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プラザ合意

(社会)
ぷらざごうい

1985年9月22日、NYのプラザホテルで開かれたG5蔵相会議での決定事項。
G5つまり日・米・仏・西独・英の蔵相らが、この会議で5カ国が協力して「ドル安」を推進することを決定した。目標相場水準を掲げ、各国が金融政策を協調させることで強い影響力を行使した。
ドル円レートは発表の翌日1日(24時間)で1ドル235円から約20円下落、一年後にはほぼ半値の120円台となった。

背景

レーガン政権下での市場不介入、小さな政府を掲げたレーガノミクスが維持不可能な巨額の財政赤字・貿易赤字ーいわゆる双子の赤字を生み出した。70年代のドル危機再来が懸念されるに至って、米政府はジェイムズ・ベーカー財務長官のもとで為替市場への介入に方針転換した。

結果

行き過ぎるドル安を止めるために1987年2月22日、G5各国はルーブル合意として為替安定化のための政策協調を決定する。しかし協調は徹底されず、米独の政策のズレが株価の大暴落(ブラックマンデー)を招くことになった。
プラザ合意の効果としてドル高の是正は期待以上に行われたが肝心の米貿易収支改善は進まなかった。一方で円高によって相対的に日本の存在感が増大し、続くクリントン政権下でのジャパンバッシングを引き起こす。

日本等への影響

深刻な円高不況への対策として日銀は低金利政策を採用、しかし製造業は多く海外投資に向かい国内での投資先が失われたために供給された資金は投機に走って株価や不動産価格を押し上げた。ブラックマンデーによって日銀が引締めのタイミングを逸した結果巨大な過剰流動性が生み出され、バブル経済が出来した。
投資先となった東南アジアでは外資の流入をテコとした急速な経済成長が起こり「東アジアの奇跡」とよばれることとなるが、それはそのまま後のアジア通貨危機の遠因ともなった。

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