アニメ「キルミーベイベー」の不思議

アニメ「キルミーベイベー」は、先期、放送されたアニメであり、原作は、今も連載されている、4コマ漫画であるが、このアニメ版を見た感想は、メインキャラの
折部(おりべ)やすな
の、「圧倒的な」存在感ではないだろうか。もちろん、この作品は、(たぶん)高校生の、やすなと、殺し屋という設定のソーニャという、同じクラスの、女の子の二人で、
ほぼ全て
の世界が、完結している、いわば、延々と続く、二人だけの「漫才」なのだから、そりゃあ、存在感があってもらわなきゃ困るということだろうが、言いたいことは、そういうことではない。
折部(おりべ)やすなの、存在感は、そのソーニャちゃんに対する「なれなれしさ」にある。殺し屋という設定からも、ソーニャという女子高生は、あまり、この地元で育ってきた、この地元の空気を感じない、転校生的な存在として描かれている(そもそも、外国人なのだろう。あまり、日本の慣習に詳しくない)。
それに対しての、やすなの、ソーニャちゃんへの接し方は、完全に地元仲間への「のり」である。
言うまでもなく、ある子供が、その地元で、幼稚園から小学校、中学と、育ってくれば、そこで、毎回同じクラスになる友達もできるだろう。そういった奴らと「つるんで」毎日毎日、「だべって」育ってきたら、どうなるだろうか。つまり、その、あまりにもの
ハイコンテキスト化
である。問題はこの「自明」さが、その小さい頃から育ってきた、
連続
において、位置付けられていることにある。やすなが、夏には海に行ったり、かき氷を食べ、冬には雪ダルマを作り雪合戦をすることが、
必須行事
であると言うことは、実際に、彼女が、「それまでの人生」でそうしてきた、ということを意味しているわけで、「だから」今年もそれを行うことは「当然」となるわけである。
しかし、この「自然さ」は、こういった地元に「固定」して育ってきた人以外においては、決して自明ではなくなる。
例えば、親の仕事の都合で、日本全国を転校していた子供にとって、自明であることとは、

  • その地域で自明であることに自分を合わせること

の意味であることへの自覚がある。つまり、自分が「自明」と思うことが、この地域での自明と差異があることを受け入れることからしか始められない(これが、ソーニャちゃんの感覚になる)。
同じようなことが、私たちが、田舎から都会に上京してきて、大学生活や就職活動を行うようになるときに、起きている「事態」であることが分かる。
よく考えてみると、このことは、とても「大変」な事態であることが、分からないだろうか。
ある村で育った子供がなぜ、成長するに従って、その村を出ていくのか。
これは、文化人類学的な意味での、各村間の、「血の交流」のような意味で、絶えず、共同体は異分子を受け入れることが必須である、というような方向から、考えてみることも必要なのかもしれない。
しかし、いずれにしろ、近代の日本社会は、その第二次産業の拡大に伴い、田舎から、大量の労働力を、都会に
移動
させる必要があった、ということは注意がいる。
もちろん、江戸時代において、イエ制度の長男主義では、次男以下は、「いらない子」であるわけだから、口減らしの意味でも、江戸などの商業都市に、丁稚奉公に出し、その「奴隷」労働により、彼らは、早死していたとは言える。
しかし、大事なポイントは、近代日本社会の第二次産業は、その人数において、必要としていた数が、圧倒的に多かったわけである。また、この
人口移動
こそが、日本の近代の経済成長を支えてきた面が大きい。第二次産業が「成立」する条件は、なんとしても、どこからかか、「安い労働力」が手に入ることであった。この「安い」ということが、何よりも重要なのである。
安いから、産業が成立するのであって、つまり、賃金が安くても、進んで仕事をしてくれる人を、どうやって「調達」するのかが、第二次産業の全てであったことに、注意がいる。
賃金が安くても、働いてくれる人とは、だれだろう?
よく考えてみよう。
言うまでもない。その「土地」になんの、「縁」もない人ではないか。彼らは、田舎から都会に出てきて、誰も知り合いがいない。誰からも、仕事を紹介してもらえない。しかし、そういった彼らも、この街で生きていかなければならない。
慣れない街で、自分は田舎者の、方言も残っていたり、さまざまな慣習が違っていたりで、コミュニケーションも多少の齟齬はあるかもしれない。
こういった人たちは、そういう意味で、なにもかもを「ツーカー」でやれるとまではいかないが、その欠点を補うに十分の、「低賃金」を、
最初のステップ
として受け入れてくれる場合がある、ということである。
しかし彼ら田舎者は、そうは言っても、全国共通の公的な義務教育は受けているわけだし、今では、テレビを付ければ、全国同じものを放送しているわけで、かなり、共通の話題を持っていると言えないわけもなく、それなりに「共感感情」も成立しうるというふうに、一般には考えられるのだろう。
しかし、私には、このことには、かなり本質的な、日本社会の根幹に関わるような、アジェンダがあると思っている。それは、明治以降の日本社会の変革が、

