ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ニート

 先日とある哲学者(なのかなぁ、あの人は?)の方の書いたものをただ抽象的にこき下ろしたのだけれども、ちょっとそのことを書いておこう。「トラックバックしなくてもキーワードになっているから何を書かれたか分かっちゃうんだよ」と揶揄されておったが、悲しいかな私がそこに気付かなかったのは事実である。彼がそう書いた日には私のブログにアクセスする人がどっと増えて何事が起きたのかと思った。やっぱり著名な方が書くものというのは影響力が大きいんだなぁと改めて知ったような気がする。
 その方のブログを今、見にいってみるとなんと既に「プライベートモード」になってしまっている。「禁欲」なんだそうだ。その方にとってはブログに書き込むことが「欲求」なんだとするとどうやら私の中毒症状に似ているような気がする。
 さてさて、彼は私よりも一回り以上若い方であり、学歴から云ったってそりゃもう私なんかが太刀打ちできるような相手ではないことは明白なんだけれども、ちょっと気になることを書いていたので、「なんだよ」と思った次第である。
 それはある雑誌がずっと前に刊行したニートについての特集号にその人が書いた文章である。ニートそのものが存在することすら疑わしいと彼はまずいっている。私の知る限り、それは存在するんだなぁ、実際の話。ただ、それが様々な理由によっているので、ワンパターンでは論じられないというのは確かだろうよ。
 彼はこれを「下等遊民」と呼んでいる。夏目の「それから」に出てくる主人公は裕福な親の許に寄生して働かないのだから「高等遊民」と呼ばれたと、だから、今のその種の若者はこれで良いだろうという。それはそもそも甘ったれるんじゃないという論調に根ざしている。追い出せと、自分もそんな状況になり掛かったことがあったけれど父親に怒鳴られて目覚めたというのである。
 かつての日本には奉公という名の低賃金労働者が存在していたと。いや、むしろ賃金なんてものは伴わなかったのだと。食えれば給料はなくても良いということがあってもおかしくはなかったというのだ。今時の日本で餓死するものなどまずいないという。江戸期の農村の飢餓といったらまるで桁が違うと。餓死を数量で論じてしまうというのも随分乱暴な話ではある。そんな飢餓の時代は昭和初期にもまだあったのだと。それから見たら現代の社会なんて充分いい社会じゃないかと。それはそれでいいんだけれど、それは何を意味するのかといえば「贅沢いうんじゃない」ということなのか。
 「非婚・晩婚化社会や引きこもりの原因は、まさにそこそこ金のある親が生きていることにあるといっても間違いではないと思う」といっておいでである。親に経済的ゆとりがなかったら日々の糊口を凌ぐために必死になっていってそんなことは云っておれないということなんだとすると、なんでこういう社会になっているのかという点の解明、対策には繋がらないじゃないかと思ったら、彼は最初からこんなのは存在しないんだといっているんだから話にならないのである。
 途中で「高度経済成長以前の日本人は四十代五十代でバタバタ死んだ」といっているけれど、こりゃ本当か?確かに「人生わずか五十年」といっていたんだけれど、平均寿命として見れば子どもの死亡率が高かったから確かにそうなっていたんだろう。(元ネタが不明なところがちょっと弱いけれど)例えば
田畑拓也さんのブログにアップされていた記事によれば、1947年の平均寿命は男50.06歳、女53.96歳(この年にようやく人生五十年となった。)である。
 平均寿命が伸びた一番の理由は「乳幼児の死亡率の減少」だという。大正末期(1925年頃)までは、出生が1,000児に対して、150児(15%)も死亡したが、1940(昭和15)年には10%以下、1947(昭和22)年には7.65%、1961(昭和36)年には5.2%、2002(平成14)年にはとうとう3%にまで減少した。ということはそこを通り過ぎた人達だけに限ってみればもっと長生きをしたと考えて良いのではないだろうか。文部省の科学白書でもこれは指摘されていることだけれども『結核脳卒中の激減』と『食生活の改善』は一般的な死亡率の低下に大変大きな貢献をもたらしている。もちろん、戦争も平均寿命へ与える影響ではかなりの要因となる。だから、「人生わずか五十年」という時代があながち「四十代五十代でバタバタ死んだ」とはいえないのだ。
