桓武平氏高棟流。平家でも平清盛ら高望流とは別系統。権大納言。 同母姉時子は平清盛室。異母妹滋子(建春門院)は後白河天皇女御・高倉天皇生母。 姉妹の縁戚関係もあって累進を重ねた。 平家の都落ちに同道し、壇ノ浦の戦いで捕らえられ、能登へ流罪となり同地で没した。
彼が語ったという「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし*1」は、絶頂期にあった平家の驕り高ぶりを示すものとして有名である。
*1:平家にあらずんば人にあらず
たいらきよもり 語り部さるたのおすすめブログ おすすめ絵本 百選 おすすめ日本の釣り魚 百選 おすすめ日本の歴史上の人物 百選 おすすめ美しい日本の言葉 百人一首 おすすめ写真と短歌 心がおどる絵本達 日本の海で釣れる魚達 // 平清盛(たいらのきよもり) 1118~1181年 享年64 平安時代末期に平氏の棟梁忠盛の嫡男として生まれます。 父、忠盛は宋との貿易を行い、兵力、財力を蓄えていました。 父の死後、平氏の棟梁になった清盛は、1156年に起こった保元の乱で後白河天皇側にたち勝利を納めます。 // その3年後に保元の乱で共に戦った源氏の棟梁、源義朝と平治の乱で戦い、これにも勝利します。 …
日本という国がどうなっているのか?高校まででは、東京、名古屋、京都など東海道の大都市を知っているくらい。そこで、大学以来、長期休暇を利用して日本の全県庁所在地を中心に何周も周りました。 記録は写真だけ。所が今はwebに色々な記録が有ります。それをお借りします。 今は、青春18きっぷ。昔は、均一周遊券。 日本海の海岸線を行きます。 糸魚川ー富山ー七尾≈和倉温泉ー輪島ー狼煙ー珠洲ー富山ー金沢ー福井 穴水以北の国鉄は廃線。 Google Maps 北陸新幹線からの立山連峰 実物は感動物です。3/14に金沢まで延伸。 国鉄富山駅 富山城 能登半島 一周へ 加賀屋 宝塚歌劇団卒業組 加賀屋の有料イベント…
第一章 緒 言 帝国主義は燎原の火也 ○盛なる哉所謂帝国主義の流行や、勢ひ燎原の火の如く然り。世界万邦皆な其膝下に慴伏し、之を賛美し崇拝し奉持せざるなし。 ○見よ英国の朝野は、挙げて之が信徒たり、独逸の好戦皇帝は熾に之を鼓吹せり、露国は固より之を以て其傅来の政策と称せらる、而して仏や墺や伊や、亦た頗る之を喜ふ、彼米国の如きすら近来甚だ之を学ばんとするに似たり。而して我日本に至つても、日清戦役の大捷以来、上下之に向つて熱狂する、駻馬の軛を脱するが如し。 何の徳あり何の力ある ○昔者平時忠誇て曰く、平氏に非ざる者は人にして人に非ずと、今の時に於て帝国主義を奉持せざる者は、殆ど政事家にして政事家に非…
能登に配流された平時忠の末裔、と称する豪族。中世の海運を背景とした能登の土豪の僭称という話もあるが、どうなのだろうか。自転車で来たりしたが、コロナ時短で入れず、ようやく。実は半世紀ぶりの再訪だった。 平家の家紋、揚羽蝶。
さあ!名作平家女御島 2020年11月国立劇場は、序幕の六波羅清盛館の場からです! 登場人物 鹿ケ谷の陰謀とは あらすじ 東屋の美しさに、清盛一目ぼれ。自分に仕えるように命じる 東屋、拒絶する 東屋 自害する 見どころ 好色ぶりが見どころの清盛 東屋の美貌と、決然と操を守る凛々しさ 常盤御前と東屋の生き方の違い 2020年10月の配役 上演スケジュール。チケット購入など 登場人物 平相国入道清盛 言わずと知れた平清盛。憎々し。俊寛の妻の美しさに一目ぼれ。 東屋 俊寛の妻で、捕らえられて清盛の前に差し出される。絶世の美女。 能登守教経 清盛の甥。 平家の中でも1.2を争う文武両道の御大将。 越中…
(それなりの)人の家に似つかわしいものっていうと…。肘を折ったように曲がってる廊下。円座(わらふだ/わろうだ)。三尺の几帳。大柄な童女。品のいい召使いの女。 侍の控室。折敷(おしき)。懸盤(かけばん)。中の盤。衝立障子。かき板。みごとに装飾がほどこされた餌袋(えぶくろ)。唐傘(からかさ)。棚厨子(たなずし)。 ----------訳者の戯言--------- 人の家? 家と言えばだいたいは人が住んでるんですが? 時々は、犬さんの家とか、猫さんの家とか、二十日ねずみの家とかあります。プーさんの家とか。ミッキーの家とか。ピーターラビットの家とか、ムーミンの家もありますけど。もういいですか。 清少納…
6週目の学習が終わりました。 2週間分の学習力育成テスト、今週末は3回目です。 算数は、「比」の2週目。 オプ活の最後の方は、「比」を使った複雑な文章題でした。少しずつ難しくなってきましたね。 第8回は「濃度と比」。第9回、第10回は面積比、相似比。 この辺りからは、算数に一番力を注ぐ期間となりそうです。 理科は、「電磁石」と「音」。 どちらも、しっかり理解できていないと解けない問題が出されそうですね。 ピヨ太は、低学年の頃に見ていたEテレの「大科学実験」という番組の効果もあったのか、比較的順調に本科、栄冠に取り組んでいます。 大科学実験は10分の番組ですが、その名の通り、大掛かりな実験で目に…
