1991年、バブル景気の終焉が密やかに始まろうとしていた春。だけど、私の視界には、株価の下落も、世の中のざわつきもいっさい映っていなかった。 彼がいない…ただ、それだけだった。 トシオさんがニュージーランドに駐在員として赴任し私の毎日は、まるで色の抜けた白黒フィルムのよう。仕事も惰性、趣味もない。会社と家の往復に、心はどこにもなかった。空いた時間を埋める努力さえ、する気にもなれなかった。 唯一、私が「生きてる」と思えた瞬間。それは、公衆電話からニュージーランドへ国際電話をかけているとき。当時、1分136円。1000円のテレフォンカードで話せるのは、たった7分。その7分のために、駅の売店で何枚も…