1993年の中学生の業者テスト廃止に際して「ミスター偏差値」の異名をとる。 その後「ゆとり教育」を推進者・スポークスマンとしてマスコミにしばしば登場し、文部行政を広く知らしめる役割を担った。 その後「ゆとり教育批判」を受けて文化庁文化部長と教育業績の一線から外れ、2006年4月には更に大臣官房広報調整官に降格される。 2006年11月10日付で文部科学省を辞職。 映画評論家としても有名。
政治家をどう選ぶかは人それぞれですし、勘と印象に頼る人がいてもよいでしょう。ですが理性的な立場から選ぶためには、何らかの手がかりが必要でしょう。現在の政治教育ではそのための手がかりを基本的には提供できていないのではないでしょうか。 政治と教育に日本独特の事情があるということは理解できます。しかし、それによって起きることは、義務教育終了時点、もしくは高校卒業時点で、政治について現実問題として何が起きているかを把握する術は、ほとんどないということです。政治の側を批判的なまなざしで見つめ直す術も持ち得ません。学習してきた理論から大きく離れた事態を目にして、いきなり「投票してください」と言われるのです…
2008/7/29 『崖の上のポニョ』と世代を超えた友人
2008/6/24 喜びと生きがいを 秋葉原の無差別殺傷事件。このコラムを読んでいる方の中には犯人と同じ年代の人も多いでしょうが、どう感じましたか? どんな理由があっても殺人や傷害が許されるものではありません。しかし、犯人が発信していた携帯サイトの書き込みを読むと、この社会の在り方を真剣に考え直してみる必要があるように思います。若者が、自分の将来に簡単に絶望してしまうような社会が、いいわけはありません。
2008/4/15 『靖国』 違いを認め合うために ここのところ、他の話題が続いて映画の話から遠ざかっていました。その間に起こった騒ぎがドキュメンタリー映画『靖国』。2ヶ月近くメディアを賑わせた末、ようやく公開されました。多数の映画館が公開を見送った中、うちでやると名乗りをあげたのが渋谷・東急bunkamura前のシネアミューズ。東京で4つの映画館が上映を見合わせたにもかかわらず引き受けたことに敬意を表したいところです。
2008/3/11 教育への思い 社会や教育の在り方について考えようという人々が集まる会に、いくつか参加しました。2月23日には千葉県の松戸市で、子どもに本の読み訊かせをしているグループが中心になった市民が集まりました。テーマは、「ゆとり教育」について考えることです。実際にお子さんを学校へ通わせている方々が多く、熱心にわたしの話を聞いてくれました。3人の子を育てているという父親と母親がまだ抱っこされている一番下のお子さんを連れて聴きにきてくれたのは、とてもうれしいことでした。
元文部官僚で、教育評論家・映画評論家としても活動する寺脇研。近年は映画『戦争と一人の女』(2013)や『子どもたちをよろしく』(2020)のプロデュースも手がけている。
人間力というのはどんな権威あるブランドや金よりも、人を魅了し生き方を変える力を持っている。 例えばこの本の編集者である澤田氏も、寺脇氏に「説得」された一人だ。高校時代、学校や授業のあり方に大きな疑問を抱き、上京して単身、文部省に乗り込み、「担当者に会わせろ」と息巻いた少年。彼は担当者として出てきた寺脇氏の熱い教育論や、彼の人間臭い兄貴分ぶりにガツンときて、「将来はこの人の本を出すために編集者になろう」と決意した。 そして中卒という肩書で扶桑社に入り、念願どおり、こうして寺脇氏の本を担当するに至った。なんだかできすぎていてウソっぽいが、脚色ゼロの実話である。(寺脇研『それでも、ゆとり教育は間違っ…
Q.教育に関しては、JanJan紙上では例えば「日の丸・君が代」などについては議論が活発ですが、こうしたことは教育全般から言えばむしろ特殊で、(九九のような)基礎的知識や、共通の道徳などといった教育とはまた別なもののような印象があります。
文部官僚としてメディアに多々登場したほか、映画評論家としても知られる寺脇研。2007年の参院選前のインタビュー記事(JanJanのサイトに掲載)があったので、以下に引用したい。この時期は第1次安倍政権の終盤で、ゆとり教育の非難がかまびすしいころであった。
伊丹十三が逝って、昨年12月で丸20年を迎えた。伊丹自殺の報が流れた朝のことは、筆者はまだ幼かったが何となく思い出せる。筆者は伊丹の存在をリアルタイムで感じた中では、おそらく最年少の世代だろうか。ただ当時の伊丹の評価は芳しいものではなかった。