大分祝賀式典

今朝、小倉駅からソニック9号に乗って中津駅に向かいました。
昨年の中津駅前が「軍師官兵衛」一色でしたが、まだその名残がありました。
10時45分からサンレー大分の新年祝賀式典を新時代の結婚式場「ヴィラルーチェ」で行いました。さまざまな部署から、総勢150名以上が参集しました。


小倉駅のホームにて

勇壮な「ふれ太鼓」で幕を開ける

S2M宣言

新年祝賀式典のようす



司会は総務課の大谷猛司さんが務めました。
まず、豊前紫雲閣の緒方宏壮副支配人による「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて全員で社歌を斉唱し、それから日田営業所の石原郁弥所長によって「経営理念」および「S2M宣言」が読み上げられ、全員で唱和しました。


「社長訓示」で今年の方向性を示しました



そして、いよいよ「社長訓示」です。わたしは、以下のような話をしました。
平成27年、2015年の新しい年を社員のみなさんとともに迎えることができて、幸せを感じています。昨年は、大きな目標を掲げて、それにチャレンジした1年でした。いよいよ中津東紫雲閣がオープンする今年はさらなる高い目標に向って挑戦します。
昨年11月、わたしは東京の渋谷にある國學院大學で、「終活を考える」という特別講義を行いました。一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会および互助会保証株式会社の共催によるオープンカレッジ特別講座「豊かに生きる―人生儀礼の世界―」の最終回でした。
冒頭、わたしは「今日は國學院大學の教壇に立つことができて、感無量です」と述べ、國學院との御縁を話しました。佐久間進会長が國學院の出身であり、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けています。また、佐久間会長は亥年ですが、ともに國學院の教授を務めた日本民俗学の二大巨人・柳田國男折口信夫の2人も一回り違う亥年でした。佐久間会長が國學院で日本民俗学を学び、そのまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことには運命的なものを感じますわたし自身は、佐久間会長から思想と事業を受け継いでおり、幼少の頃から日本民俗学の香りに触れてきました。


国学」と「日本民俗学」について語りました



國學院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問です。契沖、賀茂真淵本居宣長平田篤胤らが活躍しました。わたしの実家の書庫には彼らの全集がすべて揃っており、わたしは高校時代から国学に関心を抱いていました。そして、「日本人とは何か」という国学の問題意識を継承したのが、「新国学」としての日本民俗学です。実家の書庫には、柳田・折口の全集をはじめとする民俗学の本も揃っており、それらを片っ端から読みました。
わたしは、「無縁社会」とか「葬式は、要らない」などの言葉が登場してしまった現在、日本人の原点を見直す意味でも日本民俗学の再評価が必要であると思います。



わたしは現在、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長を務めています。
そして、わたしは冠婚葬祭互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることだと考えます。
いわば、日本人を初期設定に戻すことが必要ではないかと思うのです。結婚式や葬儀の二大儀礼をはじめ、宮参り、七五三、成人式、長寿祝いなどの「冠婚葬祭」、そして正月や盆に代表される「年中行事」・・・これらの文化の中には、「日本人とは何か」という問いの答が詰まっています。たとえば、結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などの「民族的よりどころ」というべきものが反映しているからです。


冠婚葬祭は「文化の核」である!



日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。儀式なくして文化はありえず、その意味で儀式とは「文化の核」なのです。
結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。
古事記』に描かれたイザナギイザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンが後醍醐天皇の室町期以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきたのです。



古事記』や『日本書紀』を読むと、まさに日本は大いなる「和」の国、つまり大和の国であることがよくわかります。この正月を返上して、わたしは『決定版おもてなし入門』という本を書いていました。じつは、日本流の「おもてなし」には、「和」の精神が大いに影響しています。「和」とは平和の「和」であり、「和(なご)み」の「和」でもあります。
平和的な精神に満ちた「おもてなし」に触れれば、その人の心は和むのです。
神道が平和宗教であったがゆえに、後から入ってきた儒教も仏教も、最初は一時的に衝突があったにせよ、結果として共生し、さらには習合していきました。わたしは多くの著書で、「日本人の心は神道・仏教・儒教の三本柱から成り立っている」と繰り返し述べました。神道、仏教、儒教の三宗教が混ざり合っているところが日本人の「こころ」の最大の特徴であると言えるでしょう。わたしはその中で「おもてなし」が生まれ、育まれてきたと思います。 


「おもてなし」の源流とは何か?



もともと日本人の「おもてなし」や「思いやり」の心は、言葉を交わさなくても相手の気持ちを「察する」という行為そのものにあり、日本人はその心に長けていました。
なぜか。まず、神道の「神祭」の存在がとても重要です。「神祭」とは、自然の厳かな雰囲気など目に見えない貴いとされる神々、あるいは太古の昔から人々に畏れられた自然の脅威や、その自然からの恵みを大切に敬う精神性に基づいています。八百万の神という日本人の独特の宗教観があると思います。自然崇拝といわれるアニミズムもその一つです。そもそもは、その人がもっとも大切だと思うものに何かを差し上げることが「まつり」の意味です。
神聖な場所において魂と心を込めて作った食べ物や、「幣帛」という絹布などを神様に差し上げるための「神祭」が執り行われます。これが日本人の「おもてなしの原型」です。「おもてなし」の心は、「察する」という心の手法に長けた日本人が育ててきたものなのです。


日の本の人のこころを求めつつ 儀式(かたち)によりて幸ひを売る



この世界に誇るべき「おもてなし」を、わたしたちは冠婚葬祭の現場で発揮しなければなりません。わたしたちは血縁、地縁といったさまざまな「縁」に支えられて生きています。「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭です。結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。わたしたちは、儀式という「文化の核」によって「幸せ」を売っているのです。そして、「日の本の人のこころを求めつつ 儀式(かたち)によりて幸ひを売る」という歌を披露し、最後に「誇りを持って、今年も日本人を幸せにしましょう!」と締めくくりました。


サンレー・ホスピタリティ賞」の表彰を行いました

1級葬祭ディレクター合格者へ表彰状を渡す



また、各種表彰状を対象者のみなさんにお渡ししました。
みなさん、本当におめでとうございます!
その後、各責任者が部門別決意表明行いました。
営業推進部の武田ブロック長、ヴィラルーチェの辻支配人、マリエールオークパイン日田の吉田支配人、紫雲閣事業部の木原支配人、管理部の白鳥課長の順番で決意が読み上げられ、最後は大分事業部の大塚事業部長の決意表明を受け取りました。


一同礼!



最後は、全員で手をつないでの「和のこえ」を営業推進部の 武田崇ブロック長が音頭を取り、進発式はめでたく終了。全員の心が1つになりました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年1月8日 佐久間庸和