ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

錦織圭

 全米オープンテニスで第17シードのアルゼンチンのフアンマルティン・デルポトロとベスト・エイトを賭けて対戦したものの、やはり体力が持たなかったのか、錦織はストレートで負けてしまった。この男がまだ少年の時、テレビの番組で松岡修造に、「おまえは勝ちたいという気持ちをもっと表に出すんだ!」と怒鳴られていた男とは思えないほどの成長だけれども、やっぱりこの試合まで体力は残っていなかったといって良いだろう。ファースト・サービスの成功率は大して見劣りしないのに、サービス権を持っていてのポイント取得率が劣っていた気がする。それにしたって、ここまで来たんだ、立派なもんだ。
 彼がもしここでベスト・エイトに進出していたら清水善造(1891-1977)以来のことで、なんと86年振りだったというのだから驚く。もしやと思ったら、やっぱりこの清水善造は上前淳一郎が書いた「やわらかいボール」(文春文庫 1986/06)の主人公だ。
 この人がウィンブルドンで対戦した決勝の相手は、美智子さんや当時の皇太子が軽井沢のテニスクラブでテニスをしたときに着ていた写真が新聞や週刊誌に掲載されて一気に流行った「チルデン・セーター」の米国人テニス・プレイヤー、William T. Tilden II(1893ー1953)である。
 ティルデンが転倒したのを見て、清水がやわらかいボールを返してやったというのはここまで書かれているところを見るとやっぱり本当なんだろう。しかし、清水がマッチポイントを持って放ったサービスがエースになって試合が決まったかの時に、ネット審判が「レット!」とコールしたと朝日新聞が1977年4月26日夕刊に書いたのだというが、これは真実ではないといっている人もいる。
 「やわらかいボール」の話はかつては教科書にも掲載されていたのだそうで、これは日本風にいえば武士道精神を発揮した、といえる。しかし、勝負の世界であるから今だったら愚かしい行為、といわれてしまうのだろうか。
 この本は随分前に文庫で読んだ記憶があるが、書棚を見渡しても見あたらない。
 女子ダブルスでベストエイトに進出した杉山愛+カタリナ・スレボトニク(スロベニア)ペアーはWOWOWが放送するんだろうか?
(追記:男子の準々決勝は放送されていた。杉山+スレボトニク組は準決勝進出決定。)

第79回都市対抗野球大会

 先月の29日から12日間のスケジュールで東京ドームで都市対抗野球大会が開催されているらしい。テレビやラジオのニュースでは全くお目にかからないけれど、昨日の昼間にちゃらちゃらとテレビチャンネルをさまよったら、GAORAで野球中継をやっていて、最初はその時映っていた選手の粒がか細く小さかったので、昔のリトル・リーグの録画をまたやっているのかと思った。それにしては塁間が長い。よく見ると社会人チームのようだ。今朝になってまたつけると「全日本」のユニフォームのようなチームが見える。いつかの録画かと思ってみると、いやいや、これは胸の表記が「NIPPON」になっていて、もしそうだとすると相当昔なのか・・。ググってみて初めてわかった。これは都市対抗野球で、このチームは「日本通運」なのだ。よく見ると「NIPPON EXPRESS」と二段に書いてある。それにしても全日本のユニフォームそっくりだ。この辺がノン・プロのノン・プロたるところで面白い。
 考えてみるとこの「ノン・プロ」という表現も今はもう誰もいわない。ノン・プロといったらプロじゃない、という意味でプロ以外は全部そうだものなぁ。
 それにしても今や全く脚光を浴びない大会になってしまったものだ。企業スポーツがどうだこうだといわれて久しいがそれでも今でもこうして「都市の代表」とは名ばかりの大会で社会人野球日本選手権と一体どこが違うんだろうということになるが、実は予選で敗れたチームから補強ができるというところが都市対抗の特徴という程度のもの。しかし、その歴史は古く、来年の第80回大会にはアジアの都市代表の参加も検討されているのだそうだ。日本のスポーツの楽しみ方がどんどん広がっていて、かつての二大スポーツだった野球と相撲だけではなくなっていることを実に良く表しているといって良いだろう(今年の全国選抜社会人相撲選手権大会は7月27日に石川県津幡町常設相撲場で開催されて全大分が優勝したんだそうだ)。こうしてみるとやっぱりJリーグの台頭はとても大きなものがある。上野の塩豆大福屋のせがれがこつこつとやって来た甲斐があろうというものだ。
 高校野球の大会にはそれなりの意味があるのかも知れないが、オリンピックの野球代表がプロ選手の大会になってしまってからは、社会人野球選手権も、都市対抗野球もほとんど私は関心がなくなった。欽ちゃん野球やノモ・ベースボール・クラブなんかがまた出たりするんだったら見ても良いけれど。一度アマチュア野球団体の利権の話を聞いてしまってから面白くなくなったのも一因かも知れない。公私をぐだぐだにしてしまうのはどんなところでも同じなんだろうけれど、だったら爽やかさを売りにするなよという気がしないでもない。
 野茂投手もプロ入り前は新日鐵堺の選手だったように(彼の実際の所属は新日鐵化学)、社会人野球チームからプロに入る選手も普通にいたけれど、最近ではどうなんだろうか。
 かつてはスポーツ界にも貢献するのは企業としての役割のひとつだと思っていたのだけれど、この時代になってみると同じ貢献をしていてもその中身の意味が変わってきているのではないかという気がする。ここまでせっぱ詰まってくると企業側にも、そしてそれを見る側にも他に社会に貢献できる姿があり得るのではないのか、という考えも出てきそうだ。
第79回都市対抗野球大会出場チーム

