平維盛

平維盛

(社会)
たいらのこれもり

日本の平安時代中期の官吏。平正度の子。
駿河守などを歴任した。

平維盛

(一般)
たいらのこれもり

平重盛の長男。
治承四年(1180)源頼朝追討の総大将となるが、富士川の戦いで戦わずして逃げ帰った。寿永二年(1183)には木曽義仲追討の総大将となるが倶利伽羅峠の戦いに敗れ、平家は頽勢を挽回できずに都落ちとなった。
寿永三年(1184)一ノ谷の戦い後、戦線を離脱。最期は紀伊熊野で入水したともいう。


平維盛の都落ちした後、各地を転々と源氏の追っ手から逃げまどった。
その為、紀伊半島を中心に「維盛の墓」が結構存在し、ホンモノはどれかは判らない。
野迫川村には維盛塚の周りを公園にしていて年に1回イベントが行われる。
西熊野街道沿いにもなる十津川村は墓があるだけだが、世界遺産熊野古道小辺路がすぐそばを横切り、
昔は往来が多かったところに身を寄せるのはその場で力尽きるしか考えられない。
いずれ、謎のままである。

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