J-WAVE「OTOAJITO」

とても素晴らしい番組であった。落ち着いてて濃い60分間、アルバムの宣伝というより山内くんのヒストリーから音楽的な広さ、聞いてる音楽、楽器の話、趣味の話いろいろ、相手がクリスさんだからディープめに話してるのがすごくおもしろかった。いろんな人の名前や楽器が出てきた。話しが尽きない、いくらでも話せる感じ。こういうのが聞きたいんだよォォ・・・。だからやっぱりどっかでラジオのDJして欲しい。この人の深さをもっと広げて欲しい。

Charさんとの話がすごく興味深かった。これはPUFFYの「PAPAPAPA PARTY 2016」の打ち上げの時か。以前坂崎さんともやってたけど、Charさんとも楽屋でギター弾いてたのかぁ。ほんとにギターで誰とでも会話出来るんだなー。

お父さんの話とか良かったな。照れずにセッションやってあげて欲しいなー。

山内くんは人が楽器を始めようって話をしてるの聞いてる時すごく嬉しそうだなぁ。能の話おもしろかった。ワクワクした。なんか来年はやりたい事全部やろうと思えるようなラジオだった。

ビールの缶プシュッって開けてる音聞こえるのおもしろい。

J-WAVE「OTOAJITO」
2016.12.10 SAT 18:00~18:54
DJ:クリス・ペプラー
ゲスト:山内総一郎


──今年はどんな年でしたか?山内さんにとって。

今年はほんとにいろいろ新たな事にチャレンジした年だなーという年で、今年の頭に舞台も挑戦させていただいたりとか。なんていうんですかね、蕎麦屋の二階にいるギター弾きのヒッピー役だったんですけど(笑)。

──ステージでもギターを弾いて。

そうです。ステージが回転するんですよ。で、舞台セットとバンドセットと分かれていて、お笑いと舞台が合体したような、松尾スズキさんの舞台、まぁテレビで放送されたんですけど。

──あ、そうなんだ。なんていう演目なんですか?

「恋は、アナタのおそば」

──で、お蕎麦屋さんの役っていう。

蕎麦屋さんの二階に居候しているヒッピー役で(笑)ずっとアルペジオ弾きながら佇んでるみたいな感じの役だったんですけど。

──じゃあギターで語るみたいな。

そうです。んでちょこっと台詞があるっていうか。

──へー。どのくらいの台詞だったんですか?

えーほんとに一秒ぐらいの。

──一秒(笑)あー。

はははは。一言みたいな。

──逆に際だちますね。

そ、もう震えました。で僕の台詞がきっかけで暗転して違うシーンへ行くっていう、もう、思い返すだけで汗が出てきましたね。

──ものすごいきっかけなわけですね。

そうです(笑)まぁ今年はそういった貴重な体験をさせていただいた一年でした。

──じゃあ、乾杯しましょう。なんと山内さんがこの番組記念すべき400回目のゲストなので

嬉しいです。

──気合い入れて乾杯しましょう。いいですか、気合い入ってますか。

はい。入れました。

──よし。じゃあ乾杯。

乾杯!

\カチッ/

──あんまり音がしないんでね。

ほんとです。いただきます。

ゴクゴクゴク

──あー。

うわー美味しいですねー。いや、ご褒美なんじゃないかなと思って。

──もう、ご褒美と思ってください。

しかも、僕らバンド全員そうですけど、このビールが一番好きなんです。

──あっ。

全員。

──それは嬉しいですね。

黒ラベルがほんっとに好きで、なんでCMに呼んでくれないんだろうといつも思ってますけど(笑)ふふふふふ。

──みなさんそうおっしゃいますね。

そうですよね(笑)。

──そうなんです。そして今日持ってきていただいたのが、テングのビーフジャーキーですね。

はい。

──これは、お好きなんですか?