  1. 北海道札幌市 JR北海道
  2. 北仙台市 七十七銀行セガサミーに敗退)
  3. にかほ市 TDK鷺宮製作所に敗退)
  4. 北信越佐久市 TDK千曲川富士重工業に敗退)
  5. 北関東太田市 富士重工業
  6. 日立市 日立製作所東邦ガスに敗退)
  7. 南関東さいたま市 日本通運JR北海道に敗退)
  8. 千葉市 JFE東日本(昔の川鉄千葉)
  9. 狭山市 Honda
  10. 東京都 鷺宮製作所
  11. 東京都 JR東日本
  12. 東京都 セガサミー
  13. 神奈川川崎市 三菱ふそう川崎(JR九州に敗退)
  14. 横須賀市 日産自動車
  15. 横浜市 新日本石油ENEOS(43回目の出場 元の日石カルテックス
  16. 東海名古屋市 三菱重工名古屋
  17. 大垣市 西濃運輸JFE西日本に敗退)
  18. 浜松市 ヤマハ
  19. 名古屋市 東邦ガス
  20. 豊川市 東海理化
  21. 春日井市 王子製紙
  22. 京都市 日本新薬(Hondaに敗退)
  23. 門真市 松下電器(なんと44回目の出場)
  24. 大阪市 日本生命(こっちは50回目だ。JR東日本に敗退)
  25. 大阪市 NTT西日本
  26. 神戸市 三菱重工神戸
  27. 姫路市 新日本製鐵広畑(三菱重工神戸に敗退)
  28. 東広島市 伯和ビクトリーズ(元はといえばリースキン。パチンコ屋さんの伯和グループ。JFE東日本に敗退。)
  29. 倉敷市 JFE西日本(昔のNKK福山と川鉄水島)
  30. 高松市 JR四国新日本石油ENEOSに敗退)
  31. 北九州市 JR九州
  32. 熊本市 熊本ゴールデンラークス(1976年創業のスーパー“鮮ど市場”だがあえてチーム名に企業名をつけていない。)

 2回目の出場チームが4チーム。初出場チームはゼロ。

ありゃ、りゃ・・雑誌売れない

 朝日新聞社の月刊誌「論座」が今発売中の10月号が最終号だと昨日書いたのだけれど、読売の記事(こちら)によるとこれだけじゃなくて、「講談社は1日、月刊総合誌「現代」を12月1日発売号を最後に休刊」と発表したといい、「PLAYBOY日本版」も「広告批評」も「主婦の友」も終わりだという。雑誌の世界はどんどん入れ替わるのが昔から普通だった。まぁ、「PLAYBOY日本版」と「論座」「現代」一緒に語るのは無茶だろうけれど、その程度の購読者しかいないんだと思って作っていくしかないということだろう。

驚いた! 

 NHKの昼のラジオを流していたら名古屋からの中継でアナウンサーが「それではつボイノリオさんの歌を聴いていただきましょう!」というのだ。確かに彼は名古屋だ。しかし、彼の名前がNHKで流れるとは(いや、今までだって流れていたのかも知れないけれど、私は今回が初めて)ととてつもなく驚いた。なんたって、つボイノリオといったら唄はあれやこれやじゃないか!?いやいや、良かった、かかった歌は「名古屋はええよ!やっとかめ」だったのだ。(当たり前か・・・)
 もう35年ほど前のことだけれど、何だったのか忘れたけれど、日比谷公園の野外音楽堂でのコンサートで彼が現れ、なんとカセットラジオを折りたたみ椅子の上に置き、その小さなスピーカーにマイクを当てて、バックを流し、例のいくつかの唄を歌い倒した。学生時代の友達と「いひっひっひ」と笑いながら聞いたのを想い出す。

ライブ

 明治通り沿いの渋谷と原宿の中間辺にある「クロコダイル」で三ヶ月に一回くらいの「とりづか+こまつ」のライブがあった。鳥塚繁樹はワイルド・ワンズ、小松久はビレッジ・シンガーズの出身だけれど、二人とも実はカントリーが好きという共通項があってもう何年もこのコンビを組んでいる。バック・メンバーもスチールの尾崎くんを含めていつものメンバー。
 こっちもいつものメンバー+国立音大出身のスリー・バブルスばりコーラス・トリオのお姉様たち。
 先輩のお一人がご自分が作り貯めてきた曲を自分で歌った音源をCDにしてお持ちになった。名付けて「一里塚」。そうかぁ、冥土のみやげの一里塚、ってやつだ。
 スリー・バブルス(あるいはスリー・グレイセス?)ばりコーラス・トリオ(グループ名がないのかな・・・)のお一人がその中の一曲を「これってこういう唄ですよね」とそらんじる。「そうそう、その曲の作者がこの方ですよ」と申し上げるとそれはもうびっくり!実はその曲はその昔「バイタリス・フォーク・ビレッヂ」というラジオ番組で入選し、慶応大のフォーク・グループが歌って結構広がった曲。先日NHKラジオ深夜便でもかかったというくらいだから、当時は結構知られていたらしい。私はあまりにも近くにいたものだからそれが逆にわからなかったのかも知れない。