何かのトラウマなどの心理的要因によって、話す事ができるのに学校などで話す事ができなくなる症状。 正常な言葉の能力を持っているのに、全生活場面あるいは、一部で言葉を使わない。 家族など限られた相手には問題なく話す事ができるが、学校内や他人の大勢いる場面では、まったく話せなかったり、必要な時に、返事さえできない場合がある。
場面緘黙Q&A―幼稚園や学校でおしゃべりできない子どもたち
私にとって摂食障害は、ある種の救いだったように思う。 摂食障害のはじまりをたどってみたのだ。 思い返せば、小学生の頃から、自分に自信がなかった。 その原因は決して一つじゃなくて、不登校だったからであり、場面緘黙症だったからであり、そんな自分のすべてに自信を持つことなんてできなかった。 でもその中で一つだけ。 「痩せたら自分を好きになれるかもしれない」 「痩せたら自分を許せるかもしれない」 そうした可能性がうごめいていた。 痩せることは自分の中だけで完結した。不登校も場面緘黙症も他人を介さないと解決しないものだが、痩せることは自分の力だけで叶えることができたのだ。 私は「痩せたら……」という可能…
私へ 私は、私のことがずっと大嫌いでした。この世の何よりも。 生き恥。泣き虫。怠け者。消えてしまえ。死んでしまえ。 これだけに留まらず、ここに書けないほどの罵詈雑言を、幼い頃から散々自分に吐いてきました。心の底から自分が醜く思えて、大嫌いだったからです。時に自分を殺したくなるほどに。 弱い自分に呆れました。普通じゃない自分を嘆きました。 理由を考えてみたんです。どうしてそんなに自分が嫌いだったのか。 それは、きっと病気のせいでした。病気を病気として受け入れられずに、自分と病気を混同してしまっていたからでした。 それにより、他人から嫌われることも恐れていたのかもしれません。本当の自分じゃないのに…
私は、子供の頃から泣き虫だった。 それはもう、手が付けられないほどに。 赤ちゃんの頃から、私は夜泣きがひどかったらしい。母は、「夜泣きもするし、2時間ぶっ通しで泣き続けたりしてたよ。当時はそれが普通だと思っていたけれど、蘭や葵が生まれて、こころが相当頑固だったんだなって気付いたよ」と言っていた。 スイミングを習っていた時は、習い始めてから何年経っても、母と離れる際に泣いていた。小学生になっても、水筒を家に忘れただけで泣いた。九九のテストで間違うたびに、焦りから泣いていた。給食の牛乳も苦手で飲めずに、教室の真ん中で一人泣き続けた。 水筒なんて持って来ない子だってたくさんいるし、九九のテストで間違…
この間、ひさしぶりにH学園に行った。去年大学の創作コンクールで受賞した作品を、先生方に見てもらうためだった。 建っていたはずの建物は潰れ、工事中だった家は完成し、綺麗に塗装された道を歩いた。 ずっと楽しみにしていたはずなのに、学校に近付くにつれ、心臓が興奮するように暴走し始める。 慌てて、逃げ込むように学校に入った。どこかに助けを求めねば。そう思うのに、恐怖で体が動かない。私は下駄箱の前にうずくまって、呼吸を整えようとした。 それでも過呼吸は酷くなっていく一方で、手が震え出す。意識がふと遠くなっていく。それなのに、胸に迫るのは死にそうな恐怖だった。 誰か。 誰か、助けて。 最初に駆けつけてくだ…
私は障害者だ。それを認めてもらった上で、大学に通っている。 そんな私は、自分だけが特別で「普通じゃない」と思っていた。 けれど大学生活を送って、周りに目を向けていれば、障害者やマイノリティは私一人だけじゃないのだと思うことが多い。 目に見えてわかりやすい障害を持った人。例えば、車椅子ユーザーとか、白杖を持った人。そして目には見えない障害を持った人。私のように精神疾患を抱えている人もいるだろうし、手話で会話をしているろう者の学生も少なくない。 私の通っている大学はとても小さいけれど、その割には個性豊かな学生が揃っているように思う。 復学してからというもの、私には友達が増えた。同じように1年生の後…