歴史の謎研究会 宮島桟橋前にある平清盛像 ライバルの源義朝を討ち破り、武家政権を自らの手で樹立した平清盛。その一門は「平氏にあらざれば人にあらず」とうそぶくほど他を寄せつけない栄華を誇っていた。だが、その権勢も清盛の死後あっけなく瓦解してしまう。その理由とは、どんなものだったのだろうか。 警察権と軍事権を掌握する 平清盛が謎の熱病で亡くなったのは、治承五年(一一八一年)閏二月四日のことであった。享年六十四。命旦夕に迫った枕元で、「葬儀などは無用。それよりも(源)頼朝の首をわが墓前に供えよ。そのことが何よりの供養である」と周囲の者に遺言したことはあまりにも有名だ。頼朝に対する恨みがいかに根深いも…
こんにちは。本宮 貴大です。 今回のテーマは「【平氏政権】平清盛のスピード出世の秘密とは?【平清盛】」というお話です。 今回は、平氏が朝廷内で台頭し、その栄華を見ていきながら、平清盛のスピード出世の秘密について見ていきたいとおもいます。 平氏が朝廷内で台頭するきっかけとなったのは、清盛の祖父・正盛の時代にまで遡ります。 正盛は白河上皇に領地を寄進し、院の近臣に取り立てられました。やがて正盛は追捕使として武名を上げ、出世していきました。 さらに、正盛の子・忠盛も海賊征伐で武名を上げたのをきっかけに、白河上皇の側近として迎え入れられた。 忠盛はその後、鳥羽上皇にも寵愛され、それまでは高級貴族しかな…
以仁王の乱に参戦した源頼政は、源頼朝が流人生活を送っていた伊豆の知行国主だった。 しかし乱で頼政が敗死することにより、伊豆は平時忠(平清盛の義弟)が代わりの知行国主となる。 そして受領には、時忠の子の平時兼、目代(受領の代官)には山木兼隆が任命された。
歴史っちゅうヤツが意思を持っているとしたら?時折、狂気の宰相を世に出しちまうのかなぁ? 歴史上有名どころは、カエサル?日本ならさしずめ平時忠あたり?? 今なら、米の国?それとも赤い国や北の国?意外と、白地に赤〇の国…とかね?? ~~6月20日の呟きより
2020-06-15 (月)(令和2年庚子)<旧暦閏 4 月 24 日> (先負 己丑 八白土星) Margit Margot 第 25 週 第 26057 日 二条天皇崩御の翌年、仁安元年(1166年)10月、後白河院の別の皇子が東宮にお立ちになった。母は建春門院ー平清盛の妻・時子の異母妹、平滋子ーである。二条天皇がご存命中は、勢力争ひのことがあって、後白河院はこの皇子を東宮に立てることはおできにならなかったが、お亡くなりになったことを機に一気に進展した。ただし、東宮は主上である六条天皇の御伯父にあたられ6歳、六条天皇は御甥で3歳。何ともをかしな関係であった。仁安3年(1168年)に六条天皇…
私は数年前から御朱印収集も趣味にしている。 集め始めたきっかけを話し出すと長くなるのだが、簡単に言うと、NHK大河ドラマ「平清盛」にはまったからだ。 何かというと低視聴率大河ドラマとしてあげられる作品だが、私は大好きだった!なんで人気がでなかったのか、未だにわからない。 美しすぎる待賢門院璋子(壇れい)と西行(藤木直人)のなんとも言えないすれ違いとか、悪左府と呼ばれた藤原頼長(山本耕史)やら、「平家にあらずんは人にあらず」の平時忠(森田剛)やらの怪演とか、平重盛(窪田正孝)の白い直衣が半端なく似合う様子とか、今でも語り出したら止まらないくらいだ。 (北条政子(杏)も建春門院滋子(鳴海凛子)も崇…
「敦盛の最期の意味が知りたい」 「敦盛の最期の登場人物は?」 「平敦盛や熊谷次郎直実の心情について知りたい」 このページを見ている人はそんな疑問を解決したいのではないでしょうか。「敦盛の最期」は平家物語の一部です。登場するのは美貌の青年武将平敦盛と坂東武者熊谷次郎直実です。 そこで、今回は「敦盛の最期」の登場人物や源平合戦の全体像、「敦盛の最期」が起きる一の谷の戦い、「敦盛の最期」の意訳や戦後の熊谷直実などについてまとめます。 この記事で分かること 登場人物二人のプロフィール 源平合戦全体の中で、一の谷の戦いがいつ起きたのか 一の谷の戦いでの「敦盛の最期」の位置づけ 「敦盛の最期」の意訳 戦い…
2020-05-13 (水)(令和2年庚子)<旧暦 4 月 21 日> (赤口 丙辰 二黒土星) Linnea Linn 第 20 週 第 26024 日 仁安3年(1169年)11月11日、平清盛51歳、病を得て出家。すると病はたちどころに癒えた。平家一門はますます栄へ、平時忠は「平家にあらずんば人にあらず」とまで言ひ放った。多くの人たちは草木がなびく様に平家に靡いたけれども、その隆盛を不満に思ふ人もあった。そこで清盛は14~16歳の童を300人揃へて京中をパトロールさせた。平家のことを悪く言ふものがあれば、その家に乱入して資財雑具を押収、本人は逮捕された。これはまるで、現代の中国共産党によ…