  • はたしてうまくいっていたのか

という評価にも関わるくらいの、そして、現在の、冷戦体制が終わり、世界的なフラット競争が、より過激に進行している中での、日本のこれからの方向性を考える上でも、非常に重要なのではないか、と。
この関係を簡単に二つに分けると以下になります。

  • 生まれた場所で、ずっ生きていて、付き合いのある友達も、ほぼ子供の頃からの仲間とつるんでいて、やっている仕事も、そこで親がやっていたことと、それほど遠くないものである傾向が多い場合。
  • 進学や就職の関係で、今まで暮らしていた田舎を飛び出し、まったく、勝手も分からない都会の街に、体一つで飛び出してきて、なんとかそこで、仕事を見つけて今に至る。

前者と後者の違いは、その人の「移動」にある。

  • あの人Aの上京移動:田舎土地B --> 都会土地C

ここは、非常に重要なポイントです。ここで、ある人Aは、生まれ育った、田舎土地B、そこでの人間関係を、放り出し、都会土地Cに、生活場所を移動します。ここで、なにが起きるか。ある人Aになったつもりで考えてください。
田舎土地Bにいた時に、通用していた何が、都会土地Cでは通用しなくなり、何が今まで通り通用するでしょうか。
というか、そんなことを、ある人Aは分かるでしょうか?
もしかしたら、あらゆることが、思うようにいかず、毎日、失敗ばかりで、都会は自分の肌には合わなかったと、田舎に帰ってしまうかもしれません。
つまり、ある人Aになって考えるなら、それは、毎日の「実践」によって、日々、確認するしかないわけである。
これは、「恐しい」ことである。
つまり、あの人Aは、上京するまで、田舎土地Bと、さまざまな意味で「区別がなかった」わけである。つまり、あの人Aは、その田舎土地Bに
含まれている
存在であったわけで、田舎土地Bの一部として、厳密な意味で区別されるような関係ではなかった。あの人Aの存在は、田舎土地B
なしには定義できない
関係にあったわけである。

  • あの人A = あの人A + 田舎土地B

ところが、都会土地Cへの上京によって、あの人Aは、田舎土地Bとの蜜月関係が終焉する。つまり、

  • あの人A = (あの人A + 田舎土地B) − 田舎土地B

つまり、あの人Aは、ここにおいて、「なんの根をもたない」
抽象的存在
へと変わったことを意味している。つまり、

  • 田舎土地B内コミュニケーションX:あの人A --> あの人D(∈ 田舎土地B)

の場合、

  • コミュニケーションX ∈ 田舎土地B内「コンテキスト」

が成立していたのだが、上京後は、

  • 都会土地C内コミュニケーションY:あの人A --> あの人E(∈ 見知らぬ他人)

