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服と明日のおしゃれなカンケイ

2018.01.01

2018 今年も時代と共に

一年間、ディレクターを務めさせていただいた東急プラザ表参道原宿の5周年記念イベント『OMOHARA写真展』は、昨年(といっても昨日)の12月31日、大晦日をもって、おかげさまで好評のうちに幕を閉じさせていただきました。

2017年は、一年間でありながら、思いがけず、70年代、80年代、90年代という時代を見つめ、この30年間と共に歩んだ、といえる一年となりました。

きっかけは、昨年2017年の1月に原宿京セラビルの喫茶店、シーモアグラスで開催された染吾郎さんが70年代に原宿レオンで撮影した写真を展示した写真展でした。

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ここで(株)電通テックの野瀬怜奈さんと出会ったことがはじまりでした。

野瀬さんは、私が2015年原宿のバツアートギャラリーで行った『70's 原風景 原宿』にも来てくれていたそうで、そのときの感激を語ってくれました。

そして、「いつかこのような企画でのんさんとお仕事をしたい」と言ってくれました。

そこからとんとん拍子に事が運んだ東急プラザの企画への流れ。

●5月に開催した70年代原宿の写真展。

このときは、写真集『70’HARAJUKU』からの写真を展示しました。

メインビジュアルとなった横木安良夫さんの写真。

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染吾郎さん撮影の2枚(右は舘ひろしさん)

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●8月に開催した80年代原宿の写真展。

メインビジュアルは達川清さん撮影の写真。

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●そして12月に開催した90年代原宿の写真展。

青木正一さん撮影のストリートスナップ

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この三つの時代を通して、時代を見つめることの楽しさ、写真の伝える力の大きさに日々感じいってた2017。



2014年に「自分が見たいから」というだけの理由で、70年代原宿の写真展を素人ながらも開催した私でしたが、いつのまにか、原宿のカルチャーを伝える伝道師的な役割になってしまった感もあり(笑)。

過去を探れば、「今」が見えてきて、「未来」のために「過去」を見つめる。

やればやるほど、このことが楽しくなっている今、今年2018年も引き続き、何等かの形でこの役割を継続してゆきたいと思っています。

そして、写真集『70'HARAJUKU』の帯に掲げたサブタイトル「出会うことが青春」の気持ちを携えて、共感してくれる新たな人たちとの出会いを楽しみにしています。

今年もよろしくお願いいたします!

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2017.12.23

「OMOHARA写真展 vol.3 90's」12月31日まで延長となりました!

東急プラザ表参道原宿5周年記念のイベントのディレクターとして年間関わらせていただいた「OMOHARA写真展」、最終となる90年代は、11月17〜12月25日までの予定でしたが、好評につき、年内いっぱい、大晦日まで開催されることになりました!

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5月に開催された70年代、8月の80年代に続いて開催した90年代。

正直いって自分にとっての90年代原宿は(この頃は子育てと仕事に追われていて青春ではなかったので)たいした思い入れもなく、輪郭をはっきりイメージできなくて、どうなることかと思いながら写真集めを始めた次第でした。

ところが、この頃の原宿のキイになる人たちに会い、手探りで情報や写真を集めてゆくうちに、いろんなことを思い出し、「90年代は面白い時代だった!」と思えてきました。

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メインスペースとなる3階に展示したのはストリートマガジン「FRUiTS」からの青木正一さん撮影のスナップです。

90年代といえば、若い人たちのカルチャーとして語り継がれているのは「ギャル文化」がメインですが、ホコ天が実施されていた時代の原宿の路上からは、それとは一線を画したポップカルチャーが生まれていたことを目の当たりに思い出しました。

「OMOHARA写真展」のキャッチコピーは「ココデシカ ココダカラ」となっていますが、まさに原宿という街、「ここでしか、ここだから」こそ生まれたファッションがあったこと、仲間を求めて「ココ」に集まってきた若い人たちがいたことを実感しました。そして、彼らの自由エネルギーに満ちたスタイルを改めて面白く感じました。

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※この会期中に、「FRUiTS」のバックナンバー100冊全巻が、ニューヨークのメトロポリタン美術館ライブラリーに所蔵されることになったというニュースが飛び込んできて嬉しかったです!


