当時の被差別民が携わっていた職能は多岐に渡っていたように見えるが、基本的には全てキヨメに関わるもの、ないしはそこから派生したものであった。過去の記事で「千本河原者」がキヨメの仕事に参入してきた「一本杉河原者」に対して、北野社に訴えを起こした話を紹介した。 このように職能の縄張りに関して、彼らはとても神経を尖らせていた。こうした仕事に従事するにあたって、彼らはその都度、銭や米などの対価を貰ってはいた。川嶋将生氏の著作「中世京都文化の周縁」に、こうした仕事の対価についての一覧表が記載されており、それによると例えば「散所法師・熊に庭はきとして300文」「声聞師の井戸掘りに200疋(2000文)」など…