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イースター島

(ゲーム)
いーすたーとう

イースター島とは

部族間のモアイ建造競争をモチーフとしたボードゲーム。
高さ20cm近いモアイ像と本物の砂利が入ったユニークなコンポーネントが特徴。

ルール概要

モアイを早くゴールまで運ぶレースゲームだが、単純にゴール順位だけではなくモアイの重さで勝敗を決する。
自分の手版に、カードで示された数の石を自分のモアイに入れて他人のモアイを前進させるか、他人のモアイに入れて自分のモアイを前進させるか選ぶ。
2対のモアイがゴールしたら、中に入っている石の数を数え、多いほうが勝利となる。

イースター島

(地理)
いーすたーとう

正式な名称は、先住民の言葉である「ラパ・ヌイ島」。
チリ領となっているが、チリ本土から3,700km離れた、南太平洋の絶海の孤島。火山島であり、3つの死火山を頂点とする三角形の島。面積117平方km。
かつては亜熱帯性雨林の島だったが、現在は自然破壊により不毛の荒地となっている。

高さ5m、重量20tにも及ぶ巨大石像「モアイ」が600体以上も残されており、かつて立てられた石像で最も高いものは高さ10m、重量75tで、パロと呼ばれている。不毛の孤島に立ち並ぶ巨大石像は18世紀になってヨーロッパに紹介されて以来魅力的な謎として、ハイエルダール他多くの人を引きつけた。何の為に作られたのかは今もって謎であるが、もともとは東ポリネシアに広汎に見られる伝統的な祭祀場であり、石像の彫刻には絶好な素材である凝灰岩が豊富であったこと、閉鎖環境で氏族同士の対抗心がエスカレートしたことが、独自の発展をもたらしたものと考えられている。

原住民はポリネシア系であり、文化も東ポリネシア系に属する。島民の口承ではホトゥマトウァ(偉大なる先祖)と呼ばれるものが、妻子一族を連れて、カヌーで航海してきて定住したのが始まりといわれている。その正確な年代は不明だが、放射性炭素測定によれば西暦900年ごろと推定されている。この島に最初に到着したヨーロッパ人はオランダの探検家ヤコブ・ロッヘフェーンであり、1722年4月5日イースターの日であった。最盛期には最多で3万人いたといわれる人口だが、島とその周辺の天然資源はそれだけの人口を支えきれなかった。17世紀には森林乱伐による自然破壊が飢餓と内乱を引き起こし、さらに18世紀ヨーロッパ人の来航後、天然痘の流行、奴隷狩りにより19世紀末には111人まで減少してしまう。1888年にはチリ政府により併合されるが、イースター島民がチリ国民として認められたのは1966年のことである。現在の島民の約半数は本土生まれのチリ人からなる。
コハウ・ロンゴロンゴと呼ばれる、板に刻まれた絵文字が発見されているが、宣教師により「悪魔の文字」として焼却処分されるなどして現在残っている資料はほとんどなく、未だ解読されていない。僅かに独特の書き方---奇数行と偶数行が180度反転して書かれている---が知られているのみである。

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