今や絶滅に瀕したとも言える原宿ポップファッションですが、原宿を愛してやまない(そして原宿を研究対象としている)ドイツ人社会学者のヤーナさん曰く、海外では今でも「原宿」といえば、このイメージが強いそうです。

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この写真展を知らずに東急プラザにふらっとやってきた90年代の写真に負けないくらいポップな男の子が、食い入るように写真を眺めていたので話しかけました。

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服のほとんどはメルカリなどで90年代のアイテムを探して買っているそう。

ポップなファッションの子が集まるイベントを月一回、原宿で主催しているそうで、90年代に花開いた原宿カルチャーを、今なお、引き継いでいる若い人がいることに感激しました。

「でも、僕は、この時代にいたかったとか、羨ましいとか、そういう風には全然思わない。大切なのは温故知新」という言葉も頼もしかった。

そして、知らずに来たものの「なんか、元気もらえたわ〜、本当に来てよかった!」と言って帰って行った男の子。

世代を超え、国籍を超え、原宿カルチャーを愛し、そして原宿愛をライフワークにすらしている人たちとの出会いは、この写真展に関わったからこその宝といえます。

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90年代の写真を集める中で、もうひとつ嬉しい出会いがありました。

写真集「70’HARAJUKU」のアートディレクター、白谷敏夫さんに紹介されたのはカメラマンのケニーさんでした。

90年代の裏原でスケーター仲間と遊び、カメラマンとして、早くから裏原カルチャーのど真ん中にいた人です。

写真を見せてもらいながら、当時の話を色々聞きました。

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藤原ヒロシさん、ジョニオさん(アンダーカバーの高橋盾さん)、よっぴーこと江川芳文さんたちと作っていたフリーペーパー的カルチャーマガジン「LOVELY」のことや、オザケンさん(小沢健二)から「僕、出るから、そのあと入ったら」と言われて入居したマンションのこと。

そのマンションにはスチャダラパーのスタジオもあって、そのマンションから大ヒットした名曲今夜はブギーバック」が生まれたこと等々。

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中でも興味深かったのは、当時、原宿でしょっちゅう顔を合わせてた藤原ヒロシさん、NIGOさん、滝沢伸介さん、ジョニオさん等々、それぞれがブランドやショップを作るにあたって、「Tシャツのデザインしてくれないかな」「写真撮ってくれない?」、そんなノリで仲間内で協力し合ってたという話でした。

「裏原文化」という言葉は雑誌社が作ったもの、僕たちは、裏原文化を作ろうなんてことは全然意識してなくて、単に面白いことをやろうと、意識としてはひじょうにアンダーグラウンド的だった、でも、雑誌が特集したことで全国に広がっていってブームに火がついた、という話も、なるほどでした。

そして、もっとも興味深く、面白かったのは

「とんちゃん通りにあったNIGOさんの事務所に僕はデスクを置いていた。毎日、いろんな仲間が集まってきてて、とにかく、みんなが、いつも仲間といた。ガラケーはあったけど、90年代は今みたいにインターネットが普及してたわけじゃないし、みんなと何かやろうとしたら、直接会って、話し合うしかなかったんですよね」と言う言葉に、はっとさせられました。

90年代、インスタ等SNSで繋がることなんかできなかった時代、同じスタイルの仲間を求めて、オリジナルな派手なファッションを好む若い子たちは、ラフォーレ前や(東急プラザ表参道原宿の前身である)GAP前に集まってきてた。