あの、ビールといえば〜

──あーもうねーテングですか。でもテングって、これ結構有名ですよね、なんかテングが好きな人ってすごい拘りある、ビーフジャーキーだったらなんでもいいって感じなんですか?それともやっぱりテングに拘ったんですかね。

やっぱテングがあると、あれ今日なんかあのいい、感じですよね。あの、お高いじゃないですか。あれ今日なんか豪華だなーみたいな。

──なるほど。

はい。

──じゃあこのテングを開けさ……、これテングは、ギターだったら何ですかね?レスポールですか?ストラトですか?

えーとテングなんだろうなーー・・・

──ジャズマスターですよね?使われてるのは。

いや、僕はストラトキャスターで、最近あのキースみたいなテレキャスを買いまして、はまってます。

──はー、あーでも

いい匂いですか。

──テレキャスの匂いですね、やっぱね。

そう、テレキャスですね。

──テレキャスですね。ストラトではないなぁ。

あーもーいいですね。

──うーん。

あーもーバランスがいい。テレキャスだなー。

──ですねー。

はい。

──ちょっと年季の入っている・・・

そうです。

──ビンテージのテレキャスの感じがしますよね。

ピックガード黒ですねこれ。

──あは(笑)。黒ですか。

これ黒です。

──あー。いい匂いです。

これじゃあ、開けちゃいます?

──うん。そのままで。はい。いいと思います。

どうぞ。

──はい、いただいちゃいまーす。

よいしょ。

──うん、テングだ。

僕もちょっといただいてもいいですか。……いい音ですね。

──ああ。

ビールといえば、昨日Charさんと結構深くまで飲みました。

──なんかイベントとかあったんですか?

イベントで、初めて一緒にお酒飲んで、すごい楽しかったです。

──それは打ち上げだったんですか?

打ち上げで。

──なるほど。そうですか。どうでした?あの人は。

Charさんですか?いやぁーー、ジェントルな、子供みたいな感じですね(笑)。

──言い当ててますね。

いやーでもこういう事言うとあの恐縮なんですけど。まぁ、ギターといえばCharさんっていうところで、ずっとCDも聴いてましたし、一緒にこう楽屋で結構二人でずっとギター弾けたりとかして、そういう……

──ずっと弾いてたんですか?

そうです。

──それは二人で共演するっていう場があった?

いや、それはその日のステージではなかったんですけど、楽屋ではギターがあったりして、話しながらギター弾きながらあそこのフレーズ知ってる?みたいな、これ実はこう弾いてんだよねーみたいな。こうだと思ってたでしょ?みたいなのも、Charさんから教えてもらったりとか。

──はいはい。

時代背景を含めていろいろ教えてくださったりとかして、すごい楽しかったです。

──あの人は私、14歳の頃から知ってるんで。

あ、それもおっしゃってました。クリスさんとあの一緒なんです、って言ったらそうかーって。はい。14歳かー。

──酷い事言ってたでしょ俺の事。

えーっ

──あのバカがどうのこうのとか。

あっ。

──大丈夫ですよずっとそんな関係なんで。

でもなんかそういう、それぐらいの口調だったような気がするんですけど、あまり聞かないようには。はははははは。

──全然全然、わかってますんでもうだいたい、どういう立ち位置なのかちゃんとあの昔から同じ関係なんでね。いまだに16歳と14歳の関係は変わっていないというか。でも非常に今は達観した感じですもんね、ギターとか、存在自体が。

うんうんうんうん。そうですねー。まぁギタリストっていうか、ギターなんじゃないかと思ってるんですよね。

──あればずっと触りますもんね。

そうです。もう一体化していて、自分も人からそう言われてきてたんですけど、Charさん見るとうぉぉわっ、年輪が違うと思って。僕は出身が大阪なんですけど、大阪……、昨日まぁCharさんと喋らせていただいてる時に「大阪出身です」って言ったら「ほんまでっか」って。はははは。ほんまでっかって。もう俺も大阪好きやねんって言ってはりましたけどね(笑)

──あの人はあの急に大阪の人といると大阪弁になりますね。

そうですねー。

──大阪人の方が波長が合うのかもしれない。

そうなんですかねー。

──うん。いつまで大阪にいらっしゃったんですか?

