鉄道車両で、架線などから集電した電気により電動機を駆動して走る機関車。Electric Locomotiveを略してELと呼ばれる。直流機、交流機、交直流機がある。 現在の多くの客車は、客車自体に電動機を搭載し駆動する電車が主流のため、電気機関車を用いた旅客用列車は少数派となっている。 ※ 画像は国鉄EF81形電気機関車
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 時代は変わり、こうした電機品の技術も進歩してきたことで、EF62形は国鉄で初めて、本格的に電動カム軸式による制御装置を装備するとともに、機関士が電流計を見ながら適切なノッチを1段ずつ操作していた手動進段から、速度や電流値に基づいて自動でノッチ制御をする自動進段を、これまた国鉄で初めて本格的に採用したのでした。また、主制御器による進段とともに生じる電圧差を少なくするために、バーニア制御器も装備することで、ノッチ段数を多く設定して、細かい速度制御とトルク制御を可能にしました。 ブレーキ装置は国鉄電機の標準的なものとして数…
JR九州グリーン3日間 3日目 九州鉄道記念館 見たこともない車両ですぞ ナニナニ パンタ ありますね 1941 昭和16年 直流機関車 1942 関門トンネル完成 関門トンネル電化区間 見越して造られた 塩害を防ぐために 外板はステンレス この車両は ブドウ色に 塗装されているが 無塗装の ステンレスのままが 1台あったらしい 台車 よく見かけるのは 2軸よね これはちがう F だから 動輪 6軸 だ まゆげが かわいい 両側に デッキがあります はたらく電車 いいな~こういうの お次は 鉄人28号 ED ってことは 電気機関車 動輪 4軸 1961 昭和36年 交流専用電気機関車 鹿児島本…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ラック式区間では、EC40形などと同じ第三軌条方式による電流供給のため、片側2か所ずつの集電靴が設置されていました。この第三軌条方式による電化は、国鉄ではこの碓氷峠区間だけだったので、いわば横軽用の特殊装備の一つだったといえます。そして、ED42形は国鉄最後の第三軌条方式に対応した車両でした。 主電動機は1時間定格出力170 kWのMT27形が、粘着運転用に2基、ラック運転用に1基の合計3基が装備されました。動輪軸が4軸となるD級機では、通常の電機であれば主電動機は4基搭載されるのが一般的です。しかし、ED42形には…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ◆国産アプト式電機の真打ち ED42形 国鉄初の電機であるEC40形や、初の国産電機のED40形、さらにサンプル機として輸入したED41形をあわせて28両体制で国鉄最大の難所である碓氷峠区間の輸送を支えてきましたが、旅客も貨物も長距離輸送の第一選択肢だった鉄道の需要は大きく、特に東京方面から上信越、北陸方面への幹線ルートだった信越本線の輸送力のさらなる増強が望まれていました。 しかし、最大66.7パーミルという急勾配を擁する碓氷峠区間は、1列車あたりの列車重量に制限があり、これに応えるためには高頻度運転をするか、牽引…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 先輩機であるEC40形が小型でモダンなデザインの車体であったのに対し、国産のED40形は車体製造の技術が関係したのか、平面を基本に角張った構造の無骨な印象をあたえる車体でした。再び輸入機となったED41形は、ヨーロピアン調の洒落たデザインの車体でした。機関士が乗務する横川方は3枚構成の折妻のデザインで、そのうち山側には貫通扉が設けられていました。この扉は重連時などに機関士が他の車両へ乗り移るときに使うことは考慮されてなく、あくまで機関士がED41形に乗り降りするための乗務員室扉の役割でした。そのため、前面下部には小さ…
2025年4月10日 伯備線 伯耆溝口~岸本間にて 「動画」です。 この写真の記事はこちらを見ていただけると幸いです。
◆「サンプル」と聞こえがよいが・・・再度のアプト式輸入機 ED41形 blog.railroad-traveler.info 1911年に製造がはじめられ、1912年から運用に就いた国鉄初の電機である10000形(EC40形)と、1919年に製造された初の国産電機である10020形(ED40形)は、合わせて26両の陣容で、信越本線の隘路である碓氷峠区間に投入されて、その輸送力を増強するとともに、機関士などの乗務員を悩ませ危険にさらした蒸機を淘汰しました。 一方で、さらなる輸送力の増強を求められるようになり、これらのラック式電機はフル稼働の状態になっていましたが、小型のC級機である10000形や…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ◆初の国産電機 10020形(ED40形)アプト式直流電機機関車 10000形が碓氷峠区間に投入されたことにより、信越本線の輸送力は確実に向上しました。そして、蒸機運転につきまとっていた煤煙のために、乗務員が窒息する危険も減ったことで、執務環境も大幅に改善することが現実となっていきます。また、客車列車に乗車する利用客にとっても、煤煙がなくなったことで快適な旅行を可能にしたのです。 しかし、10000形は総勢で12両と少ないため、一部では従来の蒸機牽引による列車も残っていました。加えて、輸送量が減ることはないものの増え…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info しかしながら、前述のように故障が頻発することは悩みの種になっていたと言われています。10000形が開発されたのは1912年で、ヨーロッパでも蒸機が主力で電機はまだ試作の域で、加えて10000形を製造したエスリンゲン機械工場はアプト式機関車を数多く製造したといっても蒸機でのことで、電機の製造実績は皆無に等しかったこと、さらに電気品をつくったAEG社ともども電機の経験が少なく、日本の鉄道、特に碓氷峠区間に関する理解が少なかったことがその要因だったと考えられます。 1912年から運用が始められた10000形は、数々の故障に…
三重県いなべ市藤原町大貝戸に「西藤原駅前SL公園」があります。 同園は、三岐線・西藤原駅の駅舎プラットホームの一部を利用して作られた駅前公園です。 平成13年(2001年)に三岐線の開業70周年を記念して整備されました。 園内には、三岐鉄道創業時に新造された蒸気機関車など車両3両が展示されています。 「E101形」(102号機) 昭和6年(1931年)の開業時より兄弟機の101号機とともに三岐鉄道で運行した蒸気機関車です。 102号機は、汽車製造(現在:川崎重工業)で製造されました。 昭和29年(1954年)2月までの間、セメント輸送の主力機として運行しました。 「ED22形」(2号機) 昭和…