おごそかにして晴がましい菊花展というものを、ながらく観ていない。 今だってどこかで、大輪の三本立ちや千輪咲きや、懸崖作りや小菊盆栽は、威風堂々と展示されてあるのだろう。天皇家に由来するが場所、たとえば明治神宮にも新宿御苑にも、ながらく赴いたことがない。古刹名園だの百貨店の大催事場だのにも、足を向ける機会がない。ようするに、菊花が飾られてあるような場所へ、私が出かけなくなっただけなのだろう。 菊と聴いて連想が湧く記憶がないわけじゃない。漱石『三四郎』だって、一葉と本郷菊坂だって、それよりなにより中山義秀『厚物咲』について、記憶を蘇らせてみたいことはある。 我われが花と観ているのはじつは花の集合体…