そして、スケボーやバイクを趣味とするファッション感度のいい若者たちは遊歩道(今のキャットストリート)に集まってきてた。

そして、集まることによって可視化され、ひとつの形として育っていったカルチャー。

70年代の原宿で青春を送った私にとっては、「70年代、原宿レオンに集まっていた若者たちが、損得なしに交流し合う中から、やがてビッグになっていったのと同じようなことが、90年代の原宿でも起こっていたんだ」と、感激の気づきでした。


ケニーさんが当時撮った写真は4階と5階に展示されています。

藤原ヒロシさんと、「原宿MILK」の大川ひとみさんと、世界的帽子デザイナーのスティーブン・ジョーンズ。

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この写真は、フリーペーパー「LOVELY」のために撮られた写真でした。

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原宿のゴッドマザー的存在だった大川ひとみさんは、多くの若者たちの才能を見つけ、いろんな人と繋げ、チャンスを与えてきたことでも有名ですが、ケニーさんもまた、プロカメラマンになるチャンスを大川ひとみさんから与えてもらった一人だそうです。


ネイバーフッドの滝沢伸介さんと、ネイバーフッドの広告のために原宿で撮られた俳優・永瀬正敏さん。

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そして、90年代末期に三年間だけクリスマスシーズンに実施された原宿駅舎のイルミネーションの写真を提供してくださったのはカメラマンの北島元朗さんでした。今の時期にピッタリともいえる写真であり、この駅舎がなくなることが時間の問題である今にとって、とても貴重な写真でもあります。

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91年にバブルがはじけたとはいえ、今振り返ると、90年代はまだまだ豊かで、人の心にも余裕があって、エネルギーに満ちてる時代だったんだなー、

そんな風に思いました。

「若者」と呼ばれる人たちは世代交代し、流行もカルチャーも変わりゆくものだけれど、「歩行者天国」がなくなったこと、インターネットが一般に深く浸透したことが、2000年代からの原宿文化を大きく変えたことを目の当たりに感じました。もちろん、それは原宿に限った話ではありませんが。

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あと10年経って、「OMOHARA写真展2000」なんて展示をすることは可能なんだろうか?

ふと、そのことを思いましたが、写真展で会った男の子が言ったように、昔を懐かしがるだけでなく、「温故知新」そのことをキイに、この先も、今に繋げる活動をなんらかの形で続けてゆきたいと思っています。

会場に足を運んでくださったみなさん、ありがとうございました。

そして、まだの方はぜひ、31日までに!

5階には、70年代、80年代の写真のアーカイブもスライドショーとパネルで展示しています。

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今年の年頭、この企画を私にもちかけて下さった(株)電通テックの野瀬怜奈さんに心から感謝いたします。

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2017.12.04

小夜子さんの魅力と魔力

12月3日、一日限定のイベント、山口小夜子没後10年追悼上映会「宵待月に逢いましょう」がスパイラルホールで開催されました。

松本貴子監督作『山口小夜子 氷の花火』の2回上映。

昼の部ではそれに加えて『月 小夜子/山海塾』の上映と、トークゲストに(元)資生堂のビューティディレクター富川栄さん。

午後の部では『T-CITY』の上映と、写真家の下村一喜さんとファッションデザイナーの丸山敬太さんを迎えてのトークショーが行われました。

そして、ホールの手前のラウンジには、資生堂のポスターをはじめ、錚々たる写真家たちが撮影した小夜子さんの写真が展示されました。

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染吾郎さん、横木安良夫さんなど、私が作った「70’HARAJUKU」の参加カメラマンたちの写真も展示されること、そしてこの写真集も物販コーナーに置いていただけることなどもあって、そして何より、十代の頃から憧れていた小夜子さんの大事なイベントに微力ながらもお役に立ちたい一心で、私も朝からお手伝いに入っていました。

