平清盛の五男。母は平時子。尾張守、左中将。本三位中将と称される。 治承四年(1180)、反平家の南都攻略を任され、東大寺・興福寺を焼き討ちにし、その際に東大寺大仏が焼失している。 翌年には美濃国墨俣で源行家を撃破、寿永二年(1183)にも水島合戦で木曽義仲軍を破るなど活躍したが、一ノ谷の戦いで捕虜となり鎌倉に連行された。 その後、焼き討ちで恨みを買っていた南都に引き渡され、木津川河畔で斬首となった。
※ネタバレ要素がありますので、読まれる際はくれぐれもご注意ください。 平重衡(CV:逢坂良太) 残忍で快楽主義の美型。 知盛が大好きで彼には柔順。 何にも興味がない知盛が遮那王に執着する理由を知りたくて、奥州へ彼女の様子を見に行く重衡。 知盛に悪ふざけするなと釘を刺され、きちんと人を斬ることなく侵入したのは、彼にしてはえらいですね(笑)。 一方で平泉で穏やかな日々を過ごしながら、進むべき道について悩んでいると、重衡が侵入してきて驚く遮那王。 ここで秀衡の計らいで、重衡はしばらく平泉に滞在することになります。 酒宴では遮那王に酌をさせるなど横柄な重衡ですが、やはり知盛が彼女に興味を持つ理由を知り…
さぁ、アニメ平家物語は平家がどんどん傾いていき、視るのも辛くなってきました。 都は頼朝をはじめとする源氏の挙兵による社会不安から半年で福原から京に戻りました。清経と敦盛が興じているのは毬杖(ぎっちょう)という球技。ゴルフというよりゲートボールですね(笑)それにしてもナイスショット! 奈良、興福寺の僧の間でも流行っていて清盛入道の頭に例えて打ってるなど不謹慎ですが、それだけ平家憎しやっちゃえ、の風潮が流行っているということでしょう。。 その興福寺に対して、清盛は丸腰で交渉に行けと命ずるも、僧供は使者達の首を刎ね、60人の首を晒す対応を、、、流石の鹿も呆れています(笑) 清盛は重衡を総大将として討…
重盛の死、、その後 びわは目の色が!やはり重盛の亡者が見える眼を受け継いだようです。 年は1180年、、びわが平家屋敷にきたのは殿下乗合事件(1171年)の歳ですから、あれから9年経っているんですよね。その時7-8歳と考えても、16-18歳の年頃のはずですが、全然大きくならないですね(笑)本当に物の怪(座敷童とか?)なのかもしれませんww 重盛亡きあとは三男の宗盛が棟梁を引き継ぐと意気込んでますが、ノリや顔立ちからしてもかなり不安ですね。。。。 さて、今回は重盛の弟たちの登場が続きます。四男の知盛、原典では平家の総大将として武勇を馳せますが、今回はカラ元気で失言も多いようですね。。。ちょっと不…
前回の記事では、奈良市にある「般若寺」の「関西花の寺」としての側面をご紹介させていただきました☟ www.norikuma2.com 今回は、「般若寺」の歴史的な側面を取り上げたいと思います(´艸`*)✨ 奈良県と京都府との県境に位置し、京街道と呼ばれた重要な街道沿いにあった般若寺は、幾度も兵火に見舞われましたが、また様々な歴史の舞台の場でもあったのです。 平安時代後期「保元の乱」 国宝「楼門」と平重衡供養塔 「建武の新政」時代のドラマも般若寺に 戦国武将「松永久秀」の面影 ほかにも見どころが…✨ 般若寺へのアクセス・拝観情報 まとめ 平安時代後期「保元の乱」 1156年に、時の天皇・後白河天…
はじめに 平重衡の略歴 平重衡の人柄 平重衡の薨去 平重衡の一首 おわりに はじめに みなさま、こんにちは。千種有宗です。 今日から「和歌で学ぶ今日は何の日」という連載を始めます。 今日この日、日本史上で何が起こったのか。誰が生まれ誰が死んだのか。それを和歌を通じてお伝えしよう、という内容の連載です。 第1回の今日は、6月23日。 今から836年前の寿永4年*1(1185)6月23日は、三位中将・平重衡が薨去した日です。 彼の最期は斬首という痛ましいものでしたが、その直前に、ある女性に手紙を送っています。その手紙に添えられた一首とともに、彼がなぜ死ななければならなかったのかを、お話しましょう。…
