秋田蘭画の系譜を継ぐ日本画家 1877〜1933。
秋田県角館に、日本画家・平福穂庵の四男として生まれる。
1894年、17歳で上京し川端玉章に入門、さらに3年後、東京美術学校日本画科に編入学し、1899年卒業、翌年、結城素明らと无声会(むせいかい)を結成し、自然主義を標榜。その後、国民新聞社に入社。また、母校の洋画科や太平洋画会研究所でデッサンに励み、写実技法の完成度を高めて行く。
文展が開設されると、ここを活躍の舞台とし、1917年、第十一回展「予譲(よじょう)」で特選となる。同年、結城素明、鏑木清方らと金鈴社を組織して、同展に毎年出品するなど旺盛に活動する一方、正岡子規以来の写生短歌同人、アララギ派の歌人として、伊藤左千夫、長塚節、斎藤茂吉などと親交を重ねた。
1930年、ヨーロッパ巡遊後、帝国美術院会員、その翌年、母校の教授に就任。