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こんにちは、佐藤いぬこといいます(twitter は@inukosato)。女性と健康についてのZINE「冷えちゃいけないよ」と、80歳前後の方から聞いたミニエピソードをまとめたZINE「around80に聞いた話」を出しました。置いて下さっている店は【lilmag】と【IRA】と、【オヨヨ書林】です。

2015-09-29

ブログを引っ越しました。

よろしくお願いします!


はてなブログです。

2015-09-11

[]小塚原の処刑場

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明治時代、小塚原刑場(東京都荒川区南千住2丁目)の役人が嫌な気分を忘れるために、ドンチャン騒ぎをしている絵です。(画像は昭和3年 現代漫画大観「明治大正史」より)


明治4年7月2日 武蔵國 小塚原が梟示者行刑場と定まったので、罪人を切ったり梟首(さらしくび)にする役人どもは殺人中毒にかかっているとはいえ、人間だから血も涙もあるので、嫌な気持ちがするから、時々慰安法として酒を飲むとか女に戯れるとかして遊んだものだ。それがいわゆる コツ貸座敷に変形して非常に繁盛したそうだ。


明治4年に小塚原が梟示者行刑場になっているけど、明治12年には梟首(さらしくび)が廃止になっています。下の漫画はカラスが「おいらのご馳走がなくなってひもじい」といっているんですね。(画像は昭和3年 現代漫画大観「明治大正史」より)


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明治時代って、西洋と足並みをそろえなくては!とか蛮族と思われるのはイヤ!みたいな気分があったと思うのですが、梟首(さらしくび)禁止のほか、仇討ちの禁止、裸体で歩くこと禁止、盆踊り禁止(寺田寅彦によれば、かつて盆踊りは「西洋人に見られると恥ずかしい野蛮の遺習」だとして、公然とできなかった時代があった)とかいろいろ禁止があったみたい。

2015-09-02

[]明治の遺物と、ディズニーシー

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昭和3年「現代漫画大観 日本巡り」より利根川の外輪船。


「外輪船」は昭和初期の段階で、すでにレトロ気分な乗り物だったみたいですよ。以下、漫画についている解説です。


大利根、香取 (千葉県)

霞ヶ浦、大利根をうろつく交通機関が、明治文化の遺物、外輪船であることがなかなかに興味深いのである。この船、時々、浅瀬へ乗り上げて後押しされて動くこともある。

時候の好い時は、屋上へ甲羅を干して名物ワカサギで一杯傾けながら、水郷を一目千里の間に収めて悠々自適するに都合の良い船である。津の守

へ着くと大きな鳥居がある。香取神社の裏参道で遥かの森が奥ゆかしい。


「屋上へ甲羅を干して名物ワカサギで一杯傾けながら」って、屋上はフリーなスペースだったのかしら。



「外輪船」をはじめてみたのは数年前、品川の物流博物館で。


妙にバタ臭い船じゃないですか。


でも、明治って西洋の文化を直輸入するから、こんなものかな、と思っていた。


この船が、江東区の小名木川を走っていたというのがなんだか信じられないけど(サイズ的にも。)走っていたのだなあ。画像と文は品川の物流博物館より

小名木川を行く通運丸「東京小名木川 日本精製糖株式会社」 明治時代


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運河・堀割に囲まれた江東地域は、江戸時代以降北関東・東北方面から江戸に入る玄関口として発展を遂げました。小名木川を抜け、新川を経由して江戸川、利根川に入る航路は、多くの船で賑わったことでしょう。そして、関東各地の河岸は江戸と水上交通によって結ばれ、人やものが交わる場所として重要な位置を占めることとなります。

このような関東の水上交通にとって大きな転機となったのが川蒸気船でした。新たな交通手段の登場は、河岸やそれに携わる人たちに大きな影響を与えました。



「外輪船」って、たしか「カーマはきまぐれ」のビデオにも出なかったけ?と思ったら、出ていなかった。残念!

D



その代わりにディズニーシーで運行していることを発見!

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2015-08-29

[]船で千葉の海水浴場へ

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◼︎これは昭和初期の千葉県の北條を描いた漫画(館山のあたり)*1



絵の解説によると、千葉県の北條には「一高(現在の東京大学教養学部)、高等師範、その他多数の学校の水泳合宿所が軒を並べて」おり、「霊岸島から船がつくと」先に合宿所にきていた学生達が友達を出迎えに船まで泳いでやってきたそうです。


漫画の作者は、池部鈞です。(俳優 池部良のお父さん)


ポイントはこの船が「霊岸島」からやってきているという点。



「霊岸島」は、今の中央区の新川。

今の新川には港の機能は感じられませんが、かつては千葉にいくなら霊岸島!みたいな感じがあったらしい。




◼︎みちくさ学会のサイトより霊岸島の住所表示板。すごく難しそうな漢字です。



◼︎獅子文六の随筆「ちんちん電車」にも霊岸島が出ていました。


昔、三崎や房州へ行くのに、東京から汽船に乗ったが、それは霊岸島というところで、港なんていうものはなかった。


◼︎関連話題   恋人達を乗せた船は中央区勝ちどきから出航!id:NARASIGE:20100927

*1:昭和3年 現代漫画大観「日本巡り」より

2015-08-22

[]浮世絵と、昭和の東京オリンピックの間に。


江東区周辺を調べるのに、このカラーブックスが便利です。


浮世絵に描かれた光景を、昭和39年・東京オリンピック直前の東京と比べる本。


東京オリンピック直前のモノクロ写真の数々が、とっても、アレで、「古きよき昭和」とか言わせないキビシイ作りになっています。現在の私らはいろんな記憶が消えた時代に生きているから、好き勝手に江戸情緒ファンタジーを作れるけど、明治生まれの著者はそうもいかんのでしょう。


前書きには「江戸の香の残った東京は、大正12年の関東大震災ほとんど消えてしまい、その名残も昭和の大東亜戦争の戦災ですっかり消えた。その上、東京は今、オリンピック準備で大わらわである。明治大正はもとより昭和の昨日までの姿もなかなかつかめない状態である。」とあります。



例えば、浮世絵に描かれた小名木川の五本松の現在(というか昭和38年)。ふー。

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五本松は大正時代に枯れてしまった。川筋にセメント工場があって、川から荷揚げする石灰や石灰の粉、それにセメントが飛散して、それをかぶって松が枯れたのだそうだ。川沿いののどかな道は、倉庫や工場があって通れなくなっている。」



著者の宮尾しげを氏(明治35年生まれ)は、すご〜く上手な漫画家(私のサイトでも何回かご紹介しました。)。この本には、残念ながら宮尾氏の漫画はありませんが、巻末の方にしみじみした地図はけっこう描いてます。

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