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服と明日のおしゃれなカンケイ

2017.05.21

『OMOHARA写真展』@東京新聞

5月19日付の東京新聞に、東急プラザ表参道原宿で5月いっぱい開催されている『OMOHARA写真展』をご紹介いただきました!

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「70年代以降も原宿は常にファッションの街であり続け、集まる人がその文化を守ってきた」と中村さん。←記事より

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そして今、私が原宿で一番守りたいのは建て替えが決まった原宿駅において、この歴史ある駅舎を残すことです。

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奇しくもこの日は、国会において共謀法が強行採決された日。

この国における言論思想の自由も、断固として守るべきものと思っています。



取材してくださった東京新聞の神野光伸記者に感謝します!

2017.05.11

「スナックよね」 米原康正さんとトークしました!

今年4月に原宿に開校した「東京ファッションテクノロジーラボ」で、今後毎月開催してゆくトークイベント「スナックよね」の初回ゲストとして、よねちゃんこと米原康正さんに呼んでいただきました。

よねちゃんと知り合ったのは90年代、仕事を通してでしたが、当時、よねちゃんは編集者。45歳から写真を始めたよねちゃんは、今や、中国に230万人のフォロワーをもつ人気カメラマンです。

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この日、参加された編集者の萩原収さんがフェイスブックに投稿して下さったレポートをここに転載させていただきます。(私の隣にいるのが萩原さん)

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5/5、原宿の“Tokyo Fashion technology lab”で開催された「スナックよね」に行ってきました。

米原康正さんが原宿のカルチャーを発信する主宰企画で、その第一回目のゲストが中村のんさん。『70' HARAJUKU』の写真展、写真集で今や、70年代の原宿を語る第一人者になってしまった感もあります。

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話は原宿カルチャー伝説の梁山泊であった喫茶店、レオンから始まり、クリームソーダ、ゴローズ、MILKなど、店というより、人の面白さがメインになるような話題が盛りだくさん。

パンクの影響を受けて、熊本から「東京に来たら全員パンクだと思った」というよねちゃん。当時の東京はサーファー全盛で、パンクは浮きまくり。サーファーのほうがモテるとばかり、即座に宗旨がえしたという話。ナイロン100%でバイトして、ツバキハウスに通ったりもしていたそうです。

オレは原宿にはあんまり足を踏み入れなかったけれど、新宿には新宿の、渋谷には渋谷のカルチャーがありました。いや、カルチャーというおしゃれ文化的なものではなくて、なんというか、それぞれの磁場のようなものが明らかに存在していたのです。

その街に行けば、こんな感じの店がある、こんな人がいる、その店に行けば誰かしら仲間がいる、といったことが街と人を育てていたわけです。今は、おそらく、携帯電話とネットの普及によって、その場にいなくても、どこかで集まらなくても、何かが共有できてしまう。でも、そこには何かあるようで実は何もない、地面がないところには花も育たないのでした。(by 萩原収)


70年代のファッションやカルチャーが大好きな20代、30代の人たちが大勢集まってくださいました。自分が生まれる前のことなのに、私よりも知識が豊富で、トーク後のパーティで会話して、私が舌を巻く場面も。

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トーク後、写真集を買って下さる方もたくさんいて嬉しかったです!

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ファッションの街・原宿に、世代を超えた文化交流の場を作りたい、そして、世界に羽ばたく人材を育ててゆきたい、その思いで開校した東京ファッションテクノロジーラボ。

これからの活動を見守り、応援してゆきたいです!

※東京ファッションテクノロジーラボのブログからも「スナックよね」のレポートをお読みください。

http://tfl.tokyo/blog_snackyone_vol1/

※NumeroTOKYOのWEBでもトークの様子を掲載していただきました!

https://numero.jp/yonethropology05/


※よねちゃん(米原康正)に関する記事。

http://logmi.jp/137707

https://compass-media.tokyo/interviewlist/yoneharayasumasa/

2017.05.03

OMOHARA写真展

4月28日から始まった東急プラザ表参道原宿の5周年記念イベント『OMOHARA写真展』のディレクターとして参加させていただいています。

この写真は、染吾郎さん撮影のクールス時代の舘ひろしさんとモデルの鹿間ケイさん。

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70年代、多くの若きクリエーターたちが事務所を構えていたセントラルアパートは、原宿カルチャーの発信地として今や伝説です。

