ローカルな独立勢力である、いわゆる「国衆」たち。その国にある守護や守護代などの強大な存在、もしくは国衆の中から一頭抜きんでた存在などが他を圧しはじめると、その大名の本拠地周辺の国衆たちは、次第にその大名の譜代家臣化してくる。 毛利氏でいうと、国司氏、児玉氏などがそうであり、早くから譜代化している。だが吉田荘周辺はともかく、安芸国内であっても少し離れた場所にいる国衆たちは、1557年時点においても、まだ譜代化していなかったのは、前記事で説明した通り。そういう意味では、1565年に出雲に攻め入れられた際に、多くの国衆に裏切られた尼子義久と「中央集権度」という点では、大きな差はなかったといえる。では…