ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 またしばらく家から出なかったので、慌てて散歩に出ます。本日の目標。乾物屋、本屋、外食、眼鏡屋、家電量販店、床屋。
 とりあえずうちから某量販店(ある地下鉄の駅前にあって、食料品から下着まで何でも売っている紫の店)まで歩きます。その間、もはや通ったことのない通りはない、というつもりですが、今日はやっぱり高津桜が咲いているところがあって、なんとそこへメジロ様がお越しくださっているというめでたいずをみることができたんでございます。大変に気をよくして、量販店まではもうスイスイと到着。
 一体何を見に来たかというと、トイレ洗浄機でございますよ。わが家も引っ越してきてから早くも14年目に突入致しまして、そろそろ機械が頼りなくなってきているのでございます。いつパタンと動かなくなるかわからんなぁという状況でございます。自分で購入に及んだことがございませんから、どういう点に注意してみれば良いのかすらわかりません。値段はと申しますと、もうピンからキリでございます。貯湯式と瞬間式とございます。ポットのようにお湯が貯まっている、だからその量出ていってしまえばもう出てこない、あるいは瞬間湯沸かし器のよう、という選択。
 実はうちでは利用者はどうも私だけらしいんですよねぇ。だからどう考えても自分ひとりの出費になるらしいので、一番単純なのにしておこうかなぁと考えますが、まだ決められません。結構面倒?
 乾物屋は上野アメ横へ。ここは豆屋の横にほぼ同一種の乾物屋が一軒間において二軒あったんだけれど、ここ何ヶ月か、両方とも開いていたのを見たことがない。なんかあったのか。MJBのGreen Armyの袋入り900gが800円で売っていて、私にはこれが味としても、値段の手頃感としても丁度良い。
 上野広小路から日本橋まで銀座線に乗る。三越前からどっと乗ってきた。丸善で万年筆展をやっていて、万年筆がらみ福袋というのを売っている。一番高いモノは70万円、一番安いモノが1万円。多分誰も買わないんじゃないだろうか。売り物が装飾に金の掛かっているタイプのものらしくて、まったく私の興味とつながらない。なにしろ鉄ペンのくそ安い奴の中にどれほど使いやすいモノがあったかを喜んでいる私には合わない企画。くれるんだったらワイワイ言って盛り上げるけれどねぇ。
 日本橋COREDOの中にJINSというコンピューター用のブルー眼鏡で名前を知った眼鏡ブランドが店を出している。友達が先日見慣れない眼鏡をかけていて、どうしたの?と聞いたら「7,500円だぜ!」と自慢していたので、どこで買ったのかを聞いておいたのだ。これまでのフレームをちょっとごつくした程度。やっぱり思い切って換えるほど勇気はないのだ。30分でできるから、という。今時は凄いねぇ。HOYAのプラスティックレンズでした。ここはデーターをとっていないからデーターシートをつけておきますといっていた。
 その間を割いて腹ごしらえですが、今日はハナから決めておりました。ここまで来たら「よもだそば・日本橋店」です。とにかく一度で良いから、店の前に幟が立っている「インドカレー」を喰わなくちゃねぇ。「冷ワカメ」と書かれた切符をわたしたら、おばさんがいつもの大きな声で「ぶっかけワカメ!」と怒鳴りましたね。あ、ここは冷たいといったらぶっかけか、そりゃそうだよねとワカメだしねと。このカレーは本当に本格的なインドカレーでございます・・・つうか、和風カレーではございません、という意味ですね。ハーブてんこ盛りというか、如何にもインドっぽい香りが立ちますし、辛いです。私なんぞ辛いのは大の苦手と来ていますから、辛い、辛い!大昔、インド人クルーの船に行ったときに出された飯が辛くて辛くて、ボーイに水をくれといったら、彼がジャムも一緒に持ってきたんですね。オイオイ何を考えてんだよと思ったけれど、今となってはあの方が正しかったのかも知れないなぁって。
 そういえば韓国人クルーの船に行ったときも、食べ物に困っていたら、親しくなっていたボーイが目玉焼きを焼いてきてくれました。あれも良い想い出だ。
 丸善にいって本を物色。

新書803日本はなぜ脱原発できないのか (平凡社新書)

新書803日本はなぜ脱原発できないのか (平凡社新書)

