小説家(1882〜1963)。岩手県生まれ。 盛岡中学から東京大学法学部(中退)。報知新聞社に入社、政治部記者となる。そのころから胡堂の筆名で創作を開始。 1931年の「オール読物」創刊時に捕物帳連載を依頼され、「銭形平次捕物控」を執筆。「平次」は以後26年間つづき、長短あわせて382編という膨大なシリーズとなった。 「あらえびす」の名でクラシック音楽評論も行った。
池田大助捕物日記:野村胡堂 1953年(昭28)同光社磯部書房刊。11篇所収。 1952年(昭27)雑誌「読切倶楽部」一部掲載。 野村胡堂と言えば「銭形平次捕物帳」が代名詞のようになっているが、その外に「池田大助」の捕物帳のシリーズがある。この池田大助ものは戦後になってから書き始められ、雑誌「読切倶楽部」などに長期間連載されていた。全集10巻本に83篇が収められている。 池田大助捕物日記:野村胡堂、成瀬一富・画 主人公の池田大助は大岡越前守の屋敷の用人として抱えられているが、奉行所の与力や同心ではなく、あくまでも「手伝い用人」として御用聞きの源太親分や飴屋の仙太郎とともに難事件を解いていくとい…
風雲一代男 金忠輔:野村胡堂 1951年(昭26)湊書房刊。 1959年(昭34)川津書店刊。表題を「天竺浪人金忠輔」と変えている。 江戸中期、文化文政年間に実在したとされる仙台藩の浪人、金忠輔(こん・ちゅうすけ)の破天荒な事績を小説化したもの。金(こん)は仙台以北に散見する苗字で、現在では金野(こんの)という変形も多い。他に「今」「今野」もある。すでに江戸期から史伝のほか講談等でも語り継がれていた。野村胡堂も岩手県出身なので、この人物に興味を抱いた可能性がある。 藩士の武術を教える道場主によって殺された親の仇を討とうとしていた小娘を助けて、忠輔は仇討ちを成就させるが、身辺を追われる立場となり…
1950年(昭25)矢貴書店刊。新大衆小説全集第10巻所収。長篇を読むのは2作目となるが、事件の骨組みが最初の『娘変相図』と似通っていて、なかなか捜査の糸口が見えないのもむしろ平次たちの行動に緩慢さを感じた。未遂も含めて連続殺傷事件の被害者が多くなると、犯人の可能性は自ずと絞り込まれてくるのは明白だ。逮捕の際の有名な投げ銭の場面は効果的で緊迫性があった。☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用 https://dl.ndl.go.jp/pid/1708093/1/88 挿絵は沼野青爾。
1950年(昭25)矢貴書店刊。新大衆小説全集第10巻所収。銭形平次物は長中短合わせて383篇にのぼるそうだが、まともに読んだのは今回が初めてになる。胡堂の文体は「でした、ました」という丁寧な語尾に特徴がある。傲慢な読者でも語り手がへりくだった姿勢に思えると素直な心情になる。 この作品は数少ない長編の一つで、江戸中の十八歳の娘たちの中から籤引きで当った者に千両を与えるという催事に起こった殺人事件を皮切りに、続出する殺傷事件や誘拐事件の謎に銭形平次と右腕の八五郎が追っていく。関係する人物の表情や感情の変化を丁寧に描写している点に味わいがあった。謎の組み立ても巧みで、犯人像がなかなか見えてこない上…
癸卯年一月初四。気温摂氏▲4.9/0.9度。雪は昨晩一更の内に止んだが寒波で寒さ厳しく今朝のこの気温。水府は辛うじて零度上回つたやうだが西が山で寒風を遮られるはずの日立が零度下回り観測史上初の真冬日だつた由。袋田の滝のある大子は最高気温が摂氏2.9度。 一昨年の今日、歌舞伎座(二部)で播磨屋の七段目を見てゐた。体調不良で途中休演され(梅玉さん代演)この日に目出たく復帰。久ヶ原T君と新橋田村町で仮営業中の虎ノ門砂場で蛤蕎麦をいたゞいてからのコロナで客席の入りも本当に寂しい歌舞伎座であつた。 偕楽園(公式Twitterより借用) 野村胡堂の記述(百話)のなかで川柳についての下りあり。関東大震災で東…
