小粒な里芋を皮ごと茹で、塩を少しつけて食べるだけ。 シンプルこの上ない調理法だが昔から人気があり、全国的 でもある。 三本の指を使うだけでツルリと口の中、 何となく過ぎた昔の出来事を後悔する。 どうしても消し去れぬ事衣被 追記 衣被の語源は平安時代の高貴な女性の衣装を衣被 (きぬかつぎ)と呼び、その形が似ているからというが、 とてもその様には見えないが・・・・
今は落葉の最盛期、熊手の使い勝手に助けられている。 掃いても掃いても散る落葉、掃いている熊手にもパラパラ 落ちて容赦ない。 見上げればご本体の葉っぱの数は確実に減少している。 落ち葉掻く熊手に散るや新落葉 追記 掃いた後を振り返るとそこにはもう落葉が。 この空しい作業は無駄ではないと自分に言い 聞かせながら今日も熊手をすり減らす。
センダンの葉も大分落ち、丸い沢山の実が目立つようになった。 晴れた日には黄金色に映る実と青空の対比が眩しい。 もう少しすればヒヨドリなどがこの実をついばみに来る。 見上げれば栴檀の実と青空と 追記 センダンの花の花言葉に「意見の相違」が有る。 栴檀は双葉より芳し…この場合の栴檀は香りのよさで 知られるビャクダンを指すが、何とも紛らわしい。 珍しい花言葉の生まれた理由はこの辺りかも知れない。
北寄りの風が強く吹いている。 空に雲は無く、風景がハッキリしている。足元の草草は 吹かれるままに頭を上下左右に。 遠く遊園地の観覧車は巨大な円を大空に描き上げている。 楽しげに木枯ぬける観覧車 追記 観覧車なるものは十八世紀初めロシアで誕生したと言う。 ごく単純な発想からくる遊具だが、今や何処の遊園地 にも欠かせない物となっている。
秋天はスッキリしていて、その上奥深い。 何処までも深い青はむしろ底知れぬ不気味さすら感じさせる。 濃密な青の世界は侵入しようとする者を頑なに拒んでいるが、 気の遠くなるような未知の世界への入り口でもある。 いささかも入る余地なき秋の空 追記 大正末期ごろから活躍した高野素十は秋天をこう詠う。 「秋天に謝す寺に謝す僧に謝す」 何とまあ素朴なとも思うが、写生俳句に徹した素十に 対する評価は依然衰えないと言う。 秋の空はかくも日本人の心に沁み込んでいるのですね。
若い頃は自信満々だったような気がする。今考えれば馬鹿 みたいな話だ。 世の中は甘くないよ! 若い人に贈る言葉としてこれが最高 だったりして??? お陰で今はつたない年金暮らしです。 突張って世に出しものの吾亦紅 追記 「吾もまた紅なり」と自ら唱えた事が名の由来とか。 滑稽な言い伝えも残っている吾亦紅。 玉のように見える部分、花弁の無い花を密につけている。 日当たりの良い草原を好むそうだが、正にそのような 場所で良く見掛ける。
薄闇の迫る坂の上から川向うを望むと、廃業した銭湯の 煙突が一本、高々と突っ立っている。 煙突に沿って目を上に遣ると満月がそこにあった。 少し得をしたような気持になった。 煙突にトンと突かれて望の月 追記 最近は行かなくなったが、銭湯代はやけに高い。 調べてみると東京都の場合だが、昭和23年で大人 一人僅か6円。それが最近では大人一人550円。 これでは五人家族だったらどうなるの????
〽赤い花なら曼殊沙華・・・・・ 昔ラジオからよく流れていた。 この花には毒がある事、 根は飢饉時の非常食になった事、さては葬式花とか墓花 とか、呼び名だけで一千種類を超えると云うから凄い。 それ程人々に何かを感じさせるのだろう。 べべ着せて櫛を入れたき彼岸花 追記 彼岸花は葉よりも先に花茎を伸ばし、開花させる。 花の形は独特で雄蕊は長く外に突き出す。 全体的のにモジャモジャした印象を受けるが、群生する 光景は壮観である。
昔から日本人の大好きな萩の花。 小型の丸い形をした葉も捨てがたい。こんもり繁った葉が 風にそよぐ様子も中々である。 全体として涼やかな美しさを感じさせ、正に日本人好みだ。 萩の葉を濡らし切らずに通り雨 追記 萩は山火事で黒焦げになった跡地に一早く進出して 一面を覆う事も有ると言う。 育つのに特に肥料は必要とせず、瘦せた土地でも 十分繁殖できる由。 見掛けに依らず逞しい。
真夜中のベランダから見る中秋の名月は天心に近かった。 予報は晴れ、確かに晴れには違いないが薄く鰯雲が 掛っていた。 この事がかえって良く、何とも神秘的で荘厳な雰囲気を 演出して呉れていた。 今日の月ウロコ躍らせ鰯雲 追記 中秋の名月は芋名月とも呼ばれる由。 今年の里芋畑は草取りが間に合わず、雑草茫々の ままになってしまった。 体もしんどいし、霜が降りる直前までこのままに しておく積りだ。少しは大きくなるかも知れない。