えー二十歳頃ですね。

──二十歳ぐらい。

はい。

──ふーん。

で十代の後半に東京に呼んでもらう機会が増えたんです。あのースタジオのレコーディングだったりとか。

──なんかすごいギター上手かったでしょ昔から。なんか聞く話によると昔はもうものすごいサッカーに没頭していて、そこからそれが音楽、ギターにシフトしたんですよね。

シフト、完全にシフトしました。

──それは何がきっかけだったんですか?

えっとー父がバンドやってまして。

──あ、ほんと、プロ?

全然、あの、アマチュアっていうか趣味でバンドやってて、ドラマーなんですけど、ビートルズ大好きで、僕は山内なんですけどリンゴ山内っていう(笑)ちょっと恥ずかしいんですけど父がやってて、で家にドラムセットとか電子ピアノとあと……アコースティックギターがあったんですね。そのアコースティックギターを押し入れから見つけまして、なんだろこれってことで、あ、これギターじゃないかっていうので、父親にちょっと教えてって言ったら、「コードっていうものがある」っていうふうに教えてもらって、それの押さえ方があるっていうのでこうチューニングもしてもらってジャーンって、これがG、これがC、G、F、Fはちょっとむずいねんけどな、とか言われながらこう、で「貸して貸して」って言ってGをコードのG、ソですね、ソのGをこうジャラーンって弾いた時にドキッ!として。

──え、ドキッとしたの、なんで。

ドキッ!ていうかビクッ!として、「あー、鳴った」と思って。

──あー綺麗に鳴ったんですね。

綺麗になったというか、あの、こんな体験した事ないっていう。

──どういう事なんだろそれ。

音楽、まぁ学校で習う音楽だったりとか、まぁ幼少の頃からピアノやってる友達とかまぁいたんですけど、僕はそのあまり興味がなくて、好きな曲とかあっても自分で出来るものだとは思ってなかったんです。あと歌もそんなに上手い方ではなかったし、なので自分からこう能動的に体動かして音が出るっていう事が、たて笛とかは吹いた事があるんですけど、その時に感動なかったんですけど(笑)、ギター弾いた時にこう全身……

──それはアコギだったんですね。

アコースティックギターです。全身包まれるような感覚になって、これだ!と思って。

──へーこれだと。G。

Gです。Gでもう、あの、ビートルズ「You've Got To Hide Your Love Away」、ビートルズはもうずっと家で流れてたっていうのもあるんですけど、「Help!」は僕自身一番好きなアルバムだったので、「あの曲だ」っていうことで。

──じゃあでも響きでなんかこうこれだ!と思ったわけですね。

思いました。

──そっか、俺前ローリング・ストーンズにインタビューした時キース・リチャーズに聞いたんですけど、一番好きなコードは何ですかってキースに聞いたら"G"って言ってましたね。

え゛〜〜〜〜、あ、でもそうですよオープンGですもんね。

──そうですねあの人はね。

6弦抜いて。

──うん、うん。

へ〜〜〜G〜〜〜・・・キースかっこいいなぁ〜。

──あのーでも若い頃から、学生の頃から東京に出てきて、セッションミュージシャンとかやられてたんですよね。

セッションミュージシャンっていうか、まぁまぁその東京に……

──でもプロとして、高校生ぐらいの時からやって……

高校生の時はただで東京に来てコンテストみたいな感じで、賞もらったりとかして、レコーディングさしてもらったりとか、18ぐらいの時に、僕よく楽器屋さんとライブハウスが一緒になってるところに入り浸ってたんですね。音楽やる友達ばっかりだったんで。でそこの店長と知り合いだった人とかが憂歌団内田勘太郎さんだったり、センチメンタルシティロマンスってバンドの中野督夫さんだったり、そういう方々に呼んでいただいてっていうか、「ちょっとお前手伝え」ぐらいの。

──それはどういうきっかけだったんですか?やっぱりどっかで見初められたというか、どっかで山内くん、すごい若いけどすごいいいじゃんっていうきっかけは何だったんですかね?

