第二次世界大戦、太平洋戦争末期、アメリカ軍による東京などの大都市への空襲によって家を焼かれ、親を失った子供たちのこと。彼らは、孤児院などに引き取られた者もあるが、浮浪児として公園や鉄道の駅などをねぐらにし、生きてゆくために残飯あさり、靴磨き、屑拾いなどをする者もあった。50〜60年前の日本でのことである。
不老不死の火の鳥に運命を狂わされている人たちを描いた漫画です。 清盛は肺炎で苦しんでいますが吹子が火焔鳥(火の鳥)の血を飲ませるも死亡…吹子が最後には清盛を愛していたという事実がわかっただけでも清盛は救われたのではないでしょうか。 戦災孤児のヒョウタンカブリは鼻の赤あざで実父が判明しますが実父をすぐに殺してしまいます。その後自分も義経の命令で側近に殺されます。なんともかわいそうな人生です。 ヒノエの窃盗症は無事に治って安心しました。 乱世編は時代のせいか誰も幸せにならなかったので読んでいてなんとも言えない気持ちになりました。 ---------- 手塚治虫漫画全集212 火の鳥12 乱世編 へ…
不老不死の火の鳥に翻弄される人たちを描いている漫画です。 乱世編は登場人物がほぼ性格に難ありなのでいまいち面白みがわからず…男性陣は権力だ女だと単純な性格だし女性陣は狡猾だし。時代特有なのかもしれません。手塚先生の絵が素晴らしいので画面を見ているだけでも楽しいので良いのですが。 メインキャラの弁太の頭がもう少し良ければ読みやすかったかも。ヒョウタンカブリが弁太に戦災浮浪児(戦災孤児)の組合へ入らないか誘ったり良い動きをしていて、こういう頭の回るキャラが主人公だったらもっと読みやすかったかも。 おぶうの窃盗症は自分で自覚しているので治る見込みはありそうな予感。 ---------- 手塚治虫漫画…
言葉は使われなくなりましたら、死語と呼ばれるようになるようです。 死語という言葉で検索をしましたら、昭和、平成の死語のランキングがあり ましたが、どちらかといえば流行語のようなものが中心で、これはちょっと 違うかなです。 たしか、小林信彦さんに「現代死語ノート」というのがありましたが、あれ にはどのような言葉が収録されていたでしょう。(どこかにしまってあるの ですが) 現代「死語」ノート (岩波新書) 作者:小林 信彦 岩波書店 Amazon その昔は、そちらのほうが普通に使われていたのに、最近はめったに目にする ことのなくなった言葉に「戦災孤児」というのがありです。 ウィキペディアを見ました…
『光の中を歩む子ら』の《手をつなぐ子供たち》に、友人から招待されて出かけた温泉場でのエピソードがある。 「先生、ここのはけ口で小便していい?」「こんな所で無作法です。便所へ行ってきなさい」 幸男は裸のまま便所へ行ったのだが、このやりとりがたまたま入浴中の足利市の盲唖学校の校長、先生方の耳に入った。 「この二人は単なる先生と児童の関係ではない。さりとて家庭教師でもないらしい」 宿の主人から事情を聞き、品川さんに面会し、学校へ招待したのだった。遠足気分、心はずませ足利市に向った子どもたちだった。 講堂にはヘレンケラー女史の大きな写真、生徒たちの心尽くしのご馳走が並び、所々には美しい花が生けられてい…
1月14日、ぜひもう一冊を図書館に置いてほしいと、二冊目の『わが恵みなんじに足れり』を届けてくださった影山さん。その二日後には、 品川博著『光の中を歩む子ら』と『鐘の鳴る丘 「少年の家」20年の記録』、本間一夫著『点字あればこそ』そして、『花びらの一片~中村久子女史特集』など、貴重な本を寄贈してくださいました。 ほんとうに小さなできごとが、その後のご縁へと繋がっていきました。 * * * 一ヵ月近く経った2月19日、寒い雪の夜のことでした。影山さんから、ぜひ声をかけてほしいと依頼があったとかで、県図書館長さんからお誘いをいただいて、金沢のホテルの一室で開かれた小さな集会に出席しました。 《TH…
金の卵 連続ブログ小説 №25 「ありがとうございます」と受け取り中から取り出すと豪華な印鑑ケース開けて見ると、象牙の印鑑、見ると金田貴の字がどのように彫ってあるのか一瞬解らない実印独特の字体を暫らく見詰めていた。 「ありがとうございます」貴は静かに頭をさげた。 橘は大きな封筒を貴の前に出して、中から書類を出して説明を始めた。 孤児院から引き取る時、親権代理人として裁判所から任命を受けていた。 貴が成人したので法律上では親権が無くなり一人前の大人の仲間入りである。 封筒から出された書類は貴が父の遺産相続人である証明や土地の謄本等何枚もあった。 「貴君、今日、此れから区役所に行き印鑑証明の手続き…
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」 昨日はお墓参りに行った。父のお墓と一緒に、いくつかの親戚のお墓にも。しょうじき自分は、家族とそんなにうまくやっていけてるわけじゃないけど、少なくとも感謝はしてるし、尊敬もしてる。家族のことを思う度、人と人がわかり合うって難しいことだなあって思う。また、親の言動とかを見て、もしかしたら自分もこういう面があるんだろうな、って思って、あらためて今までの自分のふるまいや失敗を振り返ってみたりもする。亡くなった(もうずいぶん昔に)父は、戦災孤児だったので、生きていくために、自分にはわかりようもない、たくさんの苦労があっただろう。生き方がどうとか、運命がどうとか、…