 彼はそうした何もしないで家にいる人間の存在理由を「戦後の社会保障政策のおかげで、そういう子どもを家に住まわせて食べさせるくらいは、初老の親にもできるようになった」からであって、「格差社会下流社会とかいっているものが胡散臭いのは、所詮はそれが、そういう状況の下での若者の格差を論じているからである」だと繋げる。しかも「能力に応じて格差が生じるのは当然のことだ」という立場に立つというのである。なぜそういう若者を家からキック・アウトしないのかと投げかける。長田の論理そのものだ。
 そうはいいながらも彼自身は「東大の定年が65歳に引き上げられて若い研究者の採用に遅れが出ており、ろくな業績もない教授連がいる一方で、博士号を取った若い学者に就職先がないという現実をどう思うのか(内藤朝雄に)訊いてみたい」のだそうで、そんな話はどっかほかでやってくれ。挙げ句に「ニート論争(?)なるものは、単に新書戦争の風産物にすぎないのかも知れない」とまとめている。
 不登校の中学生が問題になり出したのは多分(ざっとした感覚でいうと話にならないといわれるのかも知れないが)1990年代に入った頃のことではなかったかと思う。NHKのラジオの「子ども教育相談」でこの種の相談が一気に増えだしてきていたことでも分かる。2000年くらいになってそうした境遇に暮らす人たちが30代、いや40代にも波及してきていることが分かってきた。こうなると彼らをもう不登校と表現することはできなくなった。何しろ学齢期ではないのだから。すると、それを「引きこもり」と表現するようになった。彼らは閉塞的な状況を打破する力を持てない、あるいはそんな力を見つけられないでいる。彼らの存在を認めないのならそれで良いから、余計なことを書かない方がよい。ご自分の糊口を凌ぐためにそんなことを書くのであればそれは彼らを愚弄している。あ、尤もこの人は既に納得してそうした存在を愚弄しているんだったか。
 確かにうたれ弱い人間が増えてきているんだと云うことは感覚的に理解することができる。なにかの理由で誰かにうたれてしまったとすると、もう立ち上がれない。そこからどんどんそうした状況が起こりえないところに逃げこんでいく。彼が云うように確かに、そうしていても生きていかれるという経済的な裏付けがあるからこそ逃げることができるのであって、かつてに比べればそこは決定的に違っている。逃げるところをどうしても見つけられない状況にいる人に比べたら遥かに恵まれているのは間違いがない。じゃ、逃げるにも逃げられなかった昔は、その人達はどうしていたんだろうか。自分の能力以上のことを考える余裕なんてなかったからそんな悩みは持ち得なかったのか。
 それなら今のそうした人達に対して「君には大した能力があるわけじゃないんだから、そこそこの働きで暮らすしかないんだということを正面からきちんと捉えなさいよ」と引導を渡してやれということなのか。しかし、そんなことを云えるのは自分を高く売ることのできる能力を持っている人間だけだろう。能力のある人間はそれ相応の生活をするのは当たり前で、それを格差といわないでいられるのはその能力を生まれながらにしてラッキーにも供えている人間だけなのだ。
「私は努力した!人の二倍頑張った」んだから恵まれて当たり前だろうという論理は世の中から排除されてしまう人間がいても仕方がないだろうという理屈に繋がるわけである。少なくとも彼はそうした立場に立っている。少なくとも私はそこに立とうとは思っていない。自分は恵まれて当然だとする人はたまたま偶然そんな立場に立っただけなのだと私は思っている。例えその人が他人の何倍も頑張ったと自負していたとしても、そうしたことに頑張れるという能力はたまたま身につけたものなのである。
 今を去ること40年近く昔に金持ちの息子である友人が自家用車を運転しはじめた頃のことである。何でか知らないが彼の妹と一緒に私はその車に乗ってどこかまで送ってもらった。その時にゆっくり交差点を渡る人を見て、その妹が「早く行け、この醜女!」と叫んだ。ものすごくびっくりした。彼女は既にその時自分は幸いにしてこっち側にいて、あっち側とは違う運命を持っていることを自覚していた。