まぁよくツアーされてる方々なので、その地元に来るタイミングに、なんか「若いやつとセッションとか一緒に曲やろう」みたいなのが毎回あったんです。で僕毎回呼んでいただいてて、で「今度レコーディングやるから来るか?」みたいな感じになって、「あーじゃあ行きます行きます」みたいな感じから始まって、でーそこ……から東京にちょこちょこ。

──へーよっぽど練習したんですね、ギターは。

サッカーに例えるならキャプテン翼の翼君が「ボールは友達」じゃないですけどずっと触ってるっていうのもあって、サッカーやってる時はそういうふうにしてたんですけど、やっぱり苦手な事をほっといたなーっていうのがいろいろあったんですね(笑)。リフティングとか、なんかめんどくさい練習を全然しなかったんですけど、まぁギターを14、5歳で始めるっていうのはこれは遅いな、と思って、いろんな事チャレンジしようっていう気持ちはありましたね、ずっと。

──なるほどー。あの最初に買ったレコードはウルフルズの「バンザイ」。

はい。アルバムですね。

──これはおいくつの時ですか?

これたぶん14歳……

──そっか、じゃあちょうどギターを握るか握らないかぐらいですね。サッカーで揺らいでた時ぐらい?

その狭間ぐらいですかね。ギターまだやってなかったと思います。はい。

──それはあの、きっかけは何だったんですか?これが最初の、記念すべきファーストCDっていうのは。

えーとラジオで「ガッツだぜ!!」がものすごくかかってたんです。もういつもかかってて、「That's the way」とかも、原曲っていうか「That's the way」も知らないんですけど、それのちょっとおもしろくした感じっていうわけじゃなくって、その曲「ガッツだぜ!!」がもうほんとにかっこいいなと思って、エレキギターのリフだったりとか、めちゃめちゃかっこいいなーと思って、買いに行きました。自分で初めて買ったCDですね。はい。

──ふーん、そうかぁ。ちょうどおととい会いましたよトータスさん。

あ、そうですか。トータスさん、ラインよくします。

──あ、そうですか。

はい(笑)。

──トータスさんは知ってるんですか?山内さんが最初に買った……ファンだったっていうのは。

はい。もうそれいつも話してますし、あのー僕らイベントやってるんですね、毎年というか、あのー好きな、好きなっていうか対バンしたい人と対バンしてるんですけど、去年ウルフルズ出ていただいて、やらしていただきました。あのー、はい。

──そうですか。でも最高ですよねあの人達はね。

最……(笑)もうめちゃめちゃかっこいいです。やっぱりいでたちがかっこいいです。

──トータスさんはでもやっぱりほんと型にガーッと入りますからね。トータスさんのね、あの。

そうなんですよね、普段は「おー元気でやってるかー」みたいなこう、地元の兄ちゃんみたいな感じなんですけど、やっぱステージに立たれると、なんていうんですかね、やっぱり光が差してますね。

──差してますねー。うん、わかります。あとステージ上がる前のなんかこう、型にだんだんだんだん入っていくっていうか、ステージに立つ前のだんだんだんだん自分にこうエネルギーをこうギューッと入れてる様がね、なんかSF見てるみたいな感じじゃないですか(笑)なんかこう集めてる感じがねすごいするんですよね。

気を集めてるみたいなんありますね、はい。

──ミュージシャンを目指していて、お手本になったアーティストとかレコードとかCDとかいったらなんだったんですかね。

お手本……というか、まぁそのギターを始めて、ちょっとしてからなんですけど、ジェフ・ベックの曲を聴いた時に、明らかに人と違うっていうのがわかったんですね。明らかにこれはこうこの人にしか出来ない音、出せない音だっていうのを一聴してわかったので、やっぱり自分もそういうものを追求しないといけない、自分しか出せない、あのーギミックではなく、そういう人間にならなきゃいけないっていうふうに思ったのはジェフ・ベックがきっかけですね。