法界寺から醍醐寺へ向かって歩いていると、住宅街の中に小さな公園があった。その一角に平重衡の墓と称する塚を見つけた。案内板によると、鎌倉からならに引き渡される際にこの地に居た奥方と別れを惜しんだとある。 東大寺の大仏さんや興福寺を焼き討ちにしたのは、この重衡だと言われている。 この直ぐそばを奈良街道が走っているが、平安時代は木幡から宇治を通って奈良へ至る道だったのだろう。
西国三十三所巡礼も折り返し点を迎え佳境に入ってきましたが、今回は諸般の事情で半日の行程しか取れず、奈良県の残り2寺と1番外札所をお参りすることになりました。 目次 番外 法起院 1.アクセス 1)駐車場 2.縁起 3.みどころ 1)本堂 2)御廟十三重石塔 4.四方山話 8番 長谷寺 1.アクセス 1)駐車場 2)境内図 2.縁起 3.みどころ 1)本堂 2)舞台 3)本尊 3)登廊 4.四方山話 9番 興福寺 南円堂 1.アクセス 1)駐車場 2)興福寺境内図 2.縁起 3.みどころ まとめ 番外 法起院 山門 長谷寺の門前通りにあります。西国三十三所の番外霊場であり、西国三十三所を草創した…
心清らか、感動あらた。「いざいざ奈良」! 鹿せんべいをスルーする鹿を見たのは久しぶり。お腹いっぱいの証拠、 奈良に観光客が戻ってきた証拠! 近鉄奈良駅徒歩圏の2寺を訪ねました。 東大寺南大門にて「奈良旅モード」スイッチオン! 奈良は、大阪府の小中学校の校外学習の定番。だから何度も行ったはずなのに、 大人になって訪れると、初めて知ることばかり。郊外学習は、 学習になっていなかったようです。近鉄奈良駅の徒歩圏にある東大寺 「三月堂」と興福寺を訪ねました。 🚠 東大寺南大門。柱のキズは、1180年、 平重衡の南都焼き討ちの際の弓矢の跡。 美しい都と、それを焼いた大火を想像して、日常から「奈良旅モード…
今若丸・乙若丸・牛若丸の読み方と名前の由来に迫る! 今若丸(阿野全成)から見る貴族の幼名 乙若丸(義円)と牛若丸(源義経)の幼名は干支が由来? 義円の父・源義朝ってどんな武士だった? 義円の父は平安末期を代表する河内源氏の棟梁だった!? 父・義朝と義円たち兄弟の運命は戦乱によって暗転する 義円の母・常盤御前は平清盛をも夢中にさせた絶世の美女だった!? 宮中随一の聡明さを持つ雑仕女 源氏と平家の棟梁二人の愛妾となった常盤御前 義円が園城寺で孫子を学んだというのは本当のことだった!? 義円は園城寺で出家して助命される 義円は円恵法親王の坊官として活動を始める 義円は本当に孫子に通じた兵法家だった?…
今年の2月に兵藤裕己『平家物語 <語り>のテクスト』を読んですごく面白かった。平家物語のバリエーションの違いや生成される過程も考えて、平家物語がどういうテクスト・構造になっているのかを見ていく営みになっている。 その頃はアニメの『平家物語』もやっていたり、大河ドラマの『鎌倉殿の13人』も源平合戦あたりだったり、その後アニメ映画の『犬王』が公開されたり、ちょうど平家物語に絡む作品も多く公開されていた時期でもあった。 すごく面白かったけど、本書はシーケンシャルな(あまり整理されていない)書かれ方になっていて、もう少し全体を自分なりに整理して把握したいと思って、まとめ直し始めていたものの途中で放置し…
