(静岡市の「手児の呼坂」周辺 :ひどい地図だが、私の能力はこんなもの) ①江戸時代の東海道 ②歓昌院坂ルート 古くからの間道 ③奈良時代辺りの東海道か ④奈良時代古代東海道、道幅約9m(両側側溝を含めると12m)の道路遺構が約350m発掘された(図は少し長い) ⑤駿河の国の国府 手児の呼坂については、先に記した滝本雄士著「ふるさとの東路」が詳しい。以下は、この本からの引用になる。 戦国時代の連歌師宗長は、駿河の今川氏に仕えて晩年は丸子に「吐月峰柴屋寺」という庵を暮らした。その宗長の「宗長日記」に次の歌があると、滝本さんは綴っている。 夜をふかく 道まどうらし 降る雪に 手児の呼坂 人よどむなり…