発明家のトーマス・アルヴァ・エジソンのこと。
【Edison, Thomas Alva】アメリカの発明家(1847-1931)。
電球をはじめ、生涯約1300もの発明をしたことにより「発明王」として知られる。また映画撮影機であるキネトグラフや、映画を観る機械であるキネトスコープを発明したことから「映画の父」とも呼ばれている。
発明家としての側面に加え、熱心なオカルト研究者としても知られる。
1847年2月11日にアメリカのオハイオ州、ミランで生まれた。
1854年、小学校に通い始めるも学校教育になじむことができず退学し、代わりに元教師だった母に勉強を教わりながら育つ。自宅の地下に実験室を作ってこもり、実験に没頭する。その後、列車での新聞売りの仕事を始める。列車に乗るときに車掌に耳をつかまれたことがきっかけで、難聴になる。また、列車の中に実験室を作ったものの、可燃性の薬品を床に落としてあわや火事となりかけて、追い出される。
1868年10月28日に彼の最初の特許、電気投票記録機を出願した。
1877年、蓄音機で名声を獲得。ニュージャージー州にメンローパーク研究室を設立する。
1878年、エジソン電灯会社設立。1879年、フィラメントに日本の竹を使うことによって白熱電球を長時間点灯することに成功。1882年、世界初の発電所をつくる。
1871年、24歳でマリーという名前の女性と結婚。しかし、1883年にマリーは病気で若くして死んでしまう。
妻が他界した2年後の1885年、38歳でボストンの花嫁学校に通う18歳のマイナ・ミラーに恋をする。マイナは最初「年齢が違いすぎるから」と嫌がっていたが、エジソンの情熱にほだされて互いに想いを寄せるようになった。2人で旅行に行った際、エジソンはマイナの手の平にモールス信号でプロポーズし、再婚した。(2005年11月09日の『トリビアの泉』より。80へぇで金の脳獲得)
エジソンが他界した後、マイナは幼なじみの男性と再婚した。
エジソンは1931年10月18日、84歳で亡くなった。
葬儀の日、当時の大統領は、エジソンへの感謝を表すためにアメリカ中で電気を数分間消すようにという粋な演出を提案し、多くの家庭で実行された。
=エジソンの名言=
「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。」
「私は一日たりと、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから。」
「ほとんど全ての人間は、もうこれ以上アイディアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに」
「もし自分のできることをすべて実行すれば、その結果に文字通りびっくり仰天することだろう。」