──アルバムでいうと何なんだろう。

いやー一番びっくりしたのは、あのージョージ・マーティンのトリビュートみたいなのがあって、高校生の時に出たんですけど、それでカバーされてるんですよ。あっ「a day in the life」だ。をカバーされてて、それを聴いた時に「これは歌だ」と思って、なにか扉を開けてもらったような。なんていうか、声でもその僕とクリスさんの違いがあるように、ギターだってそういうものだと思うんです。やっぱり使ってる機材だったりギターであったり、どうしても似通ってしまうものはあると思うんですけど、ジェフ・ベックは明らかに違うなと思って(笑)。

──ほんとエフェクトもすごくミニマムっていうか。

そうですね。

──オーバーってないですもんね(笑)この人ってなんかもう、よし行くぜ!って感じがあまりなくて、常に八分っていうかもうちょっといっていいんじゃねぇのぐらいな感じがすごい……。

ライブ見ると、もう楽しくなっちゃって、全開でやってる時もあるんですね、見てて「あっこうきたな」って。その時だいたいミスられるんですね。そーれがなんていうかおちゃめなんですよね。なんかこうワタワタしてるジェフ・ベック、そこになんかまたこう心持っていかれちゃうんですよね。

──あ、そうなの。逆にとちったりとかする?

それ、それがいいんですよ、なんか「あ〜〜全然変な音出てるけど、この音聴けただけで良かったな」と。

──初めて弾いた曲っていうのがスピッツのチェリーなんですよね。これおいくつの時なんですか?

これが14、5歳ですかね。

──じゃあそのお父さんが持ってたアコギで。

モーリスのアコギでしたね。あの歌本っていっていろんなヒット曲とか載ってて歌詞の上にコードがふってある、それを見ながら、その本の最後のページあたりにコードの押さえ方も載ってて、それ見ながらこう弾いたのがスピッツのチェリーですね。

──でそれがやっぱりひとつの鍵というか。引き金になったんですか?音楽家になる。

そうですねー。あのー最初Gを弾いて感動して、すぐこう欲求としては上手くなりたいと思ったんです。でーとにかくいろいろ弾きたいって思った時に、その歌本を見ながら、とにかく弾きたいっていうところで、チェリーを弾いたんですけど、あのーこういう音楽を作りながら生きていけるって最高だなと思ったきっかけがこういう曲、スピッツのチェリーだったりとか。羨ましかったですしね。音楽を作るって事が。

──そうするとじゃあこのスピッツのチェリーを弾けるようになったぐらいからちょっとビジョンとしては将来音楽家ってイメージ。

や、そうですもう、自分ではほんと甚だしいんですけど「もう俺はプロになれる」ってこの時点で確信してて(笑)、全然コードチェンジとかも出来てないのに、「あ、もうこれプロだな」みたいな。

──弾けるぞと。

「あ、もう俺はいける」みたいな。あのー、勘違いが、生まれまして。

──でも大事。大事ですよねそういうことね。

ま、父もその趣味で音楽やってたので、最初の方は、やっぱり喜んでくれたところもあるんですけど、やっぱ厳しかったですね。あの、それでいけると思うなよぐらいの感じだったんですけど、でも喜んでくれてはいましたね。で自分もなんかこう過剰に自信を持ってたし。

──でも夢を追える子供がいると親は嬉しいと思いますよ。

ああーー、そうですかねー。そういう話も父と何回かした事はあるんですけど、はい。

──でも今はお父さんとお母さんもう大喜びなんじゃないですか。特にお父さんなんか。

そうですねー。あのー新しい新曲とか楽しみにしてくれてますね。あとライブで地元に帰った時もライブとかも楽しみにしてくれてますし、いい曲書いた時褒めてくれますからね。それ以外の時(笑)無反応だったりしますけど。

──そのあたり正直でいいですね。

すごい正直ですね。母親もそうですね。

──お父さんとジャムった事あるんですか?

