天理教が目指す世界のあり方。日々陽気に暮らすこと。 昨日の嫌なことを思い出したりしないで、明日の不安を先読みしたりしないで、今日一日陽気に行こうとする考え方。「その日暮らし」とも言える。 天理教は「欲を捨て、質素な暮らしをすることがいいことだ」と説いている。教祖の教えを守り、信者が自主的にお供えしたお金で運営している教会もある。
2024年10月20日(日)近鉄天理駅から石上神宮へ行くルートには、天理教本部へ通じる商店街の長いアーケードが続いています。 天理教本部今は亡き大伯母(祖母の姉)が天理教の信者だったので、幼少期に天理教本部を何度か訪れた記憶があります。つるつるに磨かれた長~い廊下をはしゃぎながら走り回っていたような……懐かしい思い出です。 古い町並み時が止まったような古い町並み。 福助昭和レトロな商店街でした。幼いころと全然変わってない。老舗の奈良漬け屋さんでお土産を購入しました。 鉄板石上神宮参拝のランチに選んだのは、こちらのお好み焼き屋さん「陽紀屋」さん。たぶん天理教の教えの「陽気ぐらし」にちなんだ店名な…
道 今歩いている道はどんな道ですか? 広い道? 狭い道? きれいな道? 見通しの善い道? 明るい道? 歩きやすい道? 自分が通っている道はどんな道なんでしょう? 何を基準に考えていますか? いろんな基準で判断していますね 人が通っている道が良さそうに見えたり 基準は様々 喜んで通っていたり うつむいて通っていたり 一緒に通っていたり 誰かを連れて案内していたり 誰かを目指して歩いていたり 道はどこかへ繋がっています ゴールをみすえて よろこんで通っていると 魅力的な道と思いみんなついてくるかも! 担当H
私がこの言葉を聞いたのは、 大河ドラマ「篤姫」でした 問題が起きたとき 片方の意見で判断せず 相手方の意見も聞いた上で判断する そんな場面も多く描かれていました 仲裁 両方聞いても どちらも「善かれ」と思っていたり 実際いくつもの正義?が絡み合っていたり 少ない情報で判断出来ないことも多いし その情報の正確性も噂話レベルの場合もあります 何かを見聞きするとき その情報は100%正確ということはまずありません 物事は見方によっても違うし 伝える人の主観が混ざっていることもあります 伝言ゲーム 「伝言ゲーム」が 成り立つように 情報は面白いように変化していきます ヤブ医者が名医だったり名医がヤブ医…
私たちは、日頃生活する中で、 損したなぁとか得したなぁ と思うことがよくあります ずるするのは得したようで、 代償に徳が減っているかも… 損得勘定は、神様がしてくれて 余れば返すし、足らなければもらう といわれています 神様の思いに沿って頑張ったら、 骨折り損のくたびれ儲け ということはありません 頑張ったから今があるのです 返してくれるのは、「金銭」とはかぎらず、 「健康」や「物事がうまく運ぶ」など 私たちによかれというもので 返してくださいます 感謝・慎み・たすけあい の心で、心の貯金を沢山させていただきましょう 担当H
御教祖の御在世中に、此の道に付かれた人々は、教理が理解出来たから、此の道へ付いて来られたのではありません。なぜなら教祖の仰せられることは、現在の事もあれば十年廿年若しくは百年後の事もあるのではありますから、それを理解した上でなければ、信仰が出来ないと云うのであるならば、誰一人として此の道を信仰するに至る事は、出来なかった筈がであります。けれども其の当時の人々は、理解しのではなく、教祖の仰せられる事には、決して間違いが無いと云うことを信じて、此の道に付いて来られたのであります。 従って此の道が、将来如何なって行くのであるかなとと云う事については、誰も知って居た者はないのであります。 それは丁度子…
天理教では 互い立て合いたすけ合い という言葉があります 私たちは生活している中で 誰かにお世話になる ときもあり 誰かのお世話取りをさせて頂く ときもあります お世話になったとき 申し訳ないなぁと思いますか? ありがたいなぁと思いますか? 両方だと思いますが 感謝の気持ちを大きく持つと お互い明るい関係になりますね 担当 H
私たちは「フー」って息を吹き付けて、熱いものを冷ますことが出来ます そして、 「ハァー」って息をあてて、冷たいものを暖めることもできます 実は意識的に使い分けることが出来るのです ですが、日頃使っている言葉は無意識に使ってますねどっちの息を使ってるんでしょう? 「ありがとう」という言葉は温かい息ですね 「いいかげんにしなさいい」という言葉は冷たいかも 「がんばったね」は暖かい 「コラー!」は冷たいですね どうやら心の温度と言葉の温度は関係ありそうですね これから寒い季節がやってきます 温かい言葉をいっぱい使って、身も心も温かく過ごしましょう 担当 H
心には容量があるように感じます。 何かでパンパンになると、 何にも入らなくなります。 イライラでパンパンになったり、 悲しみでパンパンになったり、 楽しみでパンパンになったり、 心は いろいろなものでパンパンになります。 パンパンになると何も入らなくなる。 悪い話は入らなくてもいいですが、 良い話も入りません。 大事な忠告も、 心が洗われる良い話もはいりません。 パンパンかもというときは、 少しガス抜きしましょう。 大切なものを受け取り損ねることのないように。 皆さんはどんなガス抜き方法をお持ちですか? とりあえず、深呼吸しましょう♪ 担当H
先日天理市の天理教教会本部を母と参拝させていただきました。 母は腰が悪く、杖をつきながらゆっくり歩き、神殿、教祖殿、祖霊殿と回廊を一周して、駐車場に向かいました。 久々に参拝できたよろこびが、疲れもあってか、以前は人の世話取りをしながら、参拝していたこのに…という残念に思う気持ちに負けそうになっていました。 すると、駐車場の端で座っている方に、お元気ですね。と声を掛けられました。 おそらく参拝にこられたのですが、そこで力尽きて、私はここで参拝させてもらうので、みなさんは神殿で参拝して下さいということで、戻ってくるのを待たれているという感じでした。 ハッとした母は、残念に思う自分の姿はその方には…
コロナ禍でなにかとままならない日々が続いています。 あれも出来ない…これも出来ない… 残念なことがいっぱいあります。 今でも出来ることを あれは出来る!これも出来る! とは中々考えませんね。 こんなことが出来てうれしい! と考えてもいなかったことが、 出来なくなると、 非常に残念に感じてしまいます。 まだまだ思うようになりませんが、 普通に出来たことが、 よろこんでなかったなぁ 感謝してなかったなぁ そんなことに気づけた気がします。 今できないことを残念に思う毎日より、 今できることをよろこぶ毎日の方が、 明るい陽気な毎日になりますね。 何も変わらなくても、 心一つで明るく陽気な毎日に! こん…