Hatena::ブログ(Diary)

服と明日のおしゃれなカンケイ

2016.05.29

感動の結婚式

感動の結婚式から一週間が過ぎました。

2016年5月21日、土曜日、場所は新宿パークハイアット

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「来場してくださるみなさんに、できるたけ楽しんでいただきたい」

その思いがたっぷり込められた披露宴について、ここに残しておきたいと思います。

招待状から、テーブルに置かれたメニューまで、

印刷物はすべてグラフィックデザイナーである新郎新婦がデザインしたものでした。

参列者の各席には、新郎新婦からの手書きのメッセージカードが置かれていました。

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特筆すべきはお料理。

ムサ美多摩美卒の二人がリスペクトするアーティストをピックアップして、

「世界の偉大なるアーティストたちの作品をインスピレーションに」というテーマで、

パークハイアットのシェフにオーダーしたお料理の数々。

「こんなオーダーは初めてです」と、シェフも張り切ってくださったそう。

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最初のお皿はモンドリアンからのインスピレーションで作られた

「サーモンと白海老のタルタル ブラックオリーブクランブル ビーツラディッシュ 蕪

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二品目、クロード・モネから 空豆の冷製クリームスープ

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我が家の近所の公園にある今まさに!の池の様子が目に浮かびました。

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草間彌生からは金目鯛の松笠焼き コリアンダーの泡 マイクロトマトと水茄子

(これは単品で撮り忘れました)


アンディ・ウォーホルからは仔牛フィレ肉のロースト 

バルサミコバジルのソース ゴールデンビーツと人参 胡瓜

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カンディンスキーからは マスカルポーネムースとピスタチオアイスクリーム 

さくらんぼグリオットチェリーコンポートとソース

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ジャクソン・ポロックからは ベリーのショートケーキ

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参列者には美大出身、クリエイターも多かったので、お料理がでてくるたびに、

「おー!」「なるほど」と感心した声が上がりました。


新郎新婦の雛壇はなく、料理が出てくるたびにお客様たちの各テーブルを新郎新婦が回って着席し、

そこで談笑するという趣向も、パークハイアットにとっては前代未聞のアイデアだったそうですが、

スタイリッシュなインテリアの部屋が和やかでカジュアルな雰囲気に満ちて、大成功でした。


一週間経った今も、参列した友人たちから

「今まで行った結婚式の中で、最高の、心に残る結婚式だった」

「あんな心あたたまる結婚式は初めて」

「今でもまだ興奮が冷めない」

等々、嬉しい言葉が届いています。


どんな挙式と披露宴になるのか、私もほとんど知らされていませんでしたが、

息子とお嫁さん、お祝いにいらしてくださったみなさん、

そして、このハレの日に関わってくださったスタッフのみなさんにも、

感謝感謝の最高の結婚式でした!

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私もまだ幸せと興奮が冷めません(笑)

2016.04.26

植田正治トーク後の、あまりにも個人的な驚きのシンクロ

録画しといたBSフジの「松本隆スペシャル−置き去りにできない歌物語」を観ました。

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「置き去りにできない曲」の2曲目として、松本さんは南佳孝さんの「冒険王」を取り上げました。そして「子供の頃、山川惣二の『少年ケニア』が大好きだった。秘境もの、魔界ものに育てられた。そういうものを読んで育った人たちの少年期を歌にして残してあげたい。それが僕の使命でもある」と語られていました。

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「山川惣二」といえば、先週の金曜日にやった「植田正治写真展」のトークで、スタイリストのはたきみえさんが「植田先生と初めてやったお仕事は山川惣二さんのポートレートだった」と語られた人!

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久しく聞いてなかった「山川惣二」の名前をこんなに立て続けで聞くことになるとは!


そして「冒険王」といえば、昔、松本隆さんがやられていたwebマガジンの中の「松本隆の曲のタイトル」をお題としてのリレーエッセイの中に執筆することになった私に割り当てられたお題が「冒険王」だったのでした!