となり、

  • コミュニケーションY ∈ どんな「コンテキスト」とも関係ない「抽象的記号」

となる。ここで、あの人Aは、なんだか分からない

  • 抽象的存在

として、社会と関わらざるをえないことを、次第に「自覚」していくわけである。例えば、田舎土地Bにいたとき、自分があまり自覚なく使っていた一つ一つの言葉は、再度ここにおいて、
抽象的な定義
によって、解釈することを自分は社会に「強いられる」。今までは、自分の身の回りにある、あまりにも自明で、問い返すこともなかった、その言葉は、ことここにおいて、たとえ使ったとしても、だれにも通じることのない
ただの記号
として、「再定義」を自らの日々の生活において、実践しなけれなならなくなる。
しかし、こういった事態は、上記で指摘したように、明治以降の日本の近代システム形成において、最も大きな日本の人々の「感覚」を縛っていたものであるだけでなく、明治以降の日本史を決定していた側面を考えることの必要性を意味していると思われるわけです。

このような「社稷(コミューン)」主義は、どのようにして宗教的神秘主義に結びついていたのか。これについては、政治学者・橋川文三の適切な指摘がある。
「昭和超国家主義の諸相」(『超国家主義 現代日本思想体系31』解説)の橋川は、「昭和維新」運動の先駆をなす朝日平吾安田善三郎を刺殺)や井上日召といったテロリストのうちに、「日露戦争前後から、通常の青年をとらえ始めた煩悶」の典型を見る。彼らは正規の学歴資本に欠けた、概してロウアー・ミドルクラス出身の「遊民」=「故郷喪失者」であり、その「煩悶」の解決を、まず宗教体験に求めた。キリスト教、座禅、日蓮宗などである。また、大陸浪人になったり、有力財界人とのコンタクトを試みて、国事に奔走しようとした。
しかし、もちろん すべて失敗に帰す。彼らの志向は、煎じ詰めて言えば、天皇なり超越的な神なり宇宙なりと、個との直接的な合一を目論む、「媒介者」であろうということであった。その「媒介者」がテロリストとして結実した。その拡大版が、五・位置五や二・二六のクーデターだと言える。
彼らテロリストの「煩悶」の原因は何か。確かに、それは「時代閉塞の現状」だが、別の角度から見れば、超越者と個人とのあいだに分厚い層のようなものが形成されたことを意味する。丸山眞男は、それを「大正期」における「社会」の成立と呼んだ(『日本の思想』)。
端的に言えば、日本における最初の「大衆暴動」と見なされる、日露戦争直後の日比谷焼討ち事件(一九〇五年)や、「大逆」事件に象徴されるような、個人や民衆が直接・無媒介に国家や天皇をおびやかすかのごとき事態を避けるために、その中間領域に「社会」が整備された、というのである。
丸山のこの重要な指摘は幾つか検討を要するが、ここでは、そのまま受け入れておこう。学校システムからドロップアウトを余儀なくされ官僚制度から排除された------つまり、「社会」のなかに隔離され、なおかつ、「社会」から疎外された------青年たちは、宗教的神秘体験によって無媒介に超越的なものへと接しようと試み、ついには、媒介としての「社会」を破壊する「媒介者」としてのテロリストへと転じていくのである。これが、天皇と「社稷」のあいだを隔てる政治家・官僚・財閥を排除しようとするクーデターへと行き着く。
だとすれば、一九二〇年代から一九三〇年代に露呈した超国家主義運動----「昭和維新」運動とは、何とニューエイジ的な運動だろう。宮澤賢治の文学と思想が、正確にこのサイクルのなかにある(と見なされる)ことは言うまでもない。それは、農村コミューンを構想し、日蓮宗国柱会に入信し、宇宙と個人の無媒介な合一を夢見た。いや、そのことゆえに、一九七〇年代から一九八〇年代のニューエイジ的思考に称揚された。宮澤は、ただ表立って超国家主義運動----「昭和維新」運動に直接にコミットしなかっただけに過ぎない。

反原発の思想史―冷戦からフクシマへ (筑摩選書)

反原発の思想史―冷戦からフクシマへ (筑摩選書)

