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筋肉少女帯

(音楽)
きんにくしょうじょたい

通称は「筋少」。
ハードロック・ヘヴィメタル・プログレッシブを中核に、様々な音楽性を持ち合わせたロックバンド。
ボーカルである大槻ケンヂの文系サブカル的トラウマを持つパーソナリティにより、ロックリスナーだけでなく、多くのサブカル・オタク層に支持された。

メンバー

  • 24期(2006年活動再開〜現在)
    • 大槻ケンヂ:Vocal
    • 内田雄一郎:Bass
    • 橘高文彦:Guitar
    • 本城聡章:Guitar
  • 22期(1989〜1999年活動停止まで)
    • 大槻ケンヂ:Vocal
    • 内田雄一郎:Bass
    • 橘高文彦:Guitar
    • 本城聡章:Guitar
    • 太田明:Drums
  • 18期(メジャーデビューから少しで脱退)
    • 三柴江戸蔵(三柴理):Keyboard
    • 美濃介(みのすけ):Drums
    • 関口博史:Guitar

歴史

  • 1979年
    • 大槻ケンヂと内田雄一郎が中学校で出会い、バンド「ドテチンズ」*1を結成。近所の児童館などで、TOTOのコピーバンドをしていた同級生の前座として二回のライブを行う*2。内田のエレクトーンに合わせて、適当に健康竹ふみ器やゴミ箱などを叩きながら歌う、といった音楽スタイル。バンド名は当時の大槻の渾名から。

