第十三 そうしているうちに右方の舞手が「新鳥蘇」という、鳥類の楽を舞っている最中に, 虚空から白鷹が、千部経の結縁(法会)のためにでありましょうか、舞下りてきました。 およそ吾が朝での、放鷹(鷹狩)の起源を申し上げますと、人皇十七代の帝、仁徳天皇四十三年乙卯歳九月の事です。西ほくという者が百済国より名鷹を携えて渡来したのです。その使者の船は、越前の国敦賀の津に停泊しました。同国の丹生の北郡は、正頼公の知行の地でした。帝は法に則って(あるいは帛を贈り物として)政頼公に命じて百済の使節を迎えさせました。正頼は敦賀に下り、その名鷹を請け取り、玄黄玉帛の豪華な贈り物を携えて西ほくの来訪を労います。また…