上記の引用において、丸山眞男の『日本の思想』という新書が引用されているが、この新書を読み直してもらえると分かるが、丸山が最もこだわっているのが、こういった、明治以降の日本社会システムの変更によって、日本人が
都会化
されながら、まったくそれらを「血肉化」していない状態で、なんともいえない、田舎者の都会での「情念」だけが、まるで、亡霊のように徘徊し、根無し草のまま、社会を「不安定」にしているその有様だったと、受け取れるわけである。

日本の近代文学は「いえ」的同化と「官僚的機構化」という日本の「近代」を推進した二つの巨大な力に挟撃されながら自我のリアリティを掴もうとする懸命な模索から出発した。しかもここでは、(1)感覚的なニュアンスを表現する言葉をきわめて豊富にもつ反面、論理的な、また普遍概念をあらわす表現にはきわめて乏しい国語の性格、(2)右と関連して四季自然に自らの感情を託し、あるいは立居振舞を精細に観察し、微妙にゆれ動く、「心持」を極度に洗練された文体で形象化する日本文学の伝統、(3)リアリズムが勧善懲悪主義のアンチテーゼとしてだけ生まれ、合理精神(古典主義)や自然科学精神を前提に持たなかったこと、したがってそれは国学的な事実の絶対化と直接感覚への密着の伝統に容易に接続し自我意識の内部で規範感覚が欲望や好悪感情から鋭く分離しないこと、(4)文学者が(鴎外のような例は別として)官僚制の階梯からの脱落者または直接的環境(家と郷土)からの遁走者であるか、さもなくば、政治運動への挫折感を補完するために文学に入ったものが少なくなく、いずれにしても日本帝国の「正常」な臣民ルートからはずれた「余所者」的存在として自他ともに認めていたこと----などの事情によって、制度的近代化と縁がうすくなり、それだけに意識的な立場を超えて「伝統的」な心情なり、美感なりに著しく傾斜せざるをえなかった。

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

田舎から都会へ出てくることによって、人々は、その土地(共同体)と、自分との繋がりが「切断」される。そうすることによって、まず起きることが、

  • 言語の脱自然化

である。言葉は、幼少時の頃から、自分を取り囲んでいた「自明」ななにかではなくなる。そして、次に起きることが、

  • 自らの脱自然化

である。言葉の非自明性は、自分に「とっては」、自分をとりまく、あらゆることが自明でなくなることを意味し、社会は

  • メタ社会

となる。社会とは「自分が自然であり自明であると思っているなにか」ではなく、「自分とはなんの関係もなく、自分が知っている何かによって、言語によって、定義されるもの」へと変貌する。つまり、

  • 社会の形式化

である。こういった延長に、大正生命主義も位置付けられるだろう。自分が人間であり、動物であることは、あまりにも自明であり、今さら問いなおすことではないはずなのに、こんな基本的なことにさえ「定義」を求めずにはいられなくなる。
自分と社会を繋ぐもの(社会に受け入れられているという実感)が希薄になるほど、宗教体験への親和性が高まる。この宇宙。地球。生物。動物。人間。これらは、地域共同体の中で暮らしているときは、そういった
地域社会によって媒介された(年配者から、その「意味」を、彼らの振る舞いから真似し、受け入れていた)
自明な、ただそこにあるものだったはずなのに、そうではなく、自らが「定義」によって、解釈し、
無媒介
に、「自分と直接に関係のあるもの」として、「直面」するようになる。国家や社会制度も同様である。地域共同体の中で育っていた頃は、私たちは国家と、直接に対面することはなかった。常に、その地域共同体という
宇宙
を媒介として、国家に通じるだけであったが、その地域社会からの離脱により、国家は、私たちの間に、なにも挟まることなく、「それそのもの」として、たちあらわれてくる。私たちは、この国家と対面することで、この国家に
直接に意見する
ことでさえ、イメージの中では普通の感覚となる。国家が自分の目の前にあるということは、この国家へ自分が働きかければ、
操作
できる、という感覚であり、これが暴力を介してイメージされるとき、テロリズムとなる。
上記の引用にもあるように、明治以降の日本の国家システムは、こういった庶民の暴走を、どのように、制度的にコントロールしていくか、に重点があったと思われる。
天皇制の儀式化の肥大化も、さまざまな検閲も、もっと言えば、日本の侵略戦争でさえ、こういった個人が暴走し、国家と「さしちがい」をしてでも、自分のイメージに殉じる人々を、なんとかして抑えるための、社会的な防波堤として、社会システムをこのようなもので、重層化し、個人と国家の間に、さまざまな社会制度を介在させることを意図していたもの、と解釈できないだろうか。
しかし、戦前の結末を知っている我々には、果してこういった取り組みが、どこまで成功していたのかは、はなはだ疑問である。日本が戦争にのめりこんでいく過程は、まさに、右翼テロと表裏一体に進む。
ひるがえって、戦後の日本社会はどうか。
言うまでもなく、上記の状況は、何も変わっていない。同じように、田舎者は東京に出てきて、より多くの人が、都会で生活し、日々を送っている。そして、だれもが、上記で検討してきたような、自分の中にある、

