平重衡

(一般)
たいらのしげひら

平清盛の五男。母は平時子。尾張守、左中将。本三位中将と称される。
治承四年(1180)、反平家の南都攻略を任され、東大寺・興福寺を焼き討ちにし、その際に東大寺大仏が焼失している。
翌年には美濃国墨俣で源行家を撃破、寿永二年(1183)にも水島合戦で木曽義仲軍を破るなど活躍したが、一ノ谷の戦いで捕虜となり鎌倉に連行された。
その後、焼き討ちで恨みを買っていた南都に引き渡され、木津川河畔で斬首となった。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