染吾郎さんが撮られた、写真集の表紙にもなった小夜子さんと私の師匠・ヤッコさん(高橋靖子さん)の写真も展示されました。

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染吾郎さんは、他にもこの4点を出展されました。

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横木安良夫さんがカレンダー用に撮られたこの写真のアートディレクター横尾忠則さんだったそう。

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小夜子さんが亡くなられたのは2007年の8月でしたが、下村一喜さんが2007年に撮影されたこの写真は、小夜子さんの最後のファッションフォトとなりました。

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会場にずらりと並べられた資生堂のポスター。

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このポスターの前で、嬉しくも貴重な記念写真を撮りました。

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右にいるのは、雨宮君。今は大手広告代理店で立派なお仕事をなさっている方ですが、「のんちゃんは、僕の青春の1ページ」by雨宮、という関係なので、本当にしばらくぶりだったけど、会えばやっぱり今でも「雨宮君」。

雨宮君は、資生堂の広告の歴史を作られたカメラマンとして有名な(故)横須賀功光さんのアシスタントを7年にわたってやっていました(私がまだ駆け出しのスタイリストだった頃、雨宮君が日大芸術学部の学生の頃に知り合ったのでしたが、で、横須賀さんに雨宮君を紹介したのは私だったらしいけど、私は全然覚えてない(笑))。

一枚一枚のポスターを眺めながら「この撮影現場のほとんどにオレいたよ。どんなライティングをしたかもはっきり覚えてる」と言いながら、撮影現場での思い出を語ってくれました。

そのお隣は富川栄さん。資生堂はもちろんのこと、その他の撮影でも、小夜子さんのヘアーメイクのほとんどを手がけてこられた、小夜子さんがもっとも信頼していたメーキャップアーティストさんでした。

そして、そのお隣は、資生堂のアートディレクターだった天野幾雄さん。

横須賀さんと組んで、小夜子さんの広告の数々を生み出してこられた方です。

私の師匠・ヤッコさんとのお仕事も多く、私もアシスタント時代から、そしてフリーになってからも可愛がっていただきました。

小夜子さんとの思い出を山ほどもっている御三人と、この場で再会できたことはとても嬉しいことでした。

そして、天野さんと松本貴子監督のツーショットも撮りました。

背後にちらりと見えるおかっぱの女性は、アーティストのマドモアゼル・ユリアさん。富川さんのトークの時に、富川さんに(小夜子風に)ヘアーメイクされた姿でゲストとして登場しました。

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広いスパイラルホールでの上映は満席。

写真展会場にも大勢の人が詰めかけました。

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会場のお手伝いに入って本当によかったなと思ったのは、若い人たちと話しができたことでした。

「『山口小夜子 氷の花火』は、21回観に行きました」と言う若い男性。

「とにかく小夜子さんが好きで好きで」と、おかっぱに小夜子メイクで来場された若い女性の姿も何人も見かけました。

小夜子さんが活躍されていた時期をオンタイムで知らなくても、小夜子さんの魅力と魔力が、今なお、若い人たちの美意識に訴えかける存在であることがダイレクトに伝わってきました。


私がこの映画を観たのは4回目でした。

小夜子さんの生前の映像、小夜子さんを知る人たちへのインタビューによって構成されたこの映画から小夜子さんの多面的人間性を知ることができますが、観るたびに違う箇所が印象に残ります。

そして今回、松本貴子監督、ヘアーメイクの富川さん、写真家の下村一喜さんがトークで語られた小夜子さんのエピソードによって、ますます小夜子さんの多面性を知ることができましたが、知ると同時に、小夜子さんのミステリアスな印象がさらに深まったような気持ちにもなりました。

「小夜子さんは汗かきだった」by富川さん。←意外!

隣の席でトークを聞いていた雨宮君に「小夜子さんが汗かきだったって意外だね」と言ったら、「うん、意外だね」と。何度も撮影現場にいた雨宮君でも知らなかったこと。おそらく小夜子さんは、メイクを施し、カメラ前に立った途端に、完璧に汗を制していたのでしょう。

「小夜子さんは長電話だった。夜の8時にかかってきたとるすると、話を聞いているうちにチュンチュンいうスズメの声が聞こえてきた。こっちはもう眠たくて電話を切りたいのに、小夜子さんは切らなかった」by松本貴子監督。←意外!

