生きるとは、白色の世界を塗る営みだと認めるなら、それは、自分の問いの深さ、懐疑がいかほどのものか、それがそのままその人の人生、生き様となります。その問いが充分深ければ、すなわち本質的であるなら、それは常識的に生きる人を深く納得させることになり、あるいは納得されなくても何かを感じさせるものになるでしょう。人の生き方に正しいも間違いもないのは、 そして勝ちも負けもないのは、あまりに常識。先に、本分であるなら、偏りも然りと書きましたが、それはこの理由によります。 宮野公樹『問いの立て方』 私たちは白色の世界を自分の心のフィルターの色を通して見ていて、その色を現実だと思っている。まぁ実際にそう見える世…