バルセローナ
24年ぶりにバルセローナにやってきました。
仕事ではありますが、食事の時やオフィスに行くときに街を見るだけでわくわくしてきます。
旧市街、カテドラルは外装工事中で外見はイマイチでしたが、中は荘厳そのものです。
近くの、これまた古いサンタマリア・デルマール教会では、丁度古いパイプオルガンが演奏されていて、人が集まっているので覗いてみると、まさに結婚式をあげた二人が家族や仲間に迎えられるところでした。
食事も、calamarcitoも美味しかったし、ローマ時代の壁
が残っているレストラン L'ANTIC BOCOI DEL GOTIC では、イタリアでもめったにお目にかかれないカルパッチョ、見事なアンチョビ、各種ハモンなど堪能させてもらいました、。
頑張れペコちゃん焼き
随分と間が開いてしまいました。
本業で社内BLOGは書くのですが、こっちをアップデイトする暇が取れず放置状態でした。(久しぶりに書くとデスマス調になっちゃったので、そのまま行きます)
なぜ書きたくなったかというと
「ペコちゃん必死の戦い「神楽坂・ペコちゃん焼」の存亡をかけて 不二家FC 飯田橋神楽坂店」を発見したからです。
私の住まいは、お店から歩いて10分くらいの所で、お店の前を通るたびに手焼きのペコちゃんを待つ人たちの行列を見て、なんとなく気持ちが温かくなったものです。
不二家の騒動の後、お店に貼ってあった店主の書状(というか宣言のように読めました)を見て、実は感動しました。
不二家飯田橋神楽坂店オリジナル商品のペコちゃん焼の販売を一時中止します
- 中略---
当店で製造販売している「ペコちゃん焼」は、飯田橋神楽坂店のオリジナル商品として、本社の原材料は一切使用せず、店内で製造販売してまいりましたが、不二家本体が社会的問題を引き起こした上は、不二家傘下のわたしたちの「ペコちゃん焼」も、製造販売を本日2007年1月15日より自粛することに決定しました。---中略---
2007年1月11日の不二家本社工場の不祥事の発覚以降菓子類を店内から撤収した後も、本社と協議のうえで、不二家本社工場とは異なる調達ルートの原材料を使用している「ペコちゃん焼」は、食品衛生・安全上も問題ないと判断し、いままで通りの営業を継続してまいりました。
しかし、2007年1月15日の社長会見の内容は、お客様の疑問を一掃するものではなく、さらに多くの疑義や不信を生み、事態を深刻化しました。そのことが当店をしてペコちゃん焼の製造販売の自粛にいたらせた大きな理由です。
- 以下略---
フランチャイズオーナーとしての責任、全国ここにしかないペコちゃん焼きを続けてきた誇り、本社への怒りが、短い文章に表れていて、「なんとか応援しなくちゃ」という気になったのです。大学生の娘とも「またペコちゃん焼き食べたい。このままじゃ寂しいから、署名活動でもやったらどうだろう」みたいな話もしていました。
今回、店主、平松さんのBLOGを見て、なにかできるわけではないんだけど、とにかく応援したくて、久しぶりに自分のBLOGをアップデイトした、というわけです。
中韓と米国への対応の違い
靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会が5日開かれ、神社内の戦史博物館「遊就館」の展示のうち、米国から批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことを決めた。10月中に修正文を作成し、年内をめどに展示を変更する。一方、中国や韓国などアジアの国々から「侵略戦争の認識が欠けており、アジアの独立を促したと正当化している」などと批判されている展示については、今のところ見直さない方針だ。
いったい、これはなんなのか。
あきらかに、米国に言われたら、さっさと言うことに従い、中韓から言われると「内政干渉!」といって声高に反発し、いたずらに相手を刺激する。
しかも、マスコミも、毎日はまだ短いながらも記事に書いているが、掲載さえしていないところもあるようだ。
阿片戦争
江戸時代、太平の眠りからの覚醒のきっかけになったのは、ペルーの来航だが、そこから実際に維新回天に向かうエネルギーには、「阿片戦争で全てを失った中国の二の舞になりかねない」という恐怖感が特に知識階級の間ではあったようだ。
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陳舜臣の小説という窓を通して、あらためて、歴史の中での阿片戦争の意味を考えた。
小説の中の脇役の一人に石田という日本人が登場するが、彼の目で見た阿片戦争と中国は、その後、吉田松陰や勝海舟や多くの幕末の志士、知識人が抱いた「なんとかしなくては」を予見させるものと言える。
昨年燃えさかった中国での反日運動は、歴史における日本の横暴、日本軍の残虐を中国が決して忘れず、ある意味、それを国民一体化のバネにしようとしているように見えるが、小説阿片戦争で描かれたイギリス兵の悪行を見ると、戦争の本質としての残虐、というものは古今東西変わらない、ということがよくわかる。その中で、中国は、なぜ阿片戦争を持ち出しイギリス排斥、という方向でなく、日本に対する反感をあおり、挑発するのか。
どうも、距離的に近いから、というだけではない、さまざまなものが背景としてあるように思う。
■
皇族の一人が妊娠した。
ニュースも各チャンネルともトップ扱い。
「男の子でも女の子でも元気なら」「本当におめでたいですね」
という善意の微笑みのオンパレード。
テレビを見ていて違和感を感じるのは私だけなんだろうか。
どうにも、これが号外を大量に印刷して街で配るようなニュースとも思えないし、建築偽装や官製談合や牛肉輸入問題をはるかに上回る重大性を持っているようにも思えない。
でも、アナウンサーもインタビュアーも、待ち行く人も、みんな心底喜んで、疑いが無いように見える。新しい生命が生まれるということは喜ばしいことであるが、ある特定の人が妊娠した、ということの社会的重大性というのは実は真の問題ではなく、実は、そこに隠された意図があるように思えて仕方ない。
ご臨終メディア ―質問しないマスコミと一人で考えない日本人 (集英社新書)
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軍産複合体の思惑とか、ネオコンの野望などの語彙だけでは説明できないと思いました。ブッシュは、イラクの民衆を本気で救っているつもりなんです。だから、これほどに理のない攻撃ができる。....
