昭和19年生まれ、一歳と4か月、乳飲み子だった私は、母に抱かれ青森の病院へ通っていた。幼児の時はからだが弱く、助かるかわからない状態だったという。右耳の後ろに腫物が出来、手術をしてもらっていた。その傷跡は今でもうっすらと残っている。丁度その日は、「青森大空襲」の日であったらしい。終戦一月前、7月14日~15日にかけてアメリカ艦載機による空襲が行われ、青函連絡船12隻が被害を受け、352人死亡。市内は焼夷弾により壊滅的、被害を被った。丁度その日青森に向かう、私たち親子の乗っていた、列車が攻撃された。列車は即時停車し、乗客たちは、それぞれ車両からおり、田圃や、野原を逃げまどった。そうして、野原を逃…