そこで私は大瀧詠一さんのレコードジャケットのスタイリストをやったときの冒険的エピソードについて書きました。

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そして「風のように生きていきたい」と言う松本さんと、はたさんが「風のような人だった」と言ってた植田正治さん。

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そういえば魂が、どこか似ている感じもするお二人。

「松本隆」と「山川惣二」と「植田正治」と「冒険王」が

私の中で(勝手に)一気につながった感。

キーワード「少年」!!

2016.04.23

植田正治LOVE!

4月16日から渋谷のアツコバルーで開催されている『「あの時代(とき)のホリゾント」植田正治ファッション写真展』

http://l-amusee.com/atsukobarouh/schedule/2016/0416_3617.php

昨日はそこで行われたトークショーに出演しました。

相手は、植田正治のファッション写真において欠かせない存在だったスタイリストのはたきみえさん。

そしてスペシャルゲストに菊池武夫先生。

私は、意外にもこの場が初対面となるお二人のつなぎ役、トークのナビゲーター役としての参加でした。

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植田正治さんがファッション写真を撮られるようになったのは70歳になってから。

きっかけは、1983年に発表された菊池武夫さんのブランドの広告でした。

そのきっかけを植田さんに与えたのは、アートディレクターの植田さんの息子さんである植田充さんでした。タケ先生は充さんとは、60年代からの遊び仲間だったそう。

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写真家・植田正治の大ファンだったはたきみえさんは、その広告を見て、植田さんは、こういうお仕事もされるんだ!と思い、すぐに植田さんにお仕事をお願いしたそう。

最初にやられた山川惣二さんのポートレートのお仕事

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そして、そこから何年間も植田さんのスタイリストとして多くの時間を過ごすことになったそうです。

1988年には、L'UOMO VOGUEの日本特集の号が「植田正治のファッショングラビア」に多くのページを割きました。(ほんの一部をアップします)

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もちろんこのときのスタイリストもはたさんです。



私が植田正治さんがお会いしたのはたった一回。

双子の息子たちが子供のファッション雑誌『セサミ』のグラビアページで植田正治さんのモデルに起用されたときでした。

当時、彼らは5歳。スタイリストはもちろん、はたきみえさんでした。

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そのときのヴィンテージプリントは、我が家の末代までの家宝です!

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昨日、会場に来た息子たちを砂丘のホリゾントの前で、植田さんの写真と同じ並びで撮影しました。

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これは会場にいらしてた写真家の達川清さんが撮ってくださった息子たちと私。

砂丘にでジャンプする親子!滅多に撮れない嬉しい写真、嬉しい!

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はたさんは昨日、植田正治さんとお仕事した頃の「撮影ダイアリー」を会場に持ってこられました。

それを見たら、なんと!息子たちが植田さんに撮られた日は、30年前のまさに昨日と同じ月日の4月22日でした!

でも、その驚くべき嬉しい偶然をトークで言い忘れてしまったことをあとからものすごく後悔(>_<)


テーブルに置いてあるのははたさんの撮影ダイアリー3年分。

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1日1ページを20年間、20冊のダイアリーがあるそうです。

スタッフの名前からモデルのサイズを書き込み、ポラロイドはもちろん、お弁当の包み紙からチケットに至るまで、その日の記録を貼り付けたノートは、もはやアートでした!

はたさんが、いかに愛をもってお仕事をやってこられたか、同業者として頭が下がる思いでした。

そして個人のダイアリーの枠を超えて、今や、ファッション撮影の歴史資料としても貴重です。

誰か本にして!あ、私か(笑)

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植田さんとお仕事をされていた頃のはたさん。

「愛されていた理由」がわかる気がしますw

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一般的に「ストイックな孤高の人」とイメージされがちな植田正治さんですが、