京都府寺院探訪 橋柱山 大智寺 住所 京都府木津川市木津雲村42ー1 宗派 真言律宗 拝観 事前予約(0774-72-2500)※特別公開もある。 駐車場 専用無料駐車場 ランク ★(1.5)(5段階) 大智寺境内 🔴大智寺は、西大寺の慈真和尚が、泉橋の橋柱に文殊菩薩を刻み、橋柱寺を建立し たのが始まりで、後水尾天皇の勅願寺となりました。 寛文9年(1669)に荒廃していた寺を再興し、寺名も大智寺としました。 大智寺本尊・文殊菩薩(重文)鎌倉時代 ●十一面観音(重文)藤原時代 も所蔵しています。 心道山 安福寺 住所 京都府木津川市木津宮ノ裏274 宗派 西山浄土宗 拝観 特別公開 500円 …
源頼茂の祖父・源頼政。彼らは源氏の血筋の中心的存在であった。 源平合戦の口火を切った?源頼茂の先祖の家系図を辿る ご先祖様は源頼光!摂津源氏棟梁の家柄とは 大内(大内裏)守護であった祖父・源頼政 源平合戦の敗北から復活!父・源頼兼の波瀾万丈な人生 非蔵人として朝廷に出仕 以仁王の挙兵の敗北と返り咲き 頼朝への接近と国司就任 源頼茂は鎌倉殿にも手が届いた!?尊き摂津源氏の家系図 源頼茂の烏帽子親は伊豆介!?サラブレッドゆえの華麗なる元服 家司?大内守護?源頼茂と鎌倉殿・源実朝の関係とは 火を放っての自害は抗議のため?源頼茂は謀反を企んだのか 源平合戦の口火を切った?源頼茂の先祖の家系図を辿る ご…
今日のうた(139) 11月ぶん 銃弾がベールを破って政治家の浅ましき実態さらけ出したり (森秀人「朝日歌壇」10月30日、佐佐木幸綱選、たった31文字の短歌が、安部元首相暗殺事件の本質を十全に表現する) 1 ドロップの缶を開ければ思い出す母の隣にいた男たち (たろりずむ「東京新聞歌壇」10月30日、東直子選、「「男たち」の中には、「母」と恋愛関係にあった人もいれば、そうでない人もいたのか。なんとなくドロップを分け合ったりした淡い思い出」と選者評、微妙な感情を詠む) 2 国葬に国の軽さといふ秋思 (竹林一昭「朝日俳壇」10月30日、長谷川櫂選、安部元首相の国葬については、短歌でたくさん詠まれて…
サッポロ一番 塩らーめん 5食×6個 サッポロ一番 Amazon 10月31日の視聴 ・『【特集ドラマ】ももさんと7人のパパゲーノ』 →過去の再放送含めて、2,3回スルーして来たが改めて観てみる。“パパゲーノ”って、アレ⇩だよな? 【2021年『3月12日の視聴』→https://moritsin.hatenablog.com/entry/20210327/1616775642】 →おもしれーな、序盤。そうなのよ。死のうとした人の全員が、死にそうな顔をしているわけじゃない。 →しっかしこの、“中原くん”はサムイどころじゃなくウザいな…こういうキャラが“ウザい”ことを、脚本家や演出家が分かってる…
≫2021年≫2020年 3/26【書籍/グラビア・インタビュー】Stagefan(ステージファン) vol.18 4/10【小冊子/インタビュー】小冊子『熱風』2022年4月号 4/28【書籍】平家物語 アニメーションガイド 10/31【書籍/インタビュー】spoon.2di vol.91 11/10【書籍/インタビュー】声優アニメディア12月号 11/10【書籍/インタビュー】PASH!12月号 11/10【書籍/コメント】ニュータイプ12月号 3/26【書籍/グラビア・インタビュー】Stagefan(ステージファン) vol.18 [公式]Stage fan ステージファン on Twi…
広島県世羅郡世羅町甲山にあります「今高野山」に行ってきました。 紅葉がとても綺麗です。 今回の大河ドラマの鎌倉殿の13人で、第37回と第39回に評議しています備後の国大田の庄の地頭と高野山の年貢米の話しが出てきます。 まさに、今高野山のことを評議しています。 平清盛が安芸守となり、平氏の勢力が備後にも及ぶようになり、 1166年(永万2年)この地を所領していました清盛の息子平重衡から後白河法皇に寄進されます。 平重衡は、1180年源頼政を倒し南都東大寺・興福寺を焼いてしまいます。 重衡は源平合戦の一ノ谷の戦いで敗れ捕らえられて鎌倉に送られ、その後奈良に送られ木津川で斬首となっています。 118…