私は、自分自身を漢字一文字で表すのなら、「不」だと思っている。 ふ。何か気の抜けた音と字面。それも私にぴったりだ。 不登校。不安。不自由。不運。 私の人生を振り返ってみれば、「不」ばっかりに出会う。 字面的にも、意味的にも、不安定な「不」は、私とよく似ていた。 でも、一つだけ誤解しないでもらいたいことがある。 「不」ばかりに出会う人生だった。 それでも私は、自分を不幸だと思ったことは一度もない。 私の人生には、それ以上にたくさんの幸せがあった。 その幸せをくれたのは、私じゃなくて。 幸せをくれたのは、いつもあなたたちだったから。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
高校生の時、私は毎日腕時計をつけて登校していた。高級なものでも、誰かからのプレゼントでもない。ただ、千円くらいの、何のこだわりもない腕時計だった。 そんな愛着もない腕時計をわざわざ毎日つけていたのは、私が場面緘黙症を抱えていたからだった。 自分の意思では動けない時、特に緘黙パニックが起きた時などは、スマホが手元になければ致命的なのだ。鞄に入っているとわかっていながらも、緘動のせいで体が動かない。お手洗いから出られないと、今が何時なのか、あと何分で授業が終わるのかもわからない。体育を見学している時だって、校舎に張り付いている時計を振り向くことさえできない。 そんな中で、私はかろうじて、ちらっと手…
場面緘黙症や社交不安障害を発症したきっかけ。あれは、小学3年生の頃だった。 1年生の頃も、2年生の頃も、年配の女性が担任だった。怒るにしても、親が子供を叱るような――もはやおばあちゃんが孫を叱るような雰囲気だった。幼稚園生の時と大して変わらない。だからそこまで恐怖は覚えなかった。 でも、3年生に進級して、新しい担任の先生になったのは、若い女性の方だった。いつも元気で、快活で、休み時間は子供たちと一緒にドッヂボールや鬼ごっこに進んで参加するような先生。 小学3年生にもなれば、男子たちは特に、悪さをすることが増えていた。 隣の席だった男子は、クラスの中でも群を抜いての問題児だった。授業中でも暴れて…
「ちょっと後ろー、いいかな?」 授業中に、壇上に立っていた先生が教室の隅に向けて唐突に言った。 「これ以上話すんなら、席離してもらうよ?」 教室が一気に静まり返る。元々感情をあまり表に出さないタイプの先生が珍しく怒っていた。注意された当の本人たちは、「あーあ。怒られちゃった」とでもいうように苦笑いしているだけだった。 私は、あの教室の中で、誰よりも傷付いていた自信がある。 昔からそうなのだ。怒られている人、怒っている人と同じ空間にいるだけで、心が削られる。だから学校が苦手だった。 すべてを他人事のように受け流すことができたら、どれだけいいか。先生の怒りの矛先が私じゃないことは重々わかっている。…
「今日もお弁当美味しかったよ」 そう言って家に帰れることが、こんなにも幸せだと思う日が来るなんて、中学生の頃の私は知らなかった。 大学2年生の私は、学校に行く際は毎回お弁当を持参している。 特に理由があるわけじゃない。ただ、学食は混んでいるし、わざわざ買うのも面倒だし、節約にもなるかなと思って、母が作ってくれるお弁当を持って行く。高校生の妹と弟がいるので、結局作らないといけないのなら、2人分でも3人分でもそう労力は変わらないらしい。 小学生の頃は給食だったけれど、私が通っていた中学校はお弁当だった。高校も同様だ。 ただ、中学生の時は入学して数か月で不登校になった。毎日、「今日もお弁当美味しかっ…