はたさんが語られた植田さんの実像は、「子供のように好奇心旺盛で、マイペースで、ニュートラルで、お茶目で、とてもオシャレな方」だったそう。

はたさんのお話を聞きながら、「実像・植田正治」と「実像・菊池武夫」が、私の中でかぶりました。

トーク後、会場に来ていた何人ものカメラマンたちから次々に撮られながら、「なんだか遊ばれてますね(笑)」と、なんだか楽しそうなタケ先生でした。

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終わったあと、参加してくださったみなさんから「とても楽しかった」と言う声をたくさん聞けて嬉しかった。

そして、今日、参加してくれた友達が電話で「植田正治の作品に囲まれて、はたさんから植田正治の軽やかな人柄を聴きながら、タケ先生の柔らかいお人柄と、はたさんのチャーミングさがミックスして、会場がとてもピュアな雰囲気に包まれていて、なんとも気持ちのいい時間だった」と言ってくれたことでとても幸せな気持ちになりました。

昨日は、植田正治さん、充さん親子も、天国から、タケ先生とはたさんが出会い、お話をしている様子を見て、喜んでくださってる、そんな気がしてならなかったです。

タケ先生、はたさん、そして、この写真展のディレクターである写真家の五味彬さん、アツコバルーのスタッフのみなさん、ご参加くださったみなさん、本当にありがとうございました!

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2016.03.13

柳本浩市さんのこと

発売されたばかりの「Casa BRUTUS」を買った。特集「収納のルール」。

この中の118ページに見開き紹介されている柳本浩市さんは、ご自分が取材されたこの本を手にすることなく、3月4日に46歳という若さで天国に旅立たれた。

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私は柳本さんのことをよくは知らない。

昨年初めてお会いしたときを入れて、4回しかお会いしたことがない。

しかも、そのうちの2回は道ですれ違っただけだ。

けれど、人は100回会っても印象に残らない人がいる。何度会話を交わしても親しくなった気がしない人がいる。

その反対に、1回しか会ってないのに強く印象に残る人がいる。少ししか話してないのに、共感し合える人がいる。

そういう意味で、柳本さんは私にとって、明らかに後者の人だった。

そして、よく知らないながらも、「大好き」と言いたい人だった。


柳本さんが突然他界されたことを知ったのは3月7日のことだった。フェイスブックでだ。大きなショックを受け、ものすごく動揺した。

急逝された二日前に柳本さんは金沢で感激した食のことを書いておられ、亡くなられる前日にも社会に向けたことを投稿されていた。



少ししか知らないのに、私が知っている限りの柳本さんのことをどうしても書き残しておきたい気持ちが抑えられず、キーボードに向かっている今です。


私が柳本さんと初めてお会いしたのは昨年(2015年)5月のことでした。

9月に私が原宿でやるイベント『70's 原風景 原宿』と並行して、8月に発売する写真集『70'HARAJUKU』の記念イベントとして、代官山蔦屋書店でも70年代原宿の写真展をやらせていただくことになり、その打ち合わせの場で蔦屋の方から紹介されたのでした。

