大正・昭和期の俳人(1882-1940).本名,正一.山口県防府市出身.早大文学部を神経衰弱のため中退.
山口県の大地主の家に生まれるが,幼児に母が自殺,その後父も政治運動に傾斜し家運も傾く.1913(大正2)年に荻原井泉水に師事,自由律の俳誌「層雲」で活躍する.1916年に種田家が破産したのち,古書店・額縁店などを営みつつ句作を行うが,1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度,耕畝と改名.以来,行乞放浪の旅にあって句作を続けた.
自選句集『草木塔』,日記『其中日記』,日記紀行文集『愚を守る』など.
さくら咲いて、なるほど日本の春で (さくらさいて、なるほどにほんのはるで) 種田山頭火 〈意味〉 桜が満開になって、なるほどこれこそが日本の春であると実感する。