硝酸ナトリウムのこと。化学肥料、爆弾に有用だったが、ドイツで開発されたアンモニアの化学的合成法(ハーバー・ボッシュ法)に押され、そちら方面では 使われなくなった。
化学工業が発展した18世紀以降,酸やアルカリの量を知ることは原材料の品質を調べるうえで非常に重要でした.中でも中和反応を利用する中和滴定は未熟練者でも使える画期的な方法でした. 理科実験でお馴染みの中和滴定は,どのように誕生したのでしょうか? By UCL - Flickr, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45263025今回は水質調査や硝石産業などと関わりに深い中和滴定の成立過程の歴史を見てみましょう.
硝酸は高い酸化力をもつユニークな酸です. 硝酸にはどのような歴史があったのでしょうか? チリ硝石 By John Sobolewski (JSS) - http://www.mindat.org/photo-548175.html, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29139370硝酸塩である硝石や空気中の窒素から作られた硝酸製造法の歴史を見ていきましょう.
18世紀,鉛室法の登場によって硫酸が大量に製造されるようになり,漂白など様々な用途に使われました. 鉛室法とはどんな方法なのでしょうか? 鉛室法19世紀の化学工業を語る上で外せない,鉛室法のしくみと歴史を見てみましょう.
複数のルートで、日本各地に伝播した火縄銃。前記事でも触れた通り、日本の鍛冶屋は日本刀によって培われた鍛鉄技術に秀でていたから、すぐに技術を習得、各地で鉄砲生産が始まった。国産の第一号が造られたのは、種子島である。関の出身であった鍛冶師・八坂金兵衛が試作に成功したのが1544年だとされている。それとほぼ同じタイミングもしくは少し遅れる形で、根来寺の門前町である西坂本において、津田監物と芝辻清右衛門が火縄銃の試作に成功している。 種子島開発総合センター鉄砲館蔵「伝八坂金兵衛作火縄銃」。代々、種子島家に伝わってきた、国産第一号と推測される火縄銃。先の記事で紹介した、1549年6月に発生した「黒川崎の…
黒色火薬には木炭粉,硝石,硫黄が必要です. このうち,木炭はどこでも手に入れられますが,硝石KNO3や硫黄はそうかんたんにはいきません.そこで「硝石や硫黄をどのように確保するか?」が歴史的に大きな課題となってきました. 戦争で,そして農業で必要となる硝石をいかにして確保してきたのか?今回は硝石をめぐる,人類の努力の歴史をみていきましょう.