弘法のゆく手はわかりやすき春 ばち当りなことに、彼岸詣りはえてして遅れがちになる。中日を過ぎてしまった年もある。心あるご子孫を擁するお家の墓所はどちらも掃除が済み、花が供えられてある。墓守が存命の檀家うちでは、私が最後ではないかと思わせられる年もある。 心を入換えて、彼岸入り初日に詣でてみようかという気を起した。となれば、就寝してはならない。徹夜の勢いを借りて、朝から行動しなければならない。帰宅してからふつかぶん眠ればいい。 とはいえ早朝からは動けない。百貨店が開いてないからだ。供物を前日のうちに用意することを好まない。理由はない。いつの間にか形成された無用のこだわりである。 春秋の彼岸は和菓…