「東京ローズ」映画化か

東京ローズ」米で映画化へ 来年にも製作開始 朝日新聞 2006年09月30日15時56分
 米シカゴで26日死去した「東京ローズ」ことアイバ・戸栗・ダキノさんの太平洋を挟んだ波乱の人生が映画化される。「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」で知られるフランク・ダラボン監督がメガホンを執り、近く脚本が完成。来年製作を開始する見込み。
 日系二世のアイバさんは第二次大戦中に対米宣伝放送に従事。米国へ戻った後、国家反逆罪で6年以上服役し、30年近く市民権を剥奪(はくだつ)されたままだった。戦争中も日本政府の帰化要請を拒否して米国への忠誠心を示し続けたにもかかわらず、帰米後は「反逆者」の烙印(らくいん)を押された。知人の紹介でアイバさんに会ったダラボン監督は、激しい逆風の中でも信念を守り続けた精神力に深い感銘を受けた。(時事)

 映画になるという話である。誰が何をベースに映画にするのだろうか。”The Hunt for Tokyo Rose”というR.W. Howeが書いた本があり、この著書を基本において作成されたノンフィクションのテレビ番組が存在していたのだけれど、その辺をベースにすることになるのではないだろうか。とすると戦争中の日本における活動がどうだったかというよりも、彼女の法廷での立場を浮き彫りにすることになるだろう。いずれにしても日本での戦争中、あるいは終戦直後の「東京ローズ」としての烙印を押されることになる状況をはずすことができないのだから、日本の場面ははずせない。
ハリウッドの発想は本当に早い。未だにアジア太平洋戦争当時の戦艦の話や、愛する人を守るんだという気持ちから出撃したと若者たちを決めつける視点での特攻映画を作り続ける日本の映画産業のことを考えると、この差はなんだろうかと考える。
 ところで彼女は死ぬまで戦争中の日本で結婚していた時の夫の姓「ダキノ」を名乗っていたのだろうか。多くの新聞記事で彼女の名前を取り上げる時にアイヴァ・トグリ・ダキノと標記しているけれど。
それにしても死んで初めてこんなにたくさん書いてもらえるわけかぁ。死ぬ前にもっと書いてくれればいいのになぁ。

公明党はまだ続けるのか

 紀藤正樹弁護士のブログを見ていて思いだしたのだけれども、今度の公僕チーフは今度の文部大臣、法務大臣と一緒にカルト集団、統一教会の集会に祝電を送った、つまりあの集団を認知しているのみならず発展を祈る立場をとっていることは明白である。創価学会そのものである公明党がそういうスタンスに立っているキャビネットに尻尾を振って繋がっているというのはどういうことなんだろうかと考えてしまう。

ETVワイド ともに生きる「団塊が日本を変える!?」

 昨日のNHK教育テレビの番組を見ていた人がたくさんいたらしくて、はてなだけでも随分と書いている人がいる。私が気が付いた時はもう終わるところで、蛭子さんがなんかいっていたくらいだった。そうそう、なんか浅野元宮城県知事だったかが居直ったようなことをいっていた。橋爪や宮台が、私たちの世代はなんもせんできたといったらしいけれど、どうやらあたっていないこともないな。気が付いた時にはリストラだったもの。それでもとにかくしっかりと歯車はやった。君の代わりはいくらでもいるといわれながら。そんなハラスメント満載の社会であり、乱暴者の世界で。だから笑い飛ばせばどうにでもなると思ってきた嫌いがないでもない。そんなところが偉そうではある。これから先、どんどんこんな話が普通に語られるようになることだろう。世代間対決番組なんてエキサイティングかも知れないが、どうせ若い人達にはかなわないよ。こっちは既に過去の評価が出てしまうのだし、その先は短く、その先一人になったら暮らしていくことができないのは明白なんだから。

もう、そんなにだらだら書くなよ!

 といわれていながらもうひとつ。大臣がいて、副大臣がいて政務官がいて特別補佐官がいるというと昔の大臣と政務次官だけだった時代から比べると内閣関係者は随分とたくさん名前が挙がっているわけだけれども、こんなにたくさん関係者がいて、その交通整理ってのはどうなっていくのかなぁというのが最大の謎。私が思ったのはどうせ参議院議員選挙までしか持たないんだから、その間にこれまでのことでお礼をしておかなくちゃいけない人をどんどんメンバーに入れて今後のギャランティー・レベルをしっかり確保させてあげようという考えなのかなぁというんだけれど、どうだろうか。これで役所との関係はどうなるんですか?「大臣、補佐官がこう仰ってこられたんですけど・・」「何をいってんの、長は私でしょ?ん?違うのかなぁ・・・」てなっちゃうんじゃないの?