 どうせ際物だろうと思っていたら書評を読んで、これは読んでみたいと思った。著者は現役の朝日新聞記者。
この本の副題は「原子力村」という利権、というものだ。あの事件以来この利権がどこまで波及して、どこまで大船団となっているのかを知りたいと思っていた。そうしないと突っ込みどころを間違えるからだ。 著者はニューヨーク・タイムス前東京支社長。日本が報道の自由という点でかなり低い点しか稼げないのは当然のことで、日本のメディアが「政府が右ということを左というわけにはいかない」と黙って従っているんだから、という風潮をこれでもかとやっつけていることを大いに期待して入手。 どちらかというと著者の名前で買った。斉藤貴男は元日本工業新聞出身。そういえば最近あんまり名前を聞かなかった。しかし、斉藤貴男にしては導入部がらしくない。何しろ出てくるのはたけ平の新作のマイナンバー噺だからだ。 丁度今他でも読んでいる時期の部分である。保阪正康は何巻書くつもりだろうか。
 三越前の地下鉄の改札傍にあるなにやら高そうなパン屋(ゴントラン・シェリエ)で凝ってそうなパン(パンオセレアル-何のことかまったくわからず)を購入。ぱりぱりして旨い。
 アッ!床屋へ行かなかった!
 本日9,773歩。

水口屋

 清水の造船所で仕事をしていた頃、静岡・興津の水口屋に良く船のオーナーを呼んでのパーティーが開かれた。45年ほど前のことだ。当時造船所では外国船が7割ほどで残りが国内船という具合で、私たちはノルウェーギリシア、香港といった当時の世界の海運を牛耳っていた企業の貨物船を造っていた。まったく同じ設計で10数隻を連続して建造していたりして、そうした船主は造船所にとってはどんな無理でもうんうんと頷いてやるしかない相手だった。
 引き渡しの4日前に造船所にやってきて、現場に行って船を見るなり、この色は契約した色と違うと言い張り、契約仕様書を見せても、いやこれは中国人が好む黄色で、私の黄色とは違うといって二晩かけて上部構造のペンキを塗り直させたギリシア人なんて、忘れろといわれたって忘れたくないくらいだ。
 彼らはどうやってそんなに次から次に船を造るような金を持っているのかといったら、今できあがった船をそのまま抵当に入れて銀行から金を出させるのである。そのために、セレモニーのために銀行家や大手顧客の要人を夫人同伴で日本まで連れてくる。
 私たち末端はもしものことがあったら大騒ぎになってしまうのであるが、当時の下っ端である私なんかはそこまで見通すことができない。
 そんなお客一行30-40人を水口屋に連れて行って、夏なら浴衣にまで着替えさせ、廊下のガラス戸を大きく開け放って、素晴らしい庭を見ながらの大宴会を開いたものだ。
 当時はまだバイパスの道が庭の向こうを通ってなんぞいなくて、実に優美な庭であった。あのバイパスは便利のためにすべてを無にしてしまった典型例だといって良いだろう。鞆の浦のバイパスが却下されて実に良かったと、この例を想い出して、そう思った。
 元は脇本陣だった水口屋は江戸初期から続いた老舗割烹旅館で、1957年には静岡国体の際に昭和天皇皇后が逗留したというくらいだから、1970年代はまだまだその余韻が残っていたといっても良いだろう。多分外国人連中には好評だったに違いない。
 その後1985年に水口屋は店を閉め、鈴与が買い取って今は「水口屋ギャラリーフェルケール博物館別館」ということになっているのだそうだ。フェルケール博物館というのは確か清水の波止場あとにできている博物館のことだろう。
 実は私は西園寺公望の坐魚荘というのはこの水口屋のことだとばかり思っていた。それ位モノを知らない。西園寺が別荘として建てた坐魚荘に要人が尋ねてくると、水口屋に宿を取った、ということらしい。確か水口屋について書かれた本を読んだような気がするのだけれど。

4割

 誰がやった調査だったかまったく失念しているけれど、今の大学生の4割はまったく本を読まないと出ていましたが、え〜っ!と驚いたモノの、よく考えてみると、現役、つまり19-23歳までの私がどれほど本を読んでいただろうかと考えてもちょっと想い出せない。
 自分で学費を出して通ったときはむちゃくちゃ、むしゃぶりつくように本を読んだ。本を読んでいて良いという時間がとてつもなく嬉しかったなぁ。図書館でようやく見つけた本を広げて、思った通りの資料だったときには小躍りをしたくらいだった。
 だからICUの図書館の素晴らしさには感嘆をしてなかなか帰りたくならないくらいだった。転校した学校の図書館があたかも学生がやるだろう不正を避けることしか考えていない運営をしていたことにはあきれ果て、がっかりしたものだ。
 つまり学生も学生なら、学校も学校なのだ。24時間近く開いている図書館とはいわないまでも、やりたい学生のためならいくらでも対応する学校であって欲しい。できることならすべての図書を開架にするか、すべての学生が書架に入れるようにして欲しい。そしてそれに応えることのできる学生であって欲しい。
 最も重要なのは、社会もそうした学生を育てる目を持って欲しい。少なくとも経団連がそんな考えを持っているかといったら、それは全然ダメだ。何しろ4年生が始まる前から就活に没頭しろといっているのだから。いくら何でも酷すぎる。
 この国の文化にはあり得べき大学高等教育を求めるのは無理?

2016年03月01日のツイート