そのセントラルアパートがあった土地に建つ東急プラザで「ファッションの街・原宿」の歴史を伝えるイベントを5周年の企画として開催されることは個人的にも嬉しいことであり、

この企画を立て、私をオファーしてくださった方にとってのきっかけが、写真集『70’HARAJUKU』と、私のイベント「70’s 原風景 原宿」への感動からというのは、とてもとても嬉しく光栄なことです。

3階のエレベーターホールがメイン会場。

無料配布のポストカードも置かれています。

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3.4.5階のエスカレーター脇のガラスの手すりに、染吾郎さん、野上眞宏さん、横木安良夫さんの写真が展示してあります。

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5月31日まで開催する70年代に続いて、8月には80年代、12月に90年代と、年間通してディレクターをやらせていただきますが、80年代、90年代に関しての写真集めはこれからです。

どこまで集められるかドキドキですが、「この時代の原宿で撮ってたよ」「撮ってた人を知ってるよ」という方は、情報をいただけると嬉しいです。

5階から6階のスターバックス&おもはらの森に上がる階段に貼られている年間イベント告知のポスター。

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70年代は横木安良夫さん

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80年代は達川清さん

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90年代は青木正一さん

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の写真です。

館内には私の下手な(笑)手描きの地図も展示されています。

写真に写っている場所を地図で確認できます。

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2014年11月、ほんの思いつきから乃木坂の小さなギャラリーで開催した中村のんプレゼンツ「70’s 原風景 原宿」。ほんの思いつきではあったものの、熱い思いを込めた写真イベント。あれから3年経たないうちに、共感してくださった人の思いによって、このような展開になったことに驚きと感謝いっぱいです。

ささやかな展示ではありますが、

大勢の若いお客様が来館される東急プラザ表参道原宿に

70年代の「はじまりの息吹」を吹かせることができたら本望です。

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本日5月3日(水)は、13時〜16時まで

3階のスペースで写真集の販売員として立ってます。

お近くにいらしたら是非遊びにきてくださいね!

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2017.04.02

さようなら ありがとう ソニービル&ケイタ・マルヤマ、コレクション

3月31日、50年間の幕を閉じた銀座のソニービル。

誰に言ってもすぐわかる待ち合わせ場所でもあった銀座の象徴が消えることに寂しさを感じます。

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とくに個人的には、一階のパブカーディナルは、六本木の同店がなくなったあとの貴重な場所でした。

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そのパブ・カーディナルで、3月23日に丸山敬太さんのコレクションが行われました。

ケイタさんのお洋服を楽しみにすると同時に、これが最後のパブ・カーディナルという気持ちで来たお客さんたちで、店内はギュウギュウの熱気の盛り上がりでした。

ケイタさんのショーは毎回演劇的で、お洋服はさることながら、目の前に広がる世界そのものにうっとりですが、場所柄、普段は会社帰りのお客さんたちで埋められることも多い店内が、レトロでアンニュイなモデルたちによって、フランス映画の世界のように。

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パブ・カーディナルってなんて素敵なインテリアだったんだ、と改めて思いました。年季による汚れた天井も、擦り切れた階段も、色あせたソファの色も、年月を感じさせるバーも、すべては時間が創り出した美の味わい。これから作ろうたってすぐには作れないことを思うと胸が痛む気持ちにさえなりました。

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そういえば、昨年の夏は、「さようなら渋谷パルコ」、そんなタイトルのブログを書いたっけ。

あって当たり前と思っていた思い出いっぱいの物が街から消えてく寂しさは、単にノスタルジーだけではないような気がします。

ケイタさんが創りだすお洋服は「温故知新」の大切さ、素晴らしさをいつも教えてくれます。

「その街ならではの文化を発信してきた場所」「多くのものを受け取ってきた場所」、そして「ひとつの美」が消えてゆくことへの寂しさなんだろうなと自己分析。

最後にソニービルに訪れた目的がケイタさんのショーだったことは、私にとって(きっと来た人全員にとって)最後を飾るにふさわしいことでした。

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2月に行った「It's a Sony展」では半世紀以上にわたってソニーが創り出してきた技術、そしてデザインの美しさにも感動させてもらいました。

