被爆者。1929年1月26日〜2017年8月30日
16歳で長崎で被爆。背中一面に大やけどを負い、瀕死の重傷を受けた。戦後は、被爆体験者として核廃絶を訴え続けた。 2017年8月30日にがんのため、88歳で永眠。
映画「長崎の郵便配達」がよかった。 ので、図書館でそのもとになった書籍を借りてみた。 これがいいんだなぁ。 もちろんスミテル少年の被爆体験を語っているのだが、生まれてから被爆前、被爆、被爆後の生活、考え方、人との交わり、戦争遂行者たちの考え、そして作者(戦闘機パイロットだった)自身の考えなど、様々な視点や光景がないまぜになって、うねるように思考を揺さぶってくる。 自然を愛していたという作者の表現は、暗く重くなりがちな被爆体験談に別の視野角を持ち込んでくる。 戦争遂行者たちの考えや科学的データの端的な記述が、視野を広げてくれるとともに、読者である自分の立場を感じ考える上での材料を提示してくる。 …
一条真也です。東京に来ています。5日は夕方から埼玉県大宮市にお通夜に行きましたが、朝一番で編集者と打ち合わせ。その後、シネスイッチ銀座に向かい、この日から公開のドキュメンタリー映画「長崎の郵便配達」の初回上映を観ました。「広島原爆の日」の前日に公開されたわけですが、タイトルからもわかるように、これは長崎原爆についての映画です。ブログ「長崎原爆の日」に書いたように、長崎に落とされた原爆は、もともと小倉に落ちるはずでした。小倉生まれで小倉育ちのわたしは、祈るような気持ちでこの映画を観ました。 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。「ピーター・タウンゼントさんのノンフィクション『ナガサキの郵…
映画「長崎の郵便配達」を見た。 郵便配達の16才のスミテル少年のたどった道を、元英軍人のピーター・タウンゼント氏がたどり、書籍を出版する。それを娘のイザベル・タウンゼントがたどる。 一般市民が巻き込まれる戦争、そして核兵器被害。 その地獄を戦いノーモアヒバクシャ、ノーモアウォーと言い続けたスミテル氏。 2015年の長崎平和祈念式典の平和への誓いは感動的である。 この年の7月に集団的自衛権、安保法案が強行採決されている。 「・・・・安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。核兵器は残虐で人道に反する兵器で…
「継承」。 第二次世界大戦中、イギリス空軍大佐だったピーター・タウンゼント。 戦後、作家となり、戦争被害を受けた子供たちにまなざしを向けた。 そこで出会った長崎の郵便配達少年だったスミテル。 スミテルのことを書いた「長崎の郵便配達」という本が1982年に生まれている。 映画では語られるか語られないか程度の触れられ方だが、スミテルさんが復刊を望み、その意向を聞いた映画監督である川瀬さんがピーターの娘のイザベルに会ったことから映画が着想されたらしい。 イザベルは、2人の母でもある。 スミテルさんのたどった道を、それはすなわち父ピーターのたどった道を体験する。 父の残した本「長崎の郵便配達」だけでは…
風頭公園から寺町通りへ 午前中、父の受診に付き添い、午後からはひとりで近くの風頭公園まで桜を見に行きました。 お天気も良く、最高の桜日和。 風頭公園から見た母校・長崎東 展望台に聳え立つ坂本龍馬像。龍馬が見下ろしているのは長崎港? 最近、スマホのカメラの調子がおかしく、撮影時、なぜか動画からの切り取り画像のようになってしまいます。もっと沢山撮ったのですが、容量オーバーでここにアップできません。 先を急ぐことにします。 「寺町・浜町への最短コース」という道(周囲は全部お墓)を通ってどんどん下っていきました。 途中、可愛らしい仏様(?)を見かけたので、思わずパチリ。 長い年月のうちに、頭がもげたの…
監督:川瀬美香 ジャーナリストのピーター・タウンゼンドと被爆者である谷口稜曄(スミテル)さんの交流から、その娘イザベルが長崎で父と谷口の足跡を辿るドキュメンタリー。反戦、反核を定期的に訴え、後世に伝えるという意味では意義のある作品だと思う。ただそこまで面白いドキュメンタリーではなかったけど。長崎の風景がいいね。この美しい街を守りたい。。。