1982年

    • 「筋肉少年少女隊」に改名。内田の高校の先輩であるケラ(現在はケラリーノ・サンドロヴィッチと改名)がドテチンズのテープを聴いて面白がり、新宿JAMにてケラの新バンド「有頂天」の結成ライブに参加。
    • そのライブの後に、当初はベースとボーカルを兼任していた大槻が、歌いながらだとベースが弾けないという理由から、ボーカルのみに転向。キーボードだった内田がベースに転向する。
  • 1984年
    • 「筋肉少女帯」に改名。ケラが主宰したインティーズレーベル「ナゴムレコード」にてオムニバス「あつまり」に参加。当時、大槻は夢野久作の小説「ドグラマグラ」のヒロイン呉モヨコから"大槻モヨコ"と名乗っていた。
  • 1985年
    • ナゴムレコードから初のソロレコード「とろろの脳髄伝説」をリリース。
  • 1987年
    • この頃、今までゲストとして参加していた三柴江戸蔵(三柴理)がキーボードとして正式に加入。
    • メジャーレコード会社「アポロン」のオムニバス「子どもたちのCity」に参加。
    • シングル「高木ブー伝説」をリリース、当時のインディーズとしては大ヒットを飛ばし、深夜番組などでも紹介されるが、ナゴムレコードの事務所に高木ブーの事務所からクレームの電話が来た為、慌てて回収する。後に電話はイタズラだったと判明。
  • 1988年
    • 大槻と内田を核に度重なるメンバーチェンジをくり返し、18期メンバーで新しいレーベル「TOY’S FACTORY」からアルバム「仏陀L」とシングル「釈迦」でメジャーデビュー。
    • しかしデビューの翌月にドラムの美濃介(みのすけ)が舞台役者に専念する為に脱退。代わりに三柴の知り合いだった太田明が加入。ギターの関口博史も脱退するが、こちらは後任者が固定せず、サポートとして横関敦が参加。
  • 1989年
    • 正式なギタリストが加入しないままアルバム「SISTER STRAWBERRY」を発表した後、オーディションにて正式メンバーとして橘高文彦が選ばれる。
    • キーボード担当であった三柴がクラシックピアノに専念したいとの理由で脱退を表明。キーボードのパートはサポートメンバーで続けることになる。
    • 三柴の脱退により、バンド自体の音楽性を方向転換する為、インディーズ期の筋少に在籍していたことのあった本城聡章が再び加入。ここから、大槻ケンヂ(Vocal)、内田雄一郎(Bass)、太田明(Drums)、本城聡章(Guitar)、橘高文彦(Guitar)という、22期メンバーとして活動が始まる。もともと5人は1982年のヤマハ主催のバンド合戦にて、それぞれ別バンドで出会っている旧知の仲であった。これより約9年間、活動停止まで同じメンバーで活動する。
    • アルバム「猫のテブクロ」の収録曲「日本印度化計画」がテレビで紹介され、シングルではないにもかかわらず、世間で注目される。
  • 1990年
    • インディーズ時代に人気の高かった曲を新たにアレンジして撮りなおしたシングル「元祖高木ブー伝説」を発表。チャート上位にランキングされる。
    • 大槻が作家として活動を始めると文学界でも評価を受け、また楽器メンバーの高い演奏テクニックと優れた音楽センスは、プレイヤーとして高く評価された。橘高は高崎晃と並ぶ、日本を代表するHM/HRギタリストとして認められ、教則本を発表。また楽曲だけでなく、ライブパフォーマンスでもファンを多く獲得し、初の日本武道館ワンマンライブを成功させる。この後9年間、合計で4回の武道館公演を行った。
    • イカ天・ホコ天時代のバンドブームが衰退した後も、その深いファン層と実力で根強い人気を持ちづつけ、さらにカルトな曲を次々と出していった。
  • 1992
    • 結成10周年記念として、ベストアルバム「筋少の大車輪」発表。過去の主要メンバーが参加した「大釈迦」収録。
    • 日清パワーステーションにて結成10周年記念の三ヶ月連続ライブイベント「筋少ちゃん祭り」を行う。翌年から「筋少ちゃん祭り」は年に一回のペースで行われることとなる。
  • 1993年
    • 音楽業界が小室プロデュースやビーイングなどのタイアップ主導になる中で、アルバム「UFOと恋人」の収録曲「タイアップ」にて"コアなファン捨てても欲しいタイアップ"と歌う。
  • 1995年
    • 初のアコースティックライブやメンバーのソロ活動など、色々と新たな試みに挑戦していく。
  • 1996年
    • 日清パワーステーションで橘高の結婚披露ライブが行われる。司会はローリー寺西と大島暁美、ゲストは筋少メンバーの他にルーク篁や屍忌蛇など。
  • 1997年
    • アルバム「最後の聖戦」を発表。皮肉にもタイトル通り、最後のオリジナルアルバムとなってしまう。
  • 1998年
    • デビュー10周年記念のベストアルバム「SAN FRANCISCO」発表。収録された「サンフランシスコ10 イヤーズ・アフター」が筋肉少女帯としての最後の曲。
    • 渋谷公会堂ライブをもって、活動を凍結。
  • 1999年
    • 太田、橘高、大槻が続けて脱退。バンド形態の活動停止を宣言。
    • バンドブーム終焉によって早々に解散するバンドが多かった中で、筋少は大槻の幅広い活動でバンドの知名度を上げていき、結果的にメジャーで合計12枚のオリジナルアルバムを発表した。
  • 2000年
    • 内田と本城の二人による「KING-SHOW」名義にて、プロレス団体・闘龍門JAPAN(DRAGON GATE)内のユニットであるCRAZY MAXの為に、アルバム「CRAZY MAX 1st.」発売。
  • 2001年
    • 目黒鹿鳴館の「マンドレ祭り」にて、陰陽座と五人一首によるスペシャルセッションバンド「陰陽一首帯」に内田が参加。ライブの全5曲が筋肉少女帯のカヴァー。内田により、一夜限り筋肉少女帯バンド形態の復活が告げられる。
  • 2002年
    • 本城・内田が活動当時のライブを音源化した公式海賊盤CD「筋少の大海賊vol.1」をインディーズより発表。記念イベント「筋少の大海賊サミット」を開く。
    • ゲーム「ポップンミュージック8」にて、「トラウマパンク」というジャンルで「釈迦」が、「カレー」というジャンルで「日本印度化計画」が採用され、筋少の名前がここでも知られるようになった。
  • 2003年
    • 「筋少の大海賊vol.2」発表。記念イベント「筋少の大海賊サミット」を開く。ゲストとして橘高が参加。内田により、一夜限り橘高の筋少再加入が告げられる。
  • 2005年
    • 橘高文彦のプロデビュー20周年記念として「FUMIHIKO KITSUTAKA & FRIENDS」名義で発表された「NEVER ENDING STORY」に、大槻、内田、本城が参加。
  • 2006年
    • 大槻が「週刊アスキー」にて自伝的小説「筋肉少女帯物語」の連載を開始。
    • 筋肉少女帯から大きく影響を受けているとインタビューなどで語っている作家・滝本竜彦が原作のアニメ「NHKにようこそ!」のEDテーマに、大槻、橘高、三柴という元・筋少メンバー三人が参加した「大槻ケンヂと橘高文彦」というユニットが曲を提供。マキシシングルには筋肉少女帯「踊るダメ人間」のカヴァーも収録。
    • 7月22日、恵比寿で行われた「大槻ケンヂと橘高文彦」のライブに内田と本城が参加。大槻、橘高、内田、本城の4人で再び「筋肉少女帯」としての12月28日にライブを行うことを高らかに宣言した。

