何かのトラウマなどの心理的要因によって、話す事ができるのに学校などで話す事ができなくなる症状。 正常な言葉の能力を持っているのに、全生活場面あるいは、一部で言葉を使わない。 家族など限られた相手には問題なく話す事ができるが、学校内や他人の大勢いる場面では、まったく話せなかったり、必要な時に、返事さえできない場合がある。
場面緘黙Q&A―幼稚園や学校でおしゃべりできない子どもたち
高校生の時、私は毎日腕時計をつけて登校していた。高級なものでも、誰かからのプレゼントでもない。ただ、千円くらいの、何のこだわりもない腕時計だった。 そんな愛着もない腕時計をわざわざ毎日つけていたのは、私が場面緘黙症を抱えていたからだった。 自分の意思では動けない時、特に緘黙パニックが起きた時などは、スマホが手元になければ致命的なのだ。鞄に入っているとわかっていながらも、緘動のせいで体が動かない。お手洗いから出られないと、今が何時なのか、あと何分で授業が終わるのかもわからない。体育を見学している時だって、校舎に張り付いている時計を振り向くことさえできない。 そんな中で、私はかろうじて、ちらっと手…
場面緘黙症や社交不安障害を発症したきっかけ。あれは、小学3年生の頃だった。 1年生の頃も、2年生の頃も、年配の女性が担任だった。怒るにしても、親が子供を叱るような――もはやおばあちゃんが孫を叱るような雰囲気だった。幼稚園生の時と大して変わらない。だからそこまで恐怖は覚えなかった。 でも、3年生に進級して、新しい担任の先生になったのは、若い女性の方だった。いつも元気で、快活で、休み時間は子供たちと一緒にドッヂボールや鬼ごっこに進んで参加するような先生。 小学3年生にもなれば、男子たちは特に、悪さをすることが増えていた。 隣の席だった男子は、クラスの中でも群を抜いての問題児だった。授業中でも暴れて…
「ちょっと後ろー、いいかな?」 授業中に、壇上に立っていた先生が教室の隅に向けて唐突に言った。 「これ以上話すんなら、席離してもらうよ?」 教室が一気に静まり返る。元々感情をあまり表に出さないタイプの先生が珍しく怒っていた。注意された当の本人たちは、「あーあ。怒られちゃった」とでもいうように苦笑いしているだけだった。 私は、あの教室の中で、誰よりも傷付いていた自信がある。 昔からそうなのだ。怒られている人、怒っている人と同じ空間にいるだけで、心が削られる。だから学校が苦手だった。 すべてを他人事のように受け流すことができたら、どれだけいいか。先生の怒りの矛先が私じゃないことは重々わかっている。…
「今日もお弁当美味しかったよ」 そう言って家に帰れることが、こんなにも幸せだと思う日が来るなんて、中学生の頃の私は知らなかった。 大学2年生の私は、学校に行く際は毎回お弁当を持参している。 特に理由があるわけじゃない。ただ、学食は混んでいるし、わざわざ買うのも面倒だし、節約にもなるかなと思って、母が作ってくれるお弁当を持って行く。高校生の妹と弟がいるので、結局作らないといけないのなら、2人分でも3人分でもそう労力は変わらないらしい。 小学生の頃は給食だったけれど、私が通っていた中学校はお弁当だった。高校も同様だ。 ただ、中学生の時は入学して数か月で不登校になった。毎日、「今日もお弁当美味しかっ…
こんにちは。架空のラジオ番組、「救われた音の記憶」のお時間です。 このコーナーでは、毎回一つ、私が様々な病と闘う中で出会い、救われた楽曲などを紹介します。 今回のゲストは、YOASOBIの『群青』。 19歳の私から、お便りが届いています。 私にはみんなの「普通」も、何かの「特別」もない。 ずっとそう思って生きてきました。 「普通」じゃないことはわかっていた。だからせめて、何かの「特別」がないと、自分には存在価値がないと思っていました。 『周りを見たって 誰と比べたって 僕にしかできないことはなんだ 今でも自信なんかない それでも』 『好きなものと向き合うことで 触れたまだ小さな光 大丈夫 行こ…