【 東大寺俊乗堂 】 所 在 地: 奈良市雑司町406-1 拝観可能日: 7/5(俊乗忌) 12/16(良弁忌) 拝 観 料: ¥600 入母屋造り、錣葺。 もと平重衡の南都焼き討ちにあった東大寺再興の功績で知られる俊乗房重源によって 建立された東大寺七別所の1つである浄土堂があった。浄土堂は平安末期の武将・田口 成良の鎮魂のために創建したという。 成良は南都焼き討ちの折、平氏勢の先陣を務めるほどの勇将として知られていました が、壇ノ浦の戦いで主家を裏切り源義経に味方し、平氏勢の内情を伝えるなどの功を立 てたものの、その後、不忠者として斬首された人物である。 浄土堂は永禄10年(1567)、松…
南宋で生まれた陳和卿は、何故日本を訪れた? 陳和卿、南宋に生まれ僧侶となる 陳和卿と重源との出会い 陳和卿、重源と二人三脚で東大寺大仏殿を再建する 日本に渡った陳和卿、東大寺の勧進事業に関わる 重源を支える陳和卿、資金と木材の確保に奔走する 初代鎌倉殿・源頼朝は罪深い人間?陳和卿が面会を拒絶した理由とは 陳和卿、東大寺とのトラブルで追放処分となる 大仏殿修築から唐船製造までこなした陳和卿!何故源実朝に協力した? 鎌倉殿・源実朝の前世は、陳和卿の師匠だった? 源実朝の唐船建造計画は、夢物語ではなく貿易立国を目指したものだった? 陳和卿と源実朝の夢、渡宋計画の結末 南宋で生まれた陳和卿は、何故日本…
興福寺東金堂院の北面回廊発掘調査地、右奥の塔は五重塔。(現説資料より) 興福寺は『興福寺境内整備構想』(1998年)に基づき、寺観の復元・整備を進める。これにともない、奈良文化財研究所は、中金堂院や南大門跡などの発掘調査を継続して行っており、ここ2年は東金堂院の発掘調査に取り組んでいる。「奈良歴史漫歩」でも興福寺発掘調査の現地説明会は随時レポートしてきた。2001年7月に「歴史漫歩」がスタートしたその回が「7度再建された興福寺中金堂」であった。2018年10月には9代目の中金堂が再建された。境内整備は世代を超えて続くだろう。20数年は寺の長い歴史からすれば、ほんの短期間であるが、この間、横目で…
信長の天下布武の軌跡は、よく見れば歪である。その最も良い例は、1575年の越前一向一揆の殲滅から1578年の上杉謙信の死まで、信長の勢力が全く拡大していないことである。武田信玄が生きており、浅井・朝倉が存続していた頃なら、勢力が広がらないのもわかる。しかしこの時期は、長篠で武田軍団に壊滅的な打撃を与え、浅井・朝倉を滅ぼし、信長が安土城の建設を始めた時期なのである。この時期、信長の勢力に隣接した、信長に対抗できる大名は上杉謙信しかいない。まるで上杉謙信一人のために、信長の勢力拡張が完全に阻まれているかのような印象だが、本当だろうか?この時期に信長は安土城を建設し、自らが戦場に出ることはほとんどな…
皆さんこんにちは。 暑さ寒さも和らぎ、外に出るのが気持ちのいい季節になると、ぶらりと眺めの良い場所に出かけたくなる方も多いんじゃないでしょうか。 そんな方にピッタリな場所が奈良の般若寺。 近年お花の寺として人気が高いスポットです。 般若寺は一年を通じて、いろいろな花が境内を彩るお寺ですが、とくにお出かけには最適の陽気となる初夏と秋は、境内に咲き誇る15万本のコスモスが壮観です。 以前から一度訪れてみたかった場所でもあり、ちょうど秋のコスモスが満開というタイミングを見計らって訪問しましたので、境内の様子をご紹介したいと思います。 コンパクトな境内ですが、花だけでなく歴史的スポットの密度も高いお寺…