後進への影響

三柴が音楽的支柱だった初期はプログレ色の強いバンドとして、橘高加入後はHR/HMバンドとして、後進のミュージシャンに大きな影響を残した。
また、大槻の書く江戸川乱歩、夢野久作、寺山修司、宮沢賢治、赤塚不二夫、ドリフターズ、UFO、アニメ・特撮、シャーロック・ホームズ、格闘技・プロレスといったサブカル趣味を見事に融和した歌詞世界は、大塚英志や筒井康隆に高く評価され、今も日本語ロックの世界で特殊な立ち位置を形成している。
楽曲「何処へでもいける切手」の歌詞に出てくる「包帯で真っ白な少女」というフレーズから貞本義行が「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイをデザインしたという有名な逸話の他に、作家の滝本竜彦や漫画家の山田花子・和月伸宏らが大槻の楽曲タイトルや歌詞から作品へ引用をしていたり、荒木飛呂彦が対談後に大槻をモデルにしたキャラクターを「ジョジョの奇妙な冒険」第四部に出していたりなど、オタク・サブカルチャー層への影響も極めて強い。
大槻の白塗りの顔にトイレットペーパーをグルグル巻きという格好や、ライブなどで着ていた特攻服、ギター間奏中にステージ上でヌンチャクやヌイグルミを振り回したりなどといったキワモノ的なスタイルも、一部で好まれている。
また、大槻ケンヂは橘高加入後の筋肉少女帯はヴィジュアル系バンドとしての役割も担っていたと主張し「X*3は光、筋少は影」などの言葉を残している。

作品

シングル

  • 高木ブー伝説(1987年4月)
  • 釈迦(1988年6月21日)
  • 元祖高木ブー伝説(1989年12月5日)
  • サボテンとバントライン(1990年9月5日)
  • 踊るダメ人間(1991年7月5日)
  • 氷の世界(1992年2月21日)
  • バトル野郎〜百万人の兄貴〜(1992年6月21日)
  • 暴いておやりよドルバッキー(1993年3月21日)
  • 君よ!俺で変われ!(1993年5月21日)
  • 蜘蛛の糸(1994年1月25日)
  • 香菜、頭をよくしてあげよう(1994年5月21日)
  • リルカの葬列(1994年11月13日)
  • トゥルー・ロマンス(1996年3月6日)
  • 僕の歌を総て君にやる(1996年11月25日)
  • 小さな恋のメロディ(1997年1月29日)
  • タチムカウ -狂い咲く人間の証明-(1997年4月30日)
  • 221B戦記(1997年9月3日)
  • 仲直りのテーマ(2007年9月5日)
  • ツアーファイナル(2008年8月27日)

アルバム

  • 仏陀L(1988年6月21日)
  • SISTER STRAWBERRY(1988年12月21日)
  • 猫のテブクロ(1989年7月5日)
  • サーカス団パノラマ島へ帰る(1990年2月5日)
  • 月光蟲(1990年11月21日)
  • 断罪!断罪!また断罪!(1991年7月21日)
  • エリーゼのために(1992年5月21日)
  • UFOと恋人(1993年4月25日)
  • レティクル座妄想(1994年4月21日)
  • ステーシーの美術(1996年3月23日)
  • キラキラと輝くもの(1996年12月9日)
  • 最後の聖戦(1997年10月15日)
  • 新人(2007年9月5日)
  • シーズン2(2009年5月20日)

*1:インタビューなどでは「ザ・ドンズ」と語られる場合もあるが、ドテチンズの略称だと思われる

*2:その際の音源は後にソノシートとしてミニコミの付録になった

*3:X JAPAN

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