私は、1949年(昭和24年)7月から1973年(昭和48年)2月迄の途中の1961年(昭和36年)6月から1963年(昭和38年)2月迄の箱根局勤務を除いた22年余を小田原電報で少年、青春時代・壮年時代を過ごしてきました。最初の頃は、親父が電報課長で当時は意気軒昂な若者達の職場で何時も真っ先に親父から注意を受けていました。その後、親父は、藤沢局へ電話運用課長で転勤し、藤沢局の電話自動改式を手がけた後、昭和34年に全国的に有名となった箱根全山改式闘争の時の小田原局の電話運用課長となり、私は全電通小田原分会青対部長でいて親子で団体交渉をする羽目となりました。そんな中で私の脳裏に浮かぶ小田原電報時…