柳本さんはとっくに有名な方だったのに、無知な私はこのとき初めて「柳本浩市」をいう名前を知ったのだった。

その場の前半では、私がなぜ「70年代原宿」にこだわるのか、その話に黙って耳を傾けて下さってた柳本さんだった。

途中、柳本さんがポツンと言われた一言に、突然興味を惹かれ、そこからは打ち合わせそっちのけで身を乗り出し、柳本さんに質問しまくった私だった。

小学生の頃から山梨の甲府から一人で電車に乗って、原宿に遊びに来ていたこと。

当時「原宿の表玄関」と言われていた、今や伝説の喫茶店「レオン」に、小学生ながら一人で入っていたとこと。

幼稚園の頃から、実家の本屋に並んでいる本は、雑誌を含め、すべて読破していたこと。

小学生の頃からサザビーズのオークションに参加していたこと。

リュックサックの中には親も知らない札束が入っていたこと。

ありとあらゆる情報をスクラップすることは幼稚園児の頃からやっていたという話。

代官山蔦屋書店に並んでる以上の本を所蔵されていること。


そんな話を聞きながら、次から次へと質問しまくった私でした。

芝居やコンサートに行って渡されるチラシもすべて持ち帰り、インデックスを付けてスクラップしているという柳本さんに

「たとえば、NODA MAPのチラシ、主役は宮沢りえ、衣装がひびのこづえの場合、それはどのインデックスに入れるんですか?」とお聞きしたら

野田秀樹、NODA MAP、宮沢りえ、ひびのこづえ、可能な限り、そのすべてです。そのために、同じのを10枚もらってくることもあります」という答えにのけぞりました。

「たとえば、世の中にコレクターが山ほどいる切手、そういう平凡なものも集めているんですか?」とお聞きしたら

ブルータスの切手特集で紹介された切手は、ほとんど僕のものでした」と、少しも自慢げでなく、さらりと答えらえた柳本さん。

あまりにもつまらない誰もが捨ててしまうようなものも集めているのを知って、「なぜ?」とお聞きしたら

「山ほど作られていて誰もがすぐに捨ててしまう物こそ、この世に残らないでしょう。でも、そういう物こそ、この世から消えた将来、その時代を象徴するものになったりすることもあるんです」と。

そう仰る柳本さんは、私がそのとき制作中だった写真集「70'HARAJUKU」にもとても共感してくださったのでした。


日々更新しながら作っているスクラップのすべてをスキャンしてクラウド化することが夢だと語っていた中で、とても印象的な言葉がありました。

「たとえば、70年代原宿のことを知ろうと思ったら、『70年代』『原宿』というワードを打ち込んで検索しますよね。でも、僕はそこにエモーショナルな要素を入れた検索方法を考えているんです。たとえば『せつない』という感情にヒットする『70年代原宿』の情報といった感じに。

僕が目指しているのは情報の、いわばDJなんです。DJは、楽しい曲とか寂しい曲とか、場の空気や人の感情を読み取って曲を選ぶでしょう。僕は情報のそれをやりたいんです」

「情報を集めまくってクラウド化することについては、幼稚園の時から考えていました」

「えええ???柳本さんが幼稚園の頃は、コンピューターもまだなかったでしょ?」

「ええ、でも、なんか、いずれそういうものができることを、なんとなく知っていた気がするんです」

ただただ絶句だった柳本さんとの初めての会話。

そして帰り道は、自分がやる企画のことよりも、柳本さんから聞いた話がものすごい熱で心の中に充満していたのでした。

その日のうちにフェイスブックで繋がり、

私が運営するサイトの中の70年代の原宿の思い出を語るリレーエッセイ「思い出のあの店、あの場所」に参加してほしいとお願いしたら、二つ返事でOKを下さり、「クリームソーダ」に関しての原稿と画像をすぐに送ってくださったことを思い出して、改めて感謝すると共に、図々しくもお願いして本当によかったと思っている今です。

柳本さんのエッセイのページ→http://www.nonnakamura-presents.com/relayessay/boutique/kouichi-yanagimoto-creamsoda/

柳本さんのコレクション資料。

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エッセイを書いていただくことに関しては、何度かメールを送りあいました。


2回目にお会いしたのは、私が9月にやったイベント「70's 原風景 原宿」の会場、バツアートギャラリーに、柳本さんが、ふらりと現れてくださったときでした。入り口に展示した、マイク野上さんが撮影された70年代原宿の風景、柳本さんにとっても私にとっても「好きな街」の前で一緒に写真を撮りました。

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会場で受付をやってくれてた友人に、「柳本さんは、スクラップ帳を4万冊も作ってるのよ」とご紹介したら、「いや、40万冊です」とやんわり笑いながら訂正なさった柳本さん。

