ほぼ足りてまだ欲 その先

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血迷ったか、小沢一郎

「(次期衆院選で立候補予定者が)競合している選挙区については、徹底的に調整したい。(民主党国民新党が)一つになるということも選択肢だと思う」
小沢氏は16日、綿貫氏と会談し、衆院選政権公約マニフェスト)での郵政民営化見直しに関する合意文書に調印する予定。その席で、両党の合併についても、協議する意向だ。(2008年9月15日21時08分 読売新聞)

 読売新聞のナベツネの肝いりと噂されていた福田と小沢の大連立構想が党内の大反発にあって、「俺はもうやめる!」といって顰蹙を買った小沢一郎はやっぱり目先の人参に何が何だかわからなくなっているんだろうか。あるいは元々ここまで持ってきたのは自分のリベンジのために過ぎなかったのだ、というところなんだろうか。
 郵政民営化に反対して自民党を飛び出した綿貫が「トナミ運輸」の綿貫であり、綿貫の郵政民営化反対の動機が自らの利害にあったことは知らない人はいないはずだ。しかもその「トナミ運輸」は内部告発した社員を研修所の草むしりに吹っ飛ばしたが、裁判では和解が成り立った。しかし、その後、その元社員の活動に対して地元マスコミをプッシュして妨害した時期すら存在したともいわれている。
 私はいっかな霞ヶ関の手を離れてあるべき内閣の姿を追求することのない自民党公明党連立政権を粉砕して、民主党をその立場に立たせ、どうしたら霞ヶ関を本来的な仕事にむかうことが出来るのかを追求して欲しいと思っていたが、いくらなんでも綿貫と手をつなごうとするのであれば。この際、民主党の政権奪取路線を否定してもかまわないと思う。
 小沢一郎、おまえもやはり悪よのぉ〜。

企業健保

 厚労省によって後期高齢者医療制度長寿医療制度)が創設されて高齢者を別口医療保険に組み入れた。この保険は社会保険というのには相当に無理がある。患者負担分(一割)以外の負担(つまり全体の医療費の九割)の半分は公費負担で国:都道府県:市町村=4:1:1という割合で負担する。つまり半分は税負担である。残りの半分の1/5つまり全体の1割をこの保険料で賄い、残りの4割を「後期高齢者支援金」で賄う。
 「後期高齢者支援金」とは一体何か、と聞いたら現役世代の保険料だという。つまり他の社会保険制度で集まった保険料を他の社会保険に天引きで持って行ってしまうということだ。
 これでは別口の社会保険制度にする意味を持たない。社会保険というのは本来的には広い裾野を持つ保険加入者がいて、それぞれが持ち寄った保険料でその中から必要が発生した人を支えるシステムだ。その保険から保険金を出して貰う必要のなかった人は、そんな事故が起きなくて良かったね、と祝えるというシステムだ。そのためには限りなく多くの人が参画することが出来て多くの保険料を集めることが出来なくてはならない。
 それでなくても日本の社会保険制度は実際には他の財源から、有り体にいえば国民から徴収した税を投入していてその部分はもう既に社会保険という体をなしていない。税負担でやっていこうとするのであれば、収入のなん%かを一律に「医療税」という形で徴収し、それを財源にして応能負担で医療を提供すればよい。現実にそういうシステムで運営している国もある。
 もう一つ、この国の医療社会保険のおかしなところはわざわざ保険加入者を分断してより小さな社会保険で運用しようとすることにある。なぜ、これほど複雑化してわかりにくくしなくてはならないのだろうか。
 今この時点で仮に患者の医療費自己負担を現役三割、75歳以上一割として全員が全国一律の国民健康保険一本にしたらどういうことが起きるのだろうか。ばったり成り行かなくなるのだろうか。そういうシステムだったらなぜダメなのかを教えて欲しい。素人考えは大体にして肝心なところの視点が抜けているはずだからその辺を解説してくれるといいんだけれど。
 企業健保というのは昔は大変に優雅で、箱根や熱海あたりに行くと、何とか株式会社健康保険組合保養所なんて看板が掛かってツツジの大きな株がきれいに丸く刈られていたりして如何にもお金持ちなんだなぁと羨ましく前を通ったものだった。金が余ったから組合員世帯に薬がぎっしり詰まった救急箱を配布、なんてことをやったりしていたのを友達のうちに遊びに行って発見したりした。私が現役で働いていた会社でもわずかながらそんな恩恵に浴したことすらある。
 それなのに、今や企業健保は解散の憂き目にあっているという。私は企業健保そのものの存続についてはそれ程問題視してはいない。国民全体がどのような職業に就いていようと皆ひとつの保険加入者となれば良いのではないのかという考えである。保険とは加入者の数が多ければ多いほどそのリスクは分散されるはずだと思っているからだ。

これってなんだ?

 引き出しの片付けをしていた連れ合いが「これはどこのコインだ」というのでみると米国のクォーター、25セント玉だった。ところが一枚一枚柄が違うというのである。鷲じゃないと。そんなわきゃねえだろうといったけれど、見たら各州の図柄になっている。あとで調べたらそれはstate quartersというのだそうで、1999年から各州の固有の柄になったコインが発行されているのだそうだ。つまり最後に米国に行ったのは1998年以前だということがわかるわけで、確かにその通りだ。1998年の何月だったかはっきりしないけれど多分米国の秋口に春先のシドニーからダラス、コロンバス/オハイオに出張したのが最後だった。あの時はシカゴやらLos Angelesで乗り遅れそうになって空港ロビーを走った記憶がある。あれからもう10年が経つ。