東京都中央区の銀座五丁目と六丁目付近の旧地名。江戸時代にこの地を尾張藩が埋め立て工事をしたのでこの地名が名付けられた。しかし、1930年に尾張町一丁目が銀座五丁目となり、尾張町二丁目が銀座六丁目と改称された。
にしうちそうがまえぼり。 尾張町の表通りではなく、何本か入ったあたりで 偶然見つけました。 東と西、内堀と外堀、二重で城が護られていた 当時。小さな流れとなって残っている堀も ありますが、ここは堀はあるものの水の流れは ありません。 【金沢城防備のため、二代藩主利長が慶長四年に 高山右近に命じて掘らせた西側の内堀である。 旧上松原町から始まり、尾張町二丁目を経て 浅野川まで長さ千六百メートルで、城側に土居を 盛り竹藪を配していたが、今その面影は殆どない】
おけちょう、です。 袋町のまちしるべから彦三方面へ少し歩き、 右へ曲がって少しのあたり。 【藩政の初め、藩の御用を勤める桶職人たちが 屋敷地を与えられて住んでいたので桶屋町と 呼ばれていたが、元禄のころからこの名になった】 響き的には「桶屋町」のほうがいいような気も するのですが、なにか理由があったのでしょうね。
尾張町のホテル、LINNAS Kanazawaの1Fにある ピアノは、つい先日リスタートしたばかり。 受け継がれて、また誰かに愛されて欲しいです。 弾きに行きたいけど、何年も弾いてないから 練習してから行かないと^^; いつか、です。 《LINNAS Kanazawa》 金沢市尾張町1-2-8 https://www.linnashotels.com/kanazawa/
橋場町でバスを待っている時に見上げた空は、 秋の空でした。 文芸館と郵便局を眺めながら。 暑さを避けて、日陰でバス待ち。
ほろまち。 先日、おてらくごを鑑賞しに行った時に 見つけたまちしるべ。 【藩政のはじめころ、母衣衆と称する武士の 邸地があったので、この名がついたという】 「母衣」とは、流れ矢を防ぐために骨組みに 竹などを使って膨らませてから鎧に掛けた 布のこと。 尾山神社の前田利家公が背負っています。 凛々しいお姿です!
尾張町にある建物。 通るたびに目がいってしまいます。 誰かのお宅だったのか、お店だったのか、 はたまた病院だったのか。 いつ頃建てられたのでしょう、洋風の要素が 多いようです。 いろいろ事情があるのでしょうが、 こんな素晴らしい建物が朽ちていく姿を見るのは 残念でなりません。
尾張町の仏眼寺さんで、おてらくご鑑賞しました。 お寺で落語だから「おてらくご」。 初めてのナマ落語、ドキドキしながら一番前で。 ご住職のおはなしに感動し、立川志ららさんの 落語に思いっきり笑い、楽しい楽しい1時間でした。 今回はチャリティだったので、最後に心ばかりを。 少しでも力になれればうれしいです。 定期的にやっているようなので、 タイミングが合えばまたぜひ。
とのまち。 尾張町、能登の食材を使ったおにぎりのお店 「山里の咲」の近くにあるまちしるべ。 このお宅のブルーが気になって仕方ありません。 和洋折衷でしょうか… 十間町の武家地=殿町(^^) 【もとは十間町の地内にあり、藩政期には その中の武家地を殿町と呼んだことから この名がついた】
オープン前から気になっていた建物。 能登の塩屋さんが営むおにぎりのお店です。 大豆とあおさのおにぎり、塩にぎり、味噌汁、 香の物の「能登にぎりセット」を注文。 塩にぎりと、もう一個好きなのを選ぶことが 出来たので、大豆とあおさにしました。 おにぎりってこんなにおいしいんだ…と しみじみ感じたひととき。 最高でした。 《山里の咲》 金沢市尾張町1-4-32 https://yamazato-no-sho.jp/
近江町市場の守護神として見守り続ける市姫神社。 久しぶりのお詣りでした。 この紫の花はなんていう名前なんだろ、 かわいらしいです。 《市姫神社》 金沢市尾張町2-2-22