えっとやりたそうな父を見てものすごく恥ずかしかった思い出があります。まぁ二人兄弟なんですけど、下もギターをやってて、まぁ一時期、レコーディングエンジニアもやってて、今はもう全然違うんですけど、三人でこう家にたまたまいるタイミングがあって、父がおもむろにドラム椅子に座りだす、でなんかちょっとセッティングしだす、みたいな(笑)。まぁ10年ぐらい前なんですけどね、あの「じゃあやろか」って俺その時言えれば良かったんですけど、ちょっとこっ恥ずかしくて、なんかもう、何やってんの親父ーみたいな感じで、ちょっとハットとか叩き始めた瞬間俺無視しちゃったっていう(笑)あるんですけど。いつかやりたいな、と今は思えるんですけどね。

──やってあげないとダメですよそれは。

そうですねー。

──それはそれはもう絶対。絶対楽しいと思いますよ、親となんかそういうのやるっていうのは。

そうですね、僕も今楽しいだろうなーって、家もそう普通のドラムがある訳ではなくって、エレクトリックドラム、パッドが付いてる、あれなので、あれがもう20年以上前のものなので、あのーひび割れてたりして、それ新しいのまず買ってあげようと思って。

──いいじゃないですかお誕生日かなんかに。

そうですね。そう、そうなんです、それが誕生日に贈ろうと思ってたんですけど、あのーボーッとしてたら過ぎちゃいまして。ふふふふふ。今度ちょっと父と二人でちょっと買い物に行こうかなとは思うんですけど。

──でもそれでパッとセッティングして「ちょっと親父やるか」って言ったらお父さん喜ぶと思いますよ。

そうですねー。でもそう言ったらそう言ったで父もなんか「今はええわ」みたいな事言いそうで。

──あーまぁとりあえず慣れるまでっていうか(笑)具合を知ってから2〜3ヶ月後だんだん慣れてきた時にパッて「お父さん、どうもう慣れた?じゃやろうよ」みたいな、喜びますよ。

あーやりたいですねー。

──あのーさっきジェフ・ベックが好きだって言ってたんですけど、熱中して聴いてたアルバムはBECKなんですよね。

えーとBECKです。あーそうなんですよー。

──ベックベックだけど全然違うみたいな。

まベックもアルバムによってはもうすごいギターをフューチャーしたアルバムもありますけど、これが僕が高校1〜2年生の時に「Mutations」ってアルバムで、当時通ってた高校っていうのは一秒でも遅刻すると漢字を延々書かされる部屋に通される、通されるっていうか(笑)入れられて、授業に参加出来ないんですね。遅れて入るのは授業の邪魔になるっていうのもあると思うんですけど、まぁお仕置き部屋みたいなのがあって、そこすごいヤで(笑)、田んぼが近くにたくさんあるとこだったんですけど、一秒でも遅刻すると、田んぼに隠れてCDウォークマンでCDばっかり聴いてたんです。

──あーもう一秒遅れたら入ったとこでとんでもない目に遭うから。

とんでもない目に遭うんで、一時間目、一限目が終わるまでそこでCD聴いたり、下手したら二時間目終わるまで聴いたりとか。

──田んぼの中で。田んぼの中でMutations。

ベックの「Mutations」、ジェームス・イハの「Let It Come Down」、Radioheadの「Ok Computer」、もういったらその当時の大ヒットアルバムじゃないすかね、あと何聴いてたっけなー、あとあれもそう、トータスもそうですね、あの青いやつです。名前忘れたんですけど(笑)。はい。とか聴いて、んであの、あ、チャイムが鳴ったな、と思ったら「すいません、遅れました」って言って入る。

──なるほどー、そうかー。

なんていうんですかね、稲穂、の記憶と一緒になってるんですよね、だから。

──この、ベックと稲穂が。

一緒です。

──いいですね。なんかね、今見えますね。ボッサな感じに稲穂がこう揺られているような。

そうですか(笑)?