大学で、手話の授業を履修した。 先生は大学専属の職員ではなくて、手話通訳士の仕事も掛け持ちしているらしい。初回の授業で先生は、「私が手話を始めたきっかけは、息子が盲ろう者だったからです」と、手話交じりにお話ししてくださった。同じ履修者の中には、ろう者の学生もいるのだ。 私が手話を始めたきっかけは、私が場面緘黙症だったからだ。 病気や障害の種類は違えど、声でコミュニケーションを取ることができないのは、私とろう者の人々に共通していることだった。 だからなのか、昔から手話に親近感を抱いていた。声がなくてもコミュニケーションを取れる方法があるんだ! これなら私でも、自分の気持ちを伝えられるだろうか。 …
最近、パニック障害が悪化してわかったことがある。 高校生の時、定期的に私を襲った、正体不明の「何か」。あれは、パニック発作だったのだと。 ただ厄介なことに、あれは場面緘黙の症状下で起こったパニック発作だったのだ。 私は、場面緘黙症の二次障害でパニック障害を発症した。数年間、私の中ではその二つの病気が共存していたのだ。 パニック障害は、100人に1,2人が一生のうちに一度は羅患すると言われている。けれど「緘黙パニック」は、一体どれほどの人が経験したことがあるのだろうか。 初めて緘黙パニックが起こった時、私は家族以外に話せる人なんて一人もいなくて、自分の中に迫りくる謎の恐怖や不安と一人で闘った。過…
今年の4月から、大学に復帰した。 休学中、ずっと恐れていた新学期。休学したその先に、復学できる未来があるとは、到底思えなかった。 「無理だと思う」「上手くいくわけない」と弱音を吐きまくる私を、母はずっと鼓舞してくれた。大学と何度も相談を重ね、利用できるサービスを最大限活用し、不安の要素を聞き続けてくれた。 そして私は、思い切って新生活をスタートさせた。 気付けば、大学という場所に、去年ほどの恐怖は抱かなくなっていた。 理由はただ一つ。話せるようになったからだ。 授業やサークルで、友達ができた。最初こそ、すれ違えば会釈をする程度の仲だったが、課題に一緒に取り組んだり、サークルで活動したりするたび…
私は中学生の約3年間、引きこもり生活を送っていた。故意的なものではなかった。場面緘黙症で学校に行けなくなり、視線恐怖に怯える私が安心していられる場所は、もう家しか残っていなかったのだ。 林間学校も、合唱コンクールも、文化発表会も、修学旅行も行けなかった。経験できたはずの青春をすべて諦めた。 でも、決して失ったものばかりじゃなかった。 引きこもり生活がくれたもの。 それはダンスだ。 当時外にも出られなくなった私は、動けないながら危機感を抱いていた。このままじゃいけない。でも、どうすればいいのかわからない。フリースクールに通うどころか、お散歩に行くことすらできない。 家から一歩も動かず、勉強もせず…
なんだか私、握力が強いらしい。 高校生の時に体力測定で握力を測ると、試しに握っただけで「31」と表示されていた。 周りのクラスメイトたちがどよめいて、「え! 壊れてる?! 壊れてないよね?!」と確認された。 結局、壊れてなかった。私の握力が強いだけだった。 中学生時代は不登校で、高校でも場面緘黙症のため体育をすべて見学していたので、自分の握力が強いも弱いも知る由もなかった。 担任であり、同時に体育教師でもある菊池先生に笑われ、恥ずかしさに顔が赤くなる。普段から非力に見えているだろうに、私、力持ちみたい? やだ、恥ずかしい。 昔から不安を抑えるために、ずっと自分の手を握っていた。大きな不安を握り…