一度しかお会いしたことがない気がしない柳本さんと「今度ゆっくりお食事でも」と言い合いました。

そして11月。

原宿神宮前の交差点でばったりお会いして、このときも「今度、ゆっくり」と言い合いました。

翌12月。

今度は、キラー通りのワタリウムを出たところでまたバッタリお会いしました。

「よく会いますね〜」と言い合いながら、このときはちょっと会話しました。

ちょうどこの日の数日前、谷川俊太郎さんのお孫さんの夢佳ちゃんと食事をしていて、そのとき、「祖父は物への執着心がない人で、自分の著書さえ、残してないんです。でも、孫として祖父のアーカイブをきちんと整理しておきたいと思ってて、でも、どうすればいいのかわからなくて」という話を聞いて、「まずは柳本浩市さんに相談するのが一番いいと思う」と言い、翌日すぐに柳本さんにフェイスブックのメッセージでその件を打診したところ、

「夢佳ちゃんなら一度、お会いしたことがあるので知ってます。お役に立てると思います。いつでもご連絡ください」とお返事をいただいた翌日くらいだったので、お互いに「やりとりをしたばかりのところに偶然ですねー」と言い合っていたのでした。

「谷川さんの件は、いつでも相談に乗りますよ」と、そのときも仰ってくださった柳本さんでした。

ああ、でも、谷川俊太郎さんのアーカイブにご協力いただくことは永遠にできなくなってしまった。。。。

図々しくも「柳本さんの事務所に遊びに行ってもいいですか」とお聞きした時、快く「いつでもどうぞ」を仰って下さってたのに、その「いつか」が訪れることはなくなってしまった。。。。

数回しかお会いしたことがないながらも、思い返せば、私がお願いしたことすべてにたいして、「いいですよ」「いつでも」という言葉を即行返してくださった柳本さんでした。

そのことに柳本さんの人柄のすべてが現れているような気がします。


ブルータスの記事の最後には、取材された方の言葉で

「いずれはデータ化し、広く閲覧できるようにしたいと考えている柳本さん。スキャンするだけでも相当な時間がかかりそうだが、ぜひとも実現を目指してほしい」

と書いてある。

私と会話する中で、「計算したらスキャンするだけでも、自分一人の作業だと100年かかる」と仰ってた柳本さん。

柳本さんの夢を実現させてくれる人なり機関なりが現れることを切に願い、祈りたい気持ちです。


今日は、柳本さんの告別式が執り行われました。

参列できなかった私ですが、「記録すること」「残すこと」の大切さを熱く語られていた柳本さんを思い出しながら、ブログに書き残すことで追悼に代えさせていただきます。

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幼稚園児の頃に、「クラウド化」できる未来を予測していた柳本さん。

「現在」と「未来」と「過去」を境界線なく、同時に捉えながら日々を送られていた柳本さん。

柳本さんの頭の中の時間軸は、私のような凡人には計り知れないスケールだったことと思います。

そしてまさに、時間軸のない世界に旅立たれてしまった柳本さん。

「安らかに」と告げるよりも、「どうか今度はそちらから、たくさんの人の元に、インスピレーションという名の未来に必要なメッセージを、放射線状にガンガン送ってください」と言いたい気持ちです。

柳本さんなら、あちらの世界にいっても、絶対できそうな気がするから。

2016.03.06

雅子ちゃんが着てた服

一周忌を迎えられたモデルの雅子ちゃんの「形見分けの会」が、1月30日、ご主人の大介さんによって行われました。

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「透明感」ではモデルの中でもピカイチだった雅子ちゃん。

そして、たおやかで優しくて可愛らしかった雅子ちゃん。

友人たちが持ってきたお花はどれもが、雅子ちゃんのイメージにピッタリなものばかりでした。

私はフリージアを。

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雅子ちゃんが着てた服、履いてた靴が並べられた真っ白な空間は、何も知らない人が見たら、ひとつのブランドの展示会と間違えるのではないかと思うほど。