──ちょっとアンバランスなのが逆にアンバランスだからいいんだよね。

そうですそうです(笑)フォーキーなサウンドにどうも弱くって、好きで。ベックもそうですしね。はい。ニール・ヤングも。

──あ、そうなの?ニール・ヤングも。

ニール・ヤングとか、「After The Gold Rush」とか聴いて……あとはまぁ、あ、アイリッシュ系とかですね。あのアンディー・アーヴァインとポール・ブレイディがやってたあのマンドリンとアコギかな、ブズーキとアコギとか、ああいうちょっとアイリッシュフォークみたいなのがものすごく好きでした。今でも好きですけど。

──結構楽器は好きなんですよね。なんか聞いた話によるといろいろマンドリンだったりとかチェロだったりとか、楽器自体が結構お好きなような。

好きですねー。弾く事が好きなんでしょうね。

──それはフジファブリックのレコーディングなんかにも入れたりとかするんですか?

します。あのやりますけど、他のメンバーっていうのは例えばバンジョーとか、カントリー系の楽器っていうのはあんまり好きじゃない、というか受けが悪いっすね。まぁ結構カウンターでいろいろ入れたいんで例えばなんてったらいいんですかね、バラードっていったらちょっとあんまり好きな言葉じゃないですけど、スローなバラードみたいなんに、無茶苦茶な、無茶苦茶なっていうかまぁカントリーのフレーズを5弦バンジョーで入れたりとか、この発想どう?っていうふうに思うんですけど、そのいたずら心で、でもやっぱりこういらないんじゃないかなーって言われる事が多いですね。

──そっかー。そういう時やっぱりちょっと悲しいですか?

慣れました(笑)。

──慣れました(笑)。

最初のうちは「あれ、これせっかく買ったのに」っていうのはあったんですけど、最近まぁその音がやっぱり頭に浮かんじゃうので、試さないと気が済まなくて、試すんですけど、なかなかOKはもらえないっすね。

──なるほどねー。ちなみにフジファブリックニューアルバム「STAND!!」が来週12月14日にリリースされますが、今回のアルバムはどんな感じですか自分にとっては。

先ほどトータスさんの話にもあったんですけど、ものすごくこう、気を集めたようなもので、力を込めたっていうとちょっと違うんですけど、曲自体にその気を集めたものが入ってますね、全曲。

──これはどこですか?なんか運河かなんかのヨーロッパっぽいところで。

コペンハーゲンです。

──コペンハーゲンで誰がこれ水に飛びこんでるんですか?

これはねー、あのー、ジャケットデザイナーの会社の元スタッフの方で、飛び込んで、写真を撮ったら意外と良くて、これおもしろくない?ってそのデザイナーが見せてくれたんですよ。この写真めちゃめちゃいいっすねっていって、それをジャケットにして。

──かっこいいですね。

iPhoneですだから。

──なんかこれ、ヒプノシスって知ってます?

大好きです。

──なんかヒプノシスっぽくないですかこれ(笑)。

僕ね、ヒプノシスのジャケットやっぱりもうなんでみんなああいうふうなん作らないんだろうぐらいに大好きなんですけど、やっぱりそういうーあれ一言で言えるジャケットじゃないですか。あ、なんか豚が飛んでるジャケットとか、牛、とか、トライアングルとか、人燃えてるジャケットなんて一番好きな炎のジャケットとか、10ccのびっくり電話とか、あのーヒプノシスをやろうってわけじゃないんですけど、やっぱりこう一言で言えるジャケットっていうのはあのー素晴らしいなーって。

──この瞬間のちょうどこのしぶきがぱっとあがってこの、凍り付いてる瞬間がすげぇヒプノシスな感じが(笑)。

あっ、ヒプノシスはその動きがあるんですよね。ジャケットに。あのーそういうとこもやっぱり力強いアルバムが出来たなってあの自負もあったので、動きのある能動的なアルバムを表現するのにはやっぱり動いてもらった方がいいんじゃないかって事で。

──年明けツアーがスタートします。どのようなツアーになりますか?

えーっとまぁここ最近かなりこうバンドの素の部分っていうか、あのーなんていうんですかね、演奏でこうグッと持っていくっていったらあれですけど、そういったものに手応えを感じてきたので、今回はそれに加えてエンターテイメントの部分っていったらあれですけど、一言で言うと派手なツアーにしたいなと思ってます。そういうアルバムが出来たので、そういう気持ちになることが出来たというか、はい。派手なツアーにしたいです。

──でもどうですか?フジファブリック実は山内さんは一番最後にバンドに入られて、もう何年になるんですか?