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これは、1979年に発売された初代ウォークマン

発売されてすぐワクワクしながら買った気持ちを思い出しました。

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さようなら、ありがとう、ソニービル。また会う日まで。

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ソニービルの始まりはこんな風景だったんですね。

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2017.02.26

トシちゃんへの感謝をこめて

「トシちゃん」の愛称で親しまれてきたプラスチックス中西俊夫さんが、2月25日、天に召されました。

今年の1月13日、トシちゃん61歳のお誕生日にアップした、私が運営するサイトの「70年代原宿、思い出のあの店、あの場所」にトシちゃんが寄せてくださったエッセイを、哀悼の意をこめて、貼り付けます。

http://www.nonnakamura-presents.com/relayessay/cafe/toshio-nakanishi/

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執筆をお願いしたのは、昨年のクリスマス、退院されたのを知ったときでした。

その三か月前の9月に、自分が食道癌であることを、フェイスブックで告知したトシちゃんは、その後の闘病の様子を毎日のように、フェイスブックに投稿し続けていました。

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トシちゃんの様子を遠巻きに知っていながら、あまりにもデリカシーのない行為かと大きく迷いながらの思いきってのお願いでしたが、fbのメッセージでお願いを送った途端、「書きたい!ありがとう!」というお返事が返ってきました。

ただし、「今はまだちょっと体力的にきついので、もう少し元気になったら書きたい」とのことでした。

執筆に体力が必要なことは、私も身をもって重々知っています。なので

「もしよかったら、fbのメッセージに、つぶやきを送ってくれたら、それをこちらでまとめますよ」とお返事をしたら、「了解。ではつぶやきで」とすぐに返事があり、それから年末までの毎日、朝から夜中まで、fbのメッセージで連続して送られてきた「つぶやき」の数は何十にも及びました。

途中、「どこどこにあった何々の名前は何だったっけ?」といった質問もあったり、答えると「そうだ!何々だったね」といったおしゃべりをしながらの原稿のやりとりでした。

つぶやきを繋げてみたら文章として完璧で、私が手直しする部分はまったくありませんでした。

年末の約1週間、トシちゃんと毎日交わしたメッセージのやりとりの中には、

トシちゃんの生年月日が1956年の1月13日、私が1956年の1月14日の一日違い、私の娘の誕生日がトシちゃんと同じ1月13日とわかったことから、

「奇遇!縁だね!」なんてトシちゃんからメッセージがきたりしていました。

原宿デビューの時期が同じ頃だった、同じ学年、同じ東京っ子のトシちゃんとは、70年代から、同じ場を共有していることは何度もありましたが、挨拶を交わす程度で、親しくしてきたことはまったくありませんでした。

共通友達が何人もいたものの、テクノが台頭してきた時代にキラ星のように現われたアーティスト集団のバンド、プラスチックスは、私にとって「最高におしゃれな時代のスター」であり、隣にいても気軽に声をかけられる存在ではない感じでした。

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そのトシちゃんと「奇遇!縁だね!」と言葉を交わし合ってから2か月後に届いた訃報に言葉もありません。


昨年2016年の1月29日、トシちゃんも私も十代の頃から大好きだったデヴィッド・ボウイが1月10日に★になったことを受けて開かれた追悼の意の「デヴィッド・ボウイナイト」では、ボウイの曲を振り付きでキレッキレで歌ったトシちゃんでした。

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「いなくなっちゃって悲しいね」「うん、悲しいね」

シンプルな言葉を交わし合っていたあの日が、つい昨日のことのような

遠い昔のことのような気もしている今ですが、トシちゃんはきっと、もうすぐボウイに会えるんだね。あちらの世界には国境もなく、お金もないから旅費もいらなくて、「思えば目の前に現れる」と、昔、何かの本で読んだことがあるから。

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宣告されたその日に、自らの病気を公表したトシちゃん。

頬がこけてゆきながらも、毎日の中で、それでも楽しんでいる写真をフェイスブックに投稿し続け、家族や友達への愛と感謝を発信し続けていたトシちゃん。

エッセイを書き終わって、「ありがとうございました」とお礼を送ったら

「こちらこそありがとう。とても楽しかった」と書き送ってくれたトシちゃん。

そして、私へのメッセージのトシちゃんの最後の言葉は

「何かに繋がってゆくと良いですね。残していかないと。」でした。

「残していかないと」というトシちゃんの言葉を胸に、トシちゃんの最後のエッセイをどうかお読みいただけますようお願いいたします。

http://www.nonnakamura-presents.com/relayessay/cafe/toshio-nakanishi/


1日違いのお誕生日の同時代を遊んできたトシちゃんからもらった「残していかないと。」という言葉、永遠に胸に刻み、響かせ続けます。

どうか安らかに。

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