元禄7年12月16日。文左衛門は部屋の煤払いを行う。申刻(午後4時)、渡辺源右衛門屋敷西の堀の中へ米を担いだまま倒れ込み、死んだ者がいた。道行く人が走り寄り、引き上げて薬を飲ませたがどうしようもなかった。この時馬子が見て言うには茂介が死んだと。他の道行く人も茂介だと言うので、源右衛門のところから納屋裏広井村の茂介の家へ人をやって確認のために人を呼び寄せると、間違いなく茂助であった。このため源右衛門のところから御目付内藤又左衛門へ権田与右を仲介にして知らせ、又三左衛門殿へも知らせる。夕暮れ過ぎ、文左衛門は丸山加左のところから知らせを受け、走って死体を見に出かけると、俵にひどく打たれたようで額より…