まぁサポートメンバーの時期もあったんでだいたい2003年ぐらいから一緒に活動し始めたんで、10……何年だ、13年とかですね。

──まぁでも志村さんが亡くなった時から、バンドが果たしてこのまままっすぐいくのかどうなのかという時期もあったと思いますけど、この13年間っていうとやっぱりすごくそういった意味ではいろんなこう紆余曲折があったわけじゃないですか。

いやーめちゃめちゃありましたねー。あのデビューした事もそうですけど、まぁそこで大きく何か変わった気もしますけど、やっぱ大きな事で言ったらやっぱり2009年の志村君の事がやっぱり一番こうバンドの中心人物……でしたし、まぁバンドを作ったのが彼だったので、すぐにじゃあバンド続けようっていうふうにはやっぱ最初は思えなくって、で半年一年近く時間をかけて、月一で残りのメンバーっていうか三人で集まって、まぁ無駄話から入り、でバンドいつかやりたいねみたいなのを毎月やってたんですね(笑)。でーそこからまぁやろうっていう事を決めて、まぁ前例がないなってところで、まぁまた新たなところ切り開いていかないといけないっていうところで、大変だろうなとは思ってましたけど(笑)まぁでも今こうやって音楽が出来てることがほんとに、くさいようですけど幸せだなっていつも、いつも感じてますね。

──どうですか、来年は楽しい年になりますか。

なりそうですね。あのアルバム出来たんですけど、またどこか自分で旅に出れるっていうか、インプット出来るなってところが、出した分、インプット出来るなっていうのがあるんで、まぁ来年一年はそういった旅みたいなものに出たいなと思ってます。

──旅ですか。

はい。まぁ物理的にそのいろんなところへ

──まわるということではなく。

も、行ってみるのもありだと思いますし、いろんな事にチャレンジしたい事が多くって。

──いいじゃないですか、もうやってみたいなと思ったらとりあえずやって失敗した方がやらないよりずっとましですもんね。

そうなんですよ。今日もずっとここに来るまでにそういう本、能の本とか、合気道の本とか、読みまくってもう(笑)あとお茶とかもやってみたいし……

──やりたいこと絶対やった方がいいですよ全部。お能はなんですか、舞いたいんですか、それとも鼓を叩きたいですか。

あのー謡(うたい)を、やってみたいなっていうのがあって、いとうせいこうさんがやられてて、いいよ!って教えてくださったんですよ。でーその一緒に一回行ってみる?って言ってくださったので、ぜひ一度やってみたいなーって。

──そうかーいいですねー。

はい。

──私も今年こそはやろうと思ってる事があって。

何ですか。

──何年前かな、15、6年ぐらい前にタブラ買ったんですよ。

あ!U-zhaanU-zhaan!あはははは。

──そうそう、U-zhaanに頼もうかなと思って。

メールしますか、今。メールしますか(笑)。

──それでずっとこう習いたいって、結構タブラ大好きなので、結構我流でYouTubeとか見てたんだけど、今年はもう、やりたいなみたいな。

いいですよね〜。

──そう。

いつか、フジファブリックにタブラで参加してください。

──ああもうぜひ。

いやほんとに。タブラとあと歌も歌ってもらいたい……(笑)いい声だから(笑)。

──いやそんな事はないですよ(声作ってる)。

はははははは。

──でもまぁあのタブラはちょっとなんかこう、来年2017年はタブラに没頭みたいな。

あーいいですねー。

──タブラにたぶらかされるぞ?みたいな。

……(笑)

──すごい今日は楽しいお話が出来ましてありがとうございます。

いえいえこちらこそほんとに、ありがとうございます。

──またぜひ機会があれば。

あっお願いします。タブラもぜひお願いします。

──ありがとうございます。

J-WAVE WEBSITE : SAPPORO BEER OTOAJITO