Lionel Messi
アルゼンチン代表歴のあるサッカー選手。ポジションはフォワードまたは攻撃的ミッドフィルダー(セカンドトップ,ウイング)。本人がブログ上で使っている愛称はレオ(LEO)。
フルネーム | Lionel Andrés Messi (リオネル・アンドレス・メッシ) |
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生年月日 | 1987年6月24日 |
出身地 | Rosario アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ*1 |
身長 | 169cm |
体重 | 67kg |
ポジション | フォワード / ミッドフィルダー |
利き足 | 左足 |
ニックネーム | Leo, Lio, Pulga |
1995〜00 : ニューウェルス・オールドボーイズ (アルゼンチン)
2000〜04 : バルセロナB (スペイン)
2004〜 : FCバルセロナ (スペイン)
類稀なテクニック・ドリブル・シュート力を有したMF・FWで、FCバルセロナとアルゼンチン代表のエースである。2005年に18歳になるとほぼ同時にFCバルセロナとプロ契約を結び、2008-09シーズンより背番号は10。
U-20アルゼンチン代表のエースとして飛び級で参加した2005年FIFAワールドユース選手権・オランダ大会ではチームを優勝に導く大活躍を見せ、通算6ゴールで得点王と最優秀選手に輝いた。
父親がファンであったライオネル・リッチーに由来する。普段は名前を縮めてレオ(Leo)と呼ばれる。他にノミを意味するプルガ(Pulga)というあだ名もある。
アルゼンチンのニューウェルス・オールドボーイズの下部組織でプレーしていた11歳当時、成長ホルモンが分泌されないという病気にかかってしまい、身長は僅か140cmしかなかった。
メッシの育った家庭は貧しく足りない治療費を捻出するために、両親は彼をスペインに連れて行き、バルセロナ入団テストを受けさせた。
当時バルセロナの監督を務めていたカルロス・レシャックは、彼のプレーを10分も見ない内に 「 バルセロナは彼の治療にかかる全ての費用を負担する 」 と決め、「 1年後には1部チームでレギュラーになっているかもしれない 」「 2006年のドイツワールドカップで活躍する可能性もある 」 と、メッシの才能に惚れ込んでしまったという逸話がある。
その後2000年に13歳でFCバルセロナの下部組織に入団。アーセナルFCのセスク・ファブレガスなどが同カテゴリであった。その後は順調にカテゴリを上げて、2003年にはFCポルトとの親善試合においてAチームでプレー。Aチームでの公式戦デビューは2004年10月16日のラ・リーガ第7節・RCDエスパニョールとのダービーマッチ。ヨーロッパカップ戦デビューは、2004年12月7日のUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグ第6節FCシャフタール・ドネツク戦で、これが公式戦初のスタメン出場でありフル出場でもあった。2005年5月1日、アルバセテ・バロンピエ戦の2点目のゴールで 「 17歳10か月7日 」 というFCバルセロナ最年少得点記録を樹立した。
2006-07シーズン、カンプ・ノウでの "クラシコ" レアル・マドリーCF戦ではハットトリックを記録。コパ・デル・レイ準決勝 1st.leg のヘタフェCF戦では、センターサークル付近からドリブルで "5人抜きゴール" という、ディエゴ・マラドーナを彷彿させるスーパープレーを成し遂げた。
アルゼンチン代表としては2005年8月17日のハンガリーとの親善試合がデビュー戦。この時は63分に途中出場するも65分に退場となっている。ワールドカップデビューは、2006年6月16日のセルビア・モンテネグロ戦。75分に途中出場し、78分にアシスト、88分にゴールを記録する鮮烈なデビューとなった。またこの試合で、アルゼンチンのワールドカップ最年少得点記録を更新している。
父親がコーチを務めるクラブチームで5歳の時から本格的にサッカーを始めるが、11歳時に成長ホルモンの分泌異常の症状が発覚。治療なしでは身体が発達しないと診断。
現在所属するFCバルセロナが治療費を全額負担し、治療を続けた結果、17歳の時、現在の身長169cmにまで成長。(入団時は13歳で143cmしかなかった。)
プロのサッカー選手としてのキャリアがスタートしたのは17歳。17歳と10カ月7日でゴールを決め、クラブ史上最年少を記録。
2005年には、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーを抑えて選出。
2008年の北京オリンピックでは2ゴールをあげ、決勝ではゴールのアシストをするなど、金メダルに大きく貢献。
2009年、アルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手賞とバロンドールをW受賞。2007年、2008年と2年連続で次点となっていたため、3度目の正直での受賞を決めた。その勢いは止まらず、2010・11・12年と4年連続で統合されたFIFAバロンドールを受賞している。
危惧されるのが怪我の多さ。筋肉系の故障が多く、シーズン途中で欠場することが多々ある。2007年までシーズンを通してコンスタントにピッチに立っていた経験がなかった。
2008-2009年シーズンから監督の指揮の元、食事栄養面を重視した体調管理に成功。シーズン通して怪我なく過ごすことが出来、スペインクラブチーム初の三冠達成に大きく貢献。
世界最高レベルのドリブルを持つあまり単独での突破に固執する傾向があり、行き当たりばったりのプレイが目立つとの指摘もある。
ディエゴ・マラドーナ2世と呼ぶ声も多く、マラドーナ本人からもそれを認められている。また、フランク・ライカールトからは「バルセロナの将来」と呼ばれていた。
ワールドサッカー ウイニングイレブン 2009〜2011のイメージキャラクターを務めていた。メッシ自身もウイニングイレブンシリーズをプレーしており、すぽると!の企画では国分太一と対戦。
サッカーゲーム、愛犬ファチャとの散歩、甥っ子と遊ぶことなど。
ミラネーサ・ナポリターナ(チーズ、トマトソースなどをのせたカツレツ)、アサードと呼ばれる豪快なアルゼンチン風のバーベキュー。
UNICEFの世界親善大使にも任命され、メッシ財団を軸に世界へ向けた社会貢献活動に力を入れていく。
*1:スペイン国籍を有するためEU圏内選手としてプレー可能