの美術家はロイヤル・アカデミーで学んだ が、レイトンは違ってブリュッセル、パリ、フランクフルトで 学んだ。 レイトンは、新古典主義の様式で知られていたが、中東への旅 は彼に多大な影響を与え、画風はオリエンタリズムへと変わっ ていった。初期の作品は歴史画、特に中世がテーマであった。 1855年、『チマブーエの「聖母子」』はローヤル・アカデミー に展示され、ヴィクトリア女王のお買い上げとなった。まだ、 25歳の若さであった。 レイトンはホランドパークの地域に邸宅を構え、ギリシャ風に 飾られ、「千夜一夜物語」の豪華さと華麗さに彩られていた。 1878年にローヤル・アカデミー会長に選ばれ、20年間勤めた。 芸術家では初めて、卿(サー)の称号を与えられた。しかし、 そのときはすでに重い扁桃炎に侵されていて、同月に逝去。
☆Frederic Leighton ・自画像 1880年
◆Lord Frederic Leighton 【アップロード日: 2010/12/15 Bilder - Lord Frederic Leighton Musik - Pianist: Chitose Okashiro, Komponist: Debussy Preludes from Book I】 ◆Lord Frederick Leighton - English painter and sculptor. 【アップロード日: 2012/01/29 Art History Videos: http://gekos.no/workshop/video.html Frederic Leighton, 1st Baron Leighton PRA (3 December 1830-- 25 January 1896), known as Sir Frederic Leighton, Bt, between 1886 and 1896, was an English painter and sculptor. His works depicted historical, biblical and classical subject matter. Leighton was bearer of the shortest-lived peerage in history; after only one day his hereditary peerage ended with his death.】

◇◆◇マイ視聴コーナー◇◆◇

Bob Dylan - Like A Rolling Stone (ORIGINAL) (アップロード日: 2010/09/26) 【Recorded on June 15-16, 1965, Columbia Studio A, 799 Seventh Avenue, New York City. Claimed as the greatest song ever written by Rolling Stone Magazine's "The Greatest 500 Songs of All Time"】 ☆☆ボブ・ディラン ボブ・ディランBob Dylan) 「風に吹かれて」、「時代は変る」他多数の楽曲により、 1962年のレコードデビュー以来半世紀にわたり多大なる 影響を人々に与えてきました。 〈1941年5月24日 - 〉 ★Wikipedia:ボブ・ディラン