否定的に見られていることの中にも、大切なことはよくある。例えば傷の舐め合い。「トラウマと向き合う契機になる云々」との文章を読んだ。なるほど、確かに、そうなのかも知れない。舐め過ぎはどうなのか。※要は、決め付けないことだ。 そう、決め付けているわけではないのだったが^^。 ▲『覗き込む』(写真)洞窟の如し。「面白いな」ご近所の異界。 www.youtube.com【原爆のこと/今日も少しだけ】 谷口稜曄氏。 長崎で、原爆を体験した方だ。 少年時代の背中の写真を視た。 彼の言葉が、響く。 こうだ。「兵器を持っていない国が包囲」 武器を持つ国ではない。 逆なのだ。 武器を持たない国が、武器を持つ国を…
昨日(8/20)付の2番目の拙エントリー に、今日中に間に合えばもう一記事公開するかも知れないと書いたのは、この記事のことである。 同じ日の行事だったので、個人的な意見は控えて写真と文字起こしを貼れば間に合うかなと思ったが、間に合わなかった。 行きました。 https://t.co/PRpT2rSKpU pic.twitter.com/8TjyowI6r1 — しいたけ💙💛しいたげられた (@wtnb4950) 2023年8月19日 実は金山駅で乗り換えたとき偶然出くわしたのであって、愛知県平和委員会@aichi_peace さんのツイートは、あとでPeace For Ukraineスタンディ…
おととい9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では 広島県知事・広島市長につづき 鈴木史朗長崎市長が G7サミットで締結された「広島ビジョン」の核抑止論を全面的に否定。 「私たちの安全を本当に守るには、地球上から核兵器をなくすしかない」と訴えた。 さらに、谷口稜曄(すみてる)さんの被爆体験も取り上げて 「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるように見えます。 私はその忘却を恐れます。 忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」 の言葉から今の世界を予見したかのようだと 平和宣言で。 しかし、私はもう一人の被爆者を取り上げたい。 山口仙二さんだ。 初めて知ったのは元長崎市長の本島等さんとの共…
ランキング参加中【公式】2022年開設ブログ 原爆投下時刻に合わせ、平和祈念像の前で黙禱(もくとう)する人たち=2023年8月9日午前11時2分、長崎市、日吉健吾撮影(8月9日朝日新聞デジタルから拝借) www.47news.jp www.youtube.com 長崎は9日、米軍の原爆投下から78年の「原爆の日」となった。台風6号の九州接近に伴い、長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」は、例年の平和公園から、60年ぶりに屋内に変更された。鈴木史朗市長は就任後初の平和宣言で、5月に開かれた先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の核軍縮文書「広島ビジョン」を批判し「核抑止への依存からの脱却…
オンライン参列の選択肢はなかったんだろうか。 (報道の中にはビデオメッセージ云々を伝えるものもあるらしいけれど。) よほどの要人でもなければ、隣接や近隣の宿泊施設に前日、前々日から入っていれば、問題はなさそうな気もするんだが。 (広島で類似の状況になったときのシミュは、政府と広島県/広島市でやってんですかね。バービー投げつけられそうな某国の大使/大使館はともかく。) 長崎原爆の日 平和式典、台風で60年ぶり屋内開催 首相参列せず 毎日新聞8/9(水) 6:00配信 米軍が長崎に原爆を投下してから78年の9日、長崎市は平和祈念式典を開く。台風6号の接近に伴い、市は会場を平和公園から屋内施設「出島…
一条真也です。8月9日は「長崎原爆の日」です。詳しくはブログ「小倉に落ちるはずの原爆」をお読みいただきたいと思いますが、今日は、わたしにとって1年のうちでも最も重要な日です。原爆投下時間である11時02分に、サンレー本社の社長室で黙祷いたします。 2023年8月9日の各紙朝刊 長崎原爆といえば、ブログ「母と暮せば」で紹介した映画を思い出します。名匠・山田洋次監督が、原爆で亡くなった家族が亡霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマ。ジェントルゴースト(優霊)ストーリーの名作でした。 「母と暮らせば」は、原爆で壊滅的な被害を受けた長崎を舞台に、この世とあの世の人間が織り成す不思議な物語を映し出した作…