1954年(昭29)東京文芸社刊。1949年に発足した捕物作家クラブの中心にいた野村胡堂、土師清二、城昌幸、佐々木杜太郎、陣出達朗の5人によるリレー形式の合作になる。合作による「伝七」物は新聞や雑誌への連載でしばらく続いたが、1953年から足かけ10年にかけて松竹と東映で13作の映画化が行われた。主演はすべて高田浩吉。その半数以上の原作が合作であり、今でも読むことができる。 「人肌千両」は映画化第1作で、上映に合わせて単行本として出版された。語尾を「です、ます体」で統一し、野村~陣出~佐々木~城~土師の順で執筆された。江戸を騒がす怪盗団「疾風」(はやて)に狙われ、脅迫状で千両箱を用意するように…
1957年(昭58)雑誌「小説倶楽部」桃園書房発行。新年特大号に掲載。 「伝七捕物帳」は映画化やテレビドラマ化される頻度が高かったせいか、知名度は高い。しかし当初は捕物作家クラブの作家たちによる共同企画で、合作だった。初出は京都新聞での連載だったが、映画化で封切になるのに便乗して、その原作を「小説倶楽部」に再掲載したようだ。作者名は、野村胡堂、城昌幸、谷屋充、陣出達朗、土師清二の5名の連名で、数章ごとにリレー方式で書き継いだと思われる。その名残らしいのが、煉瓦のつなぎ目のように物語の筋の飛躍やちょっとしたズレとして感じられるのは仕方がない。それでも錚々たる捕物作家のお歴々の筆致には確たるものが…
1926年(大15)春陽堂刊、綺堂読物集3、全14篇。「青蛙堂鬼談」の続編と明記している。もしその怪奇談の会がそのまま続いたと考えれば徹夜で語りあったということになるだろう。この作品集は中の一作品「影を踏まれた女」のタイトルをつけて出版されたこともある。現代でも神隠しで子供がいなくなったという話などの事件は少なくないが、そのような時に人は奇妙な言動をなぜ取ったのか、その当事者の心の奥は知る由もないことに気づかされて戦慄を覚える。野村胡堂の一連の「奇談クラブ」の話集と同様に味読できた。☆☆☆ 国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は無し。 dl.ndl.go.jp
甘さは美味しさの後にそよ風のように… 虎屋さんの『あらえびすのコンサート』。小麦生地にバターやミルク・アーモンドの風味がたまりません。更に中心部には桃の一片が入っていて、全体の美味しさを共鳴するように膨らませています。素敵なハーモニー…まさにコンサートのようです。ほんのりの甘さは素材の美味しさの後にそよ風のように感じます。喉の奥へとスルスル流れていく潔さは、優しいBGMを聞いているようでした。 ☝アーモンドスライスがタップリ、中には桃が…。 あらえびす…? 郷土紫波町出身である銭形平次の作者野村胡堂は、音楽評論家の顔を持っています。音楽を愛し、生涯収集したレコードは13,000枚とか。音楽評論…
餡も生地も優しい味です 岩手県紫波町日詰にある虎屋さんは、天明2年(1782年)創業240年の老舗和菓子店です。『胡堂の里』というお菓子を頂きました。ホックリした生地と白あんには胡桃を細かく刻んで入っています。ちょうど良い甘さと餡の固さ、胡桃のアクセントが口の中を喜ばせてくれます。これは最高の午後3時の精神安定剤です。エネルギーが切れ始めたころ、お茶と一緒に食べて心と身体に新たなパワー注入です!。ほっこりするやさしい美味しさでした! ☝ホックリ割れる餡が最高です! 創業240年の老舗 天明2年(1782年)とは驚きです。紫波町日詰はかつて宿場町として栄えていました。虎屋さんの向かいには、平民宰…