甲子園で大活躍して大スターとなった高校時代は、読売とドラを希望しながらそれが叶わず日本生命へ進み、そして再度のドラフトの際には逆指名でドラに入団。 ドラが久々に獲得したゴールデンルーキーとして、それこそ立浪監督が入団して以来の、大きな、大きな、周囲からの巨大な期待を集めてのプロ一年目となりました。 しかし一年目こそ打率.284、16本塁打と新人としては出色の数字を残したものの、二年目、三年目にはケガもあり数字を伸ばせず、期待していた身としてはジレったい気分になっていたものです。 しかし自ら語っていたように、当時の佐々木コーチからマンツーマンの指導を受け、03年に首位打者を獲得して一気にブレーク…