そして、松本さんと下村さんは、「小夜子さんって、ほとんど寝てなかったんじゃないかな」「うん、きっと寝てなかったと思う」←意外!

あれほどストイックなほど「美」にこだわった人だから、美容にとってもっとも大事な睡眠はたっぷりとるように心掛けてらしたはずと勝手に思っていました。

そして「小夜子さんは引きこもりだった。仕事にないときは、ずーっと家に引きこもって本を読んでたんじゃないかな」by下村一喜。

「小夜子さんは好奇心旺盛で、芝居でもなんでも、こんなものまで?!というものまでよく観に行ってた」by丸山敬太。←どっちもわかる!

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オンタイムで小夜子さんのデビューからビッグになってゆくまでを観てきた(メディアを通して。お仕事をご一緒したのは資生堂のCMで一度だけ)私にとっても、ますます興味がわいた今回の追悼イベント。

若い人たちも、目に心に、多くの小夜子さんを焼き付けて帰られたことと思います。

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70年代、世界に東洋の美を轟かせた山口小夜子。

「あんな人は二度と現れない」

「唯一無二の誰も真似できない個性と美しさ。あんなモデルはこれからも出現しないだろう」

多くの人たちがそう言います。

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外見だけでなく、内面的にも、その「美へのこだわり」が語る継がれるモデル。

小夜子さんが亡くなられたとき、築地本願寺で行われた「お別れの会」に参列した帰り道、「小夜子は死んだんじゃない。月に帰っただけ」と思いましたが、昨日の追悼イベントが行われた日のお月様は、普段より一割増しの大きさ、三割増しの明るさだったそうです。

この日を選んで、一日限りのイベントを開催された松本貴子監督の小夜子さんへの愛とリスペクトに感動しました。

(スタイリストの大先輩・いちだぱとらさんが撮影された昨夜の月を借用します)

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小夜子さんが生まれたときに、ご両親がその赤ちゃんを「小夜子」と名付けたこと。

そして、横浜のお墓が目の前にあるお家に生まれ育ったこと。

その時点から、小夜子が小夜子になることは運命つけられていたのではないかな、

大きなお月様を眺めながら、ふと、そんな風に思いました。

2017.11.30

ヤッコさんと小夜子さん

この度、「毎日ファッション大賞2017」で、鯨岡阿美子賞を受賞された私の師匠であるヤッコさんこと高橋靖子さん。

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昨日11月29日、「毎日ファッション大賞」の授賞式&パーティが開催され、その会場となったEBISU303に、ヤッコさんに拍手を送るために行きました。

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今年35年目を迎えた毎日ファッション大賞ですが、正直言って個人的には、日本のスタイリスト第一号であるヤッコさんの受賞は遅すぎるくらいと思っています。(スタイリストという職業を、日本に根付かせた人として、20年以上前に受賞されててもよかったのではないかと)。

でも、ともかくおめでたいことであり、ヤッコさんはスピーチで、しきりに「スタイリストは自分一人でできる仕事ではない。各分野のスタッフが集まってグループとなって作り上げる仕事」ということを仰っていました。そして

「この賞は、明日からまた頑張れよ、という賞だと思っています」と。

御年76歳、スタイリスト歴50年というキャリアを経たあとの受賞は、20年前に受賞されてるよりも、もっともっと凄いことで、今がふさわしかったと言えることなのかもしれません。

そして私個人としても、このタイミングの受賞には感慨深いものがありました。

いろんなところで書いたり、取材のインタビューで語ったりしてきていますが、私がヤッコさんと出会ったのは、17歳のときでした。「私がヤッコさんに憧れる」、そこから始まった関係でした。

