明治8年(1875年)現在の兵庫県に生まれる。東京帝国大学卒業。父は儒者松岡操。
松浦萩坪に師事し、「文学界」に新体詩を発表するがやがて農政学に転じた。
官途に就きながらも、「日本民俗学」という学問を確立し、民間伝承論において大きな業績を残した。
民俗学研究の初期においては純粋な日本民族と仮定していた「山人」の研究を行い、
その研究は後の『山の人生』において未完ながらも集積される。
彼はこの著作以降、山から平地の常民研究に移行するが、
原因の1つとして差別や部落などの禁忌の壁に当たったのではないかとも言われている。
後年、日本民族の起源を南の沖縄に求めた『海上の道』などを発表している。