  • 二人の自分

に戸惑いながら、日々を生きているわけである。
では、日本の人々は、たんに、こういった日々に戸惑うだけで、これに抗うことも、なにもできず、今まで、流されるまま、欝感情を深め続けてきただけだったのだろうか。
前々回において、アニメを中心とした、オタク的文化を「無縁所」として再評価を試みたが、例えば、こういったものの文化的な隆盛を、上記のような、社会的な矛盾に対する、精神的な
対抗運動
として、評価することもできるのではないだろうか。
アニメ絵とは、一種の、プログラミング言語の意味での、「プログラム」の一種と考えることができると考えている。例えば、アニメ絵で描かれる女の子の顔の特徴は、実際の
リアルな人間の顔
とは違うことが、共有されることだと考える。そうすることによって、これが、リアルな人間社会での人間関係とは、別の「記号」として、示唆されているという、「メッセージ」をより抽象化された形で、受け取るわけである。
もっと言えば、アニメ絵で女の子の顔が描かれたとき、それは、
一つの文字
とさえ言っていいくらいの、
コード化
に成功していると考えられる。上記で指摘した、

  • メタ社会
  • 社会の形式化

において、この「矛盾」をブレークスルーする手段は、この「矛盾」の「徹底化」しかありえない。つまり、社会は、その細部の一つ一つにおいて、
形式化(=ゲーデル・コード化)
を、プレインストールしていくことが、求められる。
近年のライトノベルを中心とした、こういったアニメ・サブカルチャーで描かれている物語は、上記で検討したような、

に、

  • 非日常(コード化された、セカイ)

をインストールすることによって、日常の自明性を揺さぶるようなものばかりだと言っていい。しかし、このワンパターンは、

  • 日常

が、一人一人にとって、違っているという意味において、差異化されており、そういう意味において、簡単には、
フラット化
を許さない、どこか、ドゥルーズリゾームを思わせるような、膨大な多様性化を帰結させている。
もちろん、そういった「日常」の差異を、縮減し、都会的生活モデルに、整理することは容易であり、実際にこういったことを主張している人はいるのだろう。
しかし、上記で分析してきたように、もしそんなことが本質的な意味で可能なら、日本の近代化がここまで苦労することはなかったはずである。実際に、さまざまなサブカルチャーが、後から後から、絶えることなく、現れるのも、作者たちの、
違和感(地元の作法との差異)
から、生み出されていることは間違いないわけで、そういったものが受容されているということは、こういった認識が今も多くの都会で暮らす田舎者に強く存在していることを証明していると考えられないだろうか...。
アニメ「キルミーベイベー」の
折部(おりべ)やすな
の、あの、はっちゃけた感じも、こういったものの延長に定義できるのではないですかね...。
(こういった分析が、オタク空間の「無縁所」的な性格の必要性(需要)の、理論的な補強になっていれば、いいかな、と...。)