桓武平氏高棟流。平家でも平清盛ら高望流とは別系統。権大納言。 同母姉時子は平清盛室。異母妹滋子(建春門院)は後白河天皇女御・高倉天皇生母。 姉妹の縁戚関係もあって累進を重ねた。 平家の都落ちに同道し、壇ノ浦の戦いで捕らえられ、能登へ流罪となり同地で没した。
彼が語ったという「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし*1」は、絶頂期にあった平家の驕り高ぶりを示すものとして有名である。
*1:平家にあらずんば人にあらず
【平家物語54 第3巻 御産①〈ごさん〉】 鬼界ヶ島を立った丹波少将らの一行は、 肥前国 鹿瀬《かせ》の庄《しょう》に着いた。 宰相教盛は使いをやって、 「年内は波が荒く航海も困難であろうから、 年が明けてから、京に帰るがよい」 といわせたので一行はここで新年を迎えることにした。 十一月十二日未明、中宮が産気づかれた。 このうわさで京中はわき立ったが、 御産所の六波羅の池殿《いけどの》には、 法皇が行幸されたのをはじめとして、 関白殿以下、 太政大臣など官職をおびた文武百官一人ももれなく伺候した。 これまでに、女御《にょうご》、 后《きさき》の御産の時に大赦が行なわれたことがあったが、 今度の…
【平家物語 第1巻 🔥清水炎上〈きよみずえんじょう〉👑東宮立〈とうぐうだち〉】 🔥清水炎上🔥 二条帝の葬儀の際の、興福寺と延暦寺の争いは比叡山の僧兵が、 大挙して山を下るという噂《うわさ》が拡がった。 この時誰がいい出したのか、 「何でも、後白河院が、平家追討を叡山の坊主に申付けられたって話だぞ」 といったたぐいの噂が、まことしやかに、 人の口から口へと語り継がれていった。 慌《あわ》てた平家方は、御所の囲りをがんじがらめに警戒し、 一門は六波羅に集って、善後策を協議することになった。 慌てたのは、後白河院も同じである。 日頃から、平家の専横を快く思っていないだけに、 アリバイが危いとばかり、…
乳母には、平大納言時忠の奥方が選ばれた。 これは後に帥典侍《そつのすけ》と呼ばれた人である。 法皇はやがて、御所へ還御になったが、 清盛は余りの嬉しさに、お土産にと、砂金一千両、 富士綿二千両を進呈したのは、 今までに類のないことだけに、 人々に異様な感じを与えたようである。 今度の御産《ごさん》にあたっては、 変ったことがいろいろあった。 その第一は、何といっても、法皇が、自ら祈祷者として、 祈られたことだったろう。 その二には、后《きさき》御産の行事として、 御殿の棟から甑《こしき》を落す習慣があり、 皇子の時は南、皇女の時は北と決まっていたが、 この時には間違って北に落してしまい、 慌て…
僧兵の引揚げた後、取り残された神輿について、 俄かに、公卿会議が開かれた。 とにかく、いささか、不気味なお土産《みやげ》だけに、 いくたの論議が繰り返されたが、 結局、保延《ほうえん》四年神輿入洛《じゅらく》の前例にならって、 祇園の神社に奉置することに話が決まり、 夕刻を選んで、祇園別当、澄憲《ちょうけん》の手で、 祇園の社に入った。 神輿に突き刺った矢は神官が抜いた。 昔から、山門の僧兵を先頭に、 都に押しかけたことは、何度かあったが、 今度のように、神輿に矢が当ったのは始めてのことであった。 それだけに、一般の庶民はもちろん、 殿上人の中にも山王の祟りを恐れて、 戦々兢々《せんせんきょう…
【中古】 清盛 PHP文芸文庫/三田誠広【著】 【中古】afb価格: 200 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 1118年に生まれた平清盛。母は白河法皇に仕えていた女人だが、法皇から伊勢平氏の棟梁である忠盛に妻として下された女性。生まれるとすぐ亡くなり、白河法皇の元で権勢を握っていた姉の砥園女御に育てられた。そのため長男でありながら平家の血筋を引いていないと周囲から見られて、嫡男として扱うには叔父の忠正を始め、抵抗する者もいた。ところが正妻の池禅尼の子供である家盛が急逝し、また識見も次第に父忠盛に認められて、棟梁の座を継ぐことになる。 清盛は若くして武士とは思えない高い官位を受けたため、周囲は…