宝永5年9月11日。未(午後1時)過ぎ、伝左衛門は他所へ尋ねに出かけるようにと申し渡しがあったけれど、昨日の書付で言われた返事の書付を差し出して出かけるように云々。伝左衛門が出した書付の大意。24日、大工が4人やって来て、牢を作るため作業するうちに板を外して置いてていた。また8ツ(午前2時)頃言葉をかけたが、その後夜明け頃まで覗いたり、言葉をかけることはなかった。伝左衛門はじめ家の者まで全くお粗末で、迷惑をかけたと思っていると云々。文左衛門が思うには、最初又左衛門が乱心した際は平沢九左衛門・中根小右衛門に御預けとなり、2人が死んだ後は都筑助六のところに引き取り、御預けとなった。助六と又左衛門は…