一貫したスタイルのある雅子ちゃんだと知ってはいたけど、

ワードローブの実際を目にして驚きました。

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雅子ちゃん、といえばすぐにさっぱりしたシャツが目に浮かぶほど、プライベートでこよなくシャツを愛していた雅子ちゃんでしたが、持ってる全部が並べられると、白、ブルーの無地、ブルーと白のストライプがほとんどで、雅子ちゃんの「清潔感」へのこだわりが、手にとるように伝わってきました。

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JMウェストンの高級なローファーの他、靴はどれもがベーシックなデザインで、

きちんと手入れされてて、「靴を見れば、その人がわかる」とよく言われる言葉を思い出しながら、雅子ちゃんを感じました。

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エコバッグはどれもが生成りで、洗濯しながら使いこんできた感じに、雅子ちゃんの生活ぶりがうかがわれました。

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会場で一緒になったみどりちゃんと成美ちゃん。

その日着ていた白い服に、雅子ちゃんを偲ぶ気持ちが現れていました。

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そして昨日、3月5日、形見分けでいただいた服を着た雅子ちゃんと親しかった人たちが集まりました。

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ひとりずつ記念写真を撮りました。

雅子ちゃんの著書「雅子スタイル」にも掲載されている雅子ちゃんが生前かけていたラクロワの眼鏡をかけたお友達を目にした途端、雅子ちゃんがいるのかと思ってしまったほど、雅子ちゃんの一式がよくお似合いでした。


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それぞれが、それぞれに似合う「雅子アイテム」を選んで、みなさん素敵に着られていました。

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私が「形見分け」としていただいたのは

レースの襟がついた水色と白のストライプのマーガレット・ハウエルのブラウスと

ラルフ・ローレンタータンチェックのキルトスカート、

そしてセント・ジェームスのざっくりしたニットのジャケットでした。

「雅子セット」と名付けたこの3点を着用しました。

タータンチェックのタイツを合わせた遊びは「私流」。

雅子ちゃんだったらネイビーのタイツにローファーだろうなーと思いながら。

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ご主人の大介さんが着ているニットと、右側の男性が着られているニットも雅子ちゃんが着てたもの。どちらもネイビーのメンズサイズ。華奢な雅子ちゃんがガバッときてる姿は、さぞかし可愛かったんだろーなーと想像します。

大介さんが巻いてるストールは雅子ちゃんが気に入って大事にしていたエルメス。雅子ちゃんは本当に水色が好きだったのね。コートはセリーヌだそう。

ストールもコートもさすが高級感のあるエレガントな水色で、雅子ちゃんの人柄そのものといった感じ。

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集まったのはランチタイム、みんなで手作りの一品料理を持ち寄って、雅子ちゃんにもお供えして献杯しました。

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私は「インカのめざめ」のポテトにスモークサーモンとディルをまぶしたポテトサラダを。

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みんなで雅子ちゃんの思い出を語り合いながら、本当に雅子ちゃんがみんなから愛されていたことを改めて感じました。

「雅子は、本当に、人が好きだったよね」

「人の悪口を言わない人だったよね」

「自分はきちんとしてたけど、それを人にも押し付けることは、けっしてしなかったよね」

雅子ちゃんを語り合うなかででてきた言葉です。

着るものだけでなく、人と接する態度にも、自分自身を生きる上でも、最後の最後まで、一貫してあった「雅子スタイル」、

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人がいなくなった後、天国には持ってゆけない、その人が愛した品々を、遺された人は、どうするのだろう・・・どうすべきなのだろう、ふとそんなことを考えることがあります。

雅子ちゃんの友人たちに声をかけて、このような素敵な機会を作られた大介さんの亡き妻への思いが、そして、妻が愛でてきたものたちを大切に思う気持ちも、深く深く伝わってきました。

「形見分けのパーティ」、本当に愛のこもった素敵なやり方。

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これは私が初めて出会った頃の雅子ちゃんの写真です。

大介さんが作ったスクラップから。

いただいた「雅子の魂が宿った」トラッドなお洋服は、娘にも受け継いでずっと大事に着させていただきます。

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