さて、想い出に浸っている時間など無いので、さらに北上することにする。右側にブリジストンの巨大な敷地を見ながら、この道路が渋滞するもう一つの理由を思い出した。この先に、西武鉄道の踏切があって、ここを通り越すのにとても時間がかかった記憶がある。そう、家族があった頃は、新青梅街道の事故現場に花を供えるために定期的に通る道だった。 え゙? しばらく寄り付かないうちに高架になっていたのか。これは便利になりましたねぇ。考えてみたら、14年前の離婚後、府中市に一度引っ込んでしまったし、その間に車も手放してしまった。当然のことながら、小金井市へ戻ってからも、このような街の変化に気が付く物理的な状況にはなかった…