鰭崎英朋は、中島孤島作品に挿絵を描くことはなかったが、明治末期ごろに孤島と交流があった画家である。 以前ここで取り上げた鏑木清方とは、浮世絵師の系譜に連なる日本画家として並び称されることも多い。 英朋は、明治35(1902)年に春陽堂の編輯局に入り、そこで文芸雑誌『新小説』の口絵を手掛けるようになった。また、のち泉鏡花の著作の挿絵を手掛けていたことでも知られ、とくに春陽堂から刊行された泉鏡花の小説『続風流線』の口絵は、現在では英朋の代表作ともいわれている。泉鏡花とは、春陽堂内で知り合ったことがきっかけだと思われるが、その後はプライベートでも長く交流するようになっていった。 中島孤島と鰭崎英朋の…