人を愛しなさいと説く教えを守りながら、ミサイルを撃ち、クラスター爆弾を投下する。この矛盾を埋めるのは、利益や保身だけではなく、やっぱり善意だと思います。
朝鮮半島の人々を救うという善意のために韓国を併合し、中国東北部の民衆のために満州国を起こす、こうした考え方は、社会全体がその方向を向きはじめ、それを普通の人々の善意がドライブする。なんだ、これって、日本が間違えた道を転がり落ちていった歴史と同じようなことを繰り返そうとしてるんじゃないの?
それが私が感じる違和感の正体のような気がする。
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昭和5年1月、浜口雄幸首相、井上準之助蔵相によって「金解禁」が実施された。
- 作者: 城山三郎
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第一次大戦の混乱期、金本位制を中止していた先進各国は続々と金本位に復帰したが、日本は中止したままで、その結果「通貨不安定国」として国際金融から見放され、為替も乱高下を続けるという状態を続けていた。
民政党の主要政策として掲げられた「金解禁」は、実現のためには、超緊縮財政を要求し、不況や失業の増大にも耐えなければならない。これを実行できる力を持った唯一の人物として、井上準之助は浜口から
「この仕事は命がけだ。すでに自分は一身を国に捧げる覚悟を定めた。きみも君国のため、覚悟を同じくしてくれないか。」
と誘われる。井上も「よし、この男に殉じよう」と決心し、そこから困難の極みを二人で突破していくことになる。
二人は、容貌風采はもとより、経歴も正確も対照的といっていいほどちがうが、互いにひかれるものがあった。
海外駐在をふまえての井上の情報収集力と国際的な視野での判断、それに物怖じしない行動力は、浜口には新鮮であったし、一方、井上は、それまで接した人々にはない重々しい迫力を、浜口の中に感じた。...
一方は雄弁、他方は寡黙。浜口は聞くことで、井上は聞かれることで、それぞれの自信を得た。
二人は野党、多くの国民、新聞、官僚の反対に対し、熱心に、論理的にその意味合いと利点を訴え続け、遂に金解禁を成し遂げる。しかし、次なる難問、ロンドン軍縮会議を受けた軍備削減では、なんとか国会を通したものの、軍部からの強力な突き上げ、そして、さらに枢密院の反対で、なんども挫折しそうになるが、ついに、国際協調につながる軍縮をも達成する。
しかし、金解禁と軍縮を成し遂げてまもなく、浜口は東京駅頭で暴漢に狙撃され、
「恰もステッキくらいの物体を大きな力で下腹部に押し込まれたような感じがして」
倒れてしまう。一命を取り留めたものの、浜口は弾丸を腹に入れたまま、無理をして国会に登壇する
「命にかかわるなら、約束を破っていいというのか。自分は死んでもいい。議政壇上で死ぬとしても、責任を全うしたい」....
3月9日、浜口は久しぶりに正装した姿を官邸玄関に見せた。背筋を伸ばしているが、頬はそげ落ち、顔面は蒼白で立っているのがふしぎなほどであった」
結局、体調は悪化し、民政党は急速に求心力を失い、政権は犬養を首班とする政友会に移ってしまう。新内閣は発足と同時に禁輸出を再度禁止。
浜口や井上の二年半にわたる苦労は、こうして水の泡になり、一方ドル買いたちは狂喜した。
一部の財閥が大もうけをし、円相場は暴落、輸入品の値段は高騰し、経済は果てしなきインフレへと一気に転がり落ちる。
貨幣価値の下落と物価騰貴に警鐘を鳴らす井上は精力的に講演をこなすが、彼も盟友浜口と同じく凶弾に倒れてしまう。
浜口、井上は非常に明確にわかっていたが、金本位制とは、日本の経済を立て直すと同時に、いや、それ以上に、軍の膨張に歯止めを掛け、日本が民主的な国家として国際社会に貢献し発展していくための最強のメカニズムだったのだ。
浜口・井上が凶弾に倒れて以降、軍部の暴走は、もうだれにも歯止めがかけられなくなっていく。
遠く歴史をさかのぼって考えると、第二次大戦は避けられなかった歴史的事実のようにも見えるが、浜口・井上内閣があと3年続いていたら、軍部の独断専行を押さえる枠組みを作り実行できていたら、などと、つい考えてしまう。
今、起こっている大きな流れも、歴史のどこかで振り返ると「あのとき、踏ん張っていれば、なんとかなったのに」と思うポイントなのかもしれない。
あきらめないで、地道にしぶとく、より良い道を歩むことができるように、自分の努力を放棄することだけはしてはならない、と改めて思う。