そして、当時、私が憧れていたもう一人はモデルの山口小夜子さんでした。

ヤッコさんのアシスタントをアルバイトで始めたのは桑沢デザイン研究所入学した年、18歳のときでした。

学校のロビーの掲示板に「デザイナー・池田貴雄のファッションショーのフィッター」の募集が貼られていて、対象はドレス科の学生だったけど、ファッションショーの舞台裏を経験してみたかったのと、山口小夜子さんがモデルとしてでることを知って、グラフィック専攻の学生だったけど、事務の人にお願いして、お手伝いに参加させてもらうことにしたのでした。

小夜子さんは当時24歳、世界的なスーパーモデルになる直前だったと思います。

その後、何年も経ってから、「小夜子のイメージ」を不動のものとして確立された小夜子さんと資生堂コマーシャルのお仕事でご一緒したときには、現場にもメイクした顔で来られ、とても近寄れない雰囲気の方だったけど、18のときに初めてお会いした小夜子さんは、すっぴんで楽屋に来られ、その素顔を見て、当時人気アイドルだったキャンディーズの伊藤蘭ちゃんと似てる、素顔は妖艶というよりカワイイのね、と思ったことを今も鮮烈に覚えています。

フィッターに入る前日、ヤッコさんに「明日、小夜子さんにお会いするんです!」と興奮気味に言ったら、「あら、そう、だったら、小夜子さんに借りてる本があるから返しといて」と、『ジェニーの肖像』の文庫本を渡されました。

楽屋に入って、どのタイミングで渡せばいいのか、ドキドキしながら、あ、そうだ、と思いつき、フィッターの担当を決めていたショーのスタイリストとして入ってらした中村理香子さんに「私、高橋靖子さんから小夜子さんにと預かってるものがあるので」と申し出たら、「そうなのね、ではあなたは小夜子さんの担当に」と言われて、嬉しさにドギマギしたのでした。

ショーが始まる前に、無事、小夜子さんに本をお渡しし、小夜子さんはとてもやさしくしてくれました。

「これ、あなたに預けておくわ」と渡されたKENZOの刺繍の小さなポシェットに入っていたのは煙草のチェリーで、「小夜子さんとチェリーはよく似合う」と思ったことも印象深く残っています。

ヤッコさんと小夜子さんは、私の青春の思い出の中で、半ばセットになっている存在ですが、そんなお二人が原宿レオンにいるところを撮った染吾郎さんの写真が、私が2015年に作った写真集『70'HARAJUKU』の表紙になったことは、私にとって、本当に特別なことなのです。

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そして、12月3日(日)には、「山口小夜子没後10年追悼上映会『宵待月に逢いましょう』」が表参道のスパイラルホールで一日だけのイベントとして開催されます。

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生前の小夜子さんと親しくされてきて、映画「氷の花火 山口小夜子」の監督でもある松本貴子さんの主催です。

写真集からのご縁、そして、「氷の花火 山口小夜子」の冒頭で小夜子さんとの思い出を語られているヤッコさんとのご縁から知り合った松本貴子監督からお声かけいただき、私もこの日会場に展示する写真集めのお手伝いをさせていただいています。

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そして、スパイラルの1階では、11月27日〜小夜子さんの関連グッズが販売されていますが、そのひとつとして「70'HARAJUKU」も置かれています。とても光栄なことです。

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18のときに憧れ、煙草を渡されただけでもドキドキしていた小夜子さんの没後10年の記念すべきイベントに微力ながらも関わらせていただくことになるとは、40年前には、いえ、一年前にだって思ってもみないことでした。

これは、ヤッコさんのアシスタントをしていた頃のヤッコさんとの写真。18か19のとき。

おかっぱはもちろん、小夜子さんに憧れてしていた髪型でした。

髪型を真似したところで、小夜子さんみたいになれるわけはないけれど、白人やハーフにみんなが憧れていた時代、小夜子さんの登場は、「日本人として生まれた外見に自信と誇りをもたせてくれる」といった意味にも大きな影響をうけたものでした。

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「毎日ファッション大賞受賞者」の記事に大きく掲載されたヤッコさんの写真は、デヴィッド・ボウイ山本寛斎さんと一緒にいるところでしたが、小夜子さんが生前にもっとも深い縁をもたられたデザイナーも寛斎さんでした。

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57歳という若さで天に召された小夜子さんでしたが、

ヤッコさんの受賞に天国から拍手を送ってらっしゃることと思います。


スピーチで「明日からまた頑張れよ、という賞だと思っています」と仰ったヤッコさんには、本当に、これからもずっとお元気で活躍していただきたいと、心から思います。

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2017.10.11

素敵な素敵な還暦婚!!!

10月7日(土)、とっても素敵な結婚パーティに参加しました。

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花嫁のむとうちづるさんとは、二十年以上にわたって、スタイリストとヘアーメイクとして何度も仕事を一緒にしてきたばかりでなく、プライベートでもとっても仲良くしてきました。

2年前、まわりをあっと驚かせるまさかの入籍をした彼女でしたが、還暦のお誕生日を迎えるのと同時に、遅ればせながらの結婚披露パーティを開催しました。

ウエディングの白いドレスと、還暦の赤いドレス。

どちらも素敵に着こなしてる還暦の花嫁にみんなため息。

9歳年下のダーリン(むとうさんも友達も全員が「ダーリン」と呼んでいます)のスレンダーなスタイルにピッタリなコーディネートも素敵でした。

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会場は六本木のスタジオ。

普段は無機質な空間が、花千代さんがアレンジしたお花とライティングによって、見事に豪華な会場になっていました。

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花嫁のブーケも花千代さん作。

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スタジオの入り口に飾ったお花も。

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花千代さん自身も会場を華やかに彩る存在でした。

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新郎も新婦も実は初婚。

私は二人の出会いのときから知っていますが、二人の出会いは、なんと官邸前の脱原発デモ。出会いの場には私だけでなく、大勢の友達がいて、みんな、二人が尊敬し合い、愛を育む様子の目撃者として二人を見守ってきました。

その仲間や、仕事の仲間、遊びの仲間たちが、パーティのスタッフとして大活躍している様子にも心があたたまりました。

司会をされた岡元あつこさんと山田さん。

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会場の様子をずっと撮影されていたカメラマンの池谷友秀さんを遠くから眺めて「あのカメラマン、素敵〜!」と花千代さんと武川さんがうっとしていたので(笑)池谷さんを呼んでご紹介しました。

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スクーターズのギター&ヴォーカルのターバンは二人に歌をプレゼント。

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DJをやられた仲良しコンビ、イラストレーターの那須慶子さんと尚ちゃん

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パーティ全体のディレクターとして大活躍だった正野さん。

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招待客は、新郎新婦の年齢からいってもそのほとんどがover50だったけど、年齢なんて関係ないって感じに、自分の個性を生かしたオシャレをしている人が山ほどいて、日本の大人たちも変わってきたなーと改めて思いました。

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最後に池谷さん撮影で、全員の記念写真を。

お祝いに集まった全員が、最高に幸せなパワーをもらえる結婚パーティでした。

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むとうさん、そしてダーリン、これからもずっとずっと末永くお幸せに!

素敵な人生を見せてくれてありがとう!

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結婚適齢期って、世間が決めるものじゃない、自分が決めるもの。

魅力もパッションも、いくつになっても自分の気持ち次第。

出会いのチャンスの場は意外なところにあったりする。

そして、計算なしで、取り繕わないで、「素の自分」でいることが本当の幸せにつながる道。

なーんてことを、パーティに参加した若い人たちは(若くない人も(笑))二人から教えられちゃったんじゃないかな。

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