室町時代に駿河国の守護大名でその後、戦国大名となった武家である。本姓は清和源氏。家系は足利氏一門。吉良氏の分家にあたり、足利一門の中では斯波氏に次ぎ、名門中の名門である。戦国大名としての今川氏は今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にしてから8年で滅亡した。今川義元の嫡男の今川氏真はその後は江戸幕府高家として徳川家に仕えた。
前回の続きです。 senri-nchu.hatenablog.com
こんにちは、rekikakkunです。 静岡市の街の歴史について、 お城、史跡を訪ねながら まとめていけたらと思います。 少し調べてみますと、 室町の南北朝時代の頃、静岡の街は 「府中」と呼ばれてました。 そして戦国中期頃から「駿府」と 呼ばれる様になった様です。 今回は、お城の話が出始める南北朝時代、 南朝方の拠点だった安倍城と、 その安倍城に対峙する 北朝方の賎機山城について、 簡単にご紹介致しますー。 下のグーグルマップでは ①が安倍城、②が賎機山城です。 ③浅間神社、④臨済寺、⑤駿府城(今川館もここと想定されている) 足利尊氏が室町幕府を開き、建武3年1336年、 駿河の国は今川範国が…
黒田基樹著『今川のおんな家長 寿桂尼』(平凡社、2021年)読了。 戦国大名今川家の当主代行を務め「おんな戦国大名」とも称される寿桂尼の生涯を、彼女の発給した文書や公家の日記から丹念に検討し、戦国大名家における「家」妻の地位を明らかにする1冊。 黒田基樹著『今川のおんな家長 寿桂尼』(平凡社) 概要と感想 本書の序盤は、寿桂尼周辺の家族関係の確認からはじまる。寿桂尼の実家中御門家の人々や、夫氏親の姉の嫁ぎ先である正親町三条家の人々など、氏親・寿桂尼の多くの縁者が駿府に下向しており、当時の駿府の繁栄がしのばれた。また、寿桂尼所出の子は、長女吉良義堯妻・長男氏輝・次女中御門宣綱妻・三女北条氏康妻・…
大石泰史著『城の政治戦略』(角川選書、2020年)読了。 戦国期今川氏の4つの城館を対象に、文献史学の立場から城館の政治・経済的役割を考える一冊。 概要と感想 今川氏領国であった駿河・遠江・三河の城館は、今川氏滅亡後に徳川・武田・北条氏の攻防の舞台となり、現在に残る遺構も三氏の攻防の歴史と結びつけられて考えられている。その背景には、今川氏時代の城に関する文書の僅少さもあり、これまで同時期の城館の役割・機能についての考察は深められていなかった。本書では駿河府中今川館・駿河国興国寺城・遠江国高天神城・三河国吉田城を取り上げ、残された文書から今川氏領国において各城が築かれた政治的背景や地理的条件を叙…
先日、静岡県の焼津市歴史民俗資料館にて行われている企画展「寺社からたどる戦国の焼津」を拝見しました。 企画展ポスター焼津市歴史民俗資料館(焼津市文化センター)本展は、戦国期の焼津市域を舞台に合戦を繰り広げた今川氏・武田氏・徳川氏の動向や、彼らと寺社との関係について、寺社に所蔵されている史料を中心に紹介する展示となっていました。展示は、今川氏→武田氏→徳川氏の流れで、戦国期焼津市とその周辺で起こった出来事について、古文書や寺社の縁起・寺社に伝わる伝承を紹介する形となっていました。今川氏・武田氏に関しては、焼津市の林叟院所蔵の市資料が比較的多くありました。林叟院は小川城(同市)の城主とされる長谷川…
先日、静岡県藤枝市郷土博物館・文学館にて行われている特別展「駿河の南北朝動乱展 今川氏、駿河支配のルーツをたどる」へ行きました。 特別展ポスター藤枝市郷土博物館・文学館 南北朝時代に駿河国内で行われた全国規模の合戦の過程や、それらの合戦での武功によって駿河守護となった今川氏が、同国の支配を確立していく様子を、古文書や城郭模型・民俗資料から見ていく展示となっていました。印象的だったのは、足利尊氏自画自賛の地蔵菩薩像や足利尊氏坐像など、尊氏が崇敬した静岡市清水区の清見寺に関する資料が多かったことでした。また鉄舟寺所蔵の旧久能寺文書や安養寺所蔵の満願寺文書など、寺社関係史料も多く、尊氏と直義の攻防を…
「今川氏ってどんな戦国大名?」 「今川氏の最盛期をつくりあげた今川義元とは?」 このページをご覧の皆さんはそんな疑問を持っているかもしれません。 今川氏は室町時代有数の名門で、足利将軍家に連なる吉良家の分家筋にあたります。 戦国時代には現在の静岡県にあたる駿河や遠江を支配し、愛知県東部にあたる三河に勢力を拡大しました。 今川氏の勢力を大きく拡大させたのが今川義元で、彼は「海道一の弓取り」の異名を持つ人物です。 軍師太原雪斎を補佐役とし、武田氏や北条氏と三国同盟を結び、後方の安全を確保してから勢力を西へと伸ばしました。 しかし、新興の戦国大名織田信長に桶